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皆さん、こんばんは。寒い日が続いておりますね。 札幌では11月28日、大雪のため、つるつる路面で転倒し137人も病院に救急搬送されたようです。 私が住んでいる西区では、雪が30センチ以上も積もったため、ママさんダンプなどの除雪用具の準備をしていなかったため慌てました。
とりあえず、除雪機を自宅の裏から玄関前まで移動させなければなりません。除雪機と申しましても、約5年前にヤフオクから中古で買ったHONDA製で、しかも、ガソリンは半年前に入れたもので古く、正常に動くかどうか心配でしたが、セルを回すとエンジンがかかりホッとしました。 まともな整備をしていなくても、ちゃんとオーガ(クルクル回る羽根の部分)も動くので、一安心。除雪機は頑丈なんだと思いました。 気をよくして自宅の門と塀の周り、そして車庫前の除雪を行いました。 さらに自宅周辺、200メートルくらいの歩道を除雪したところ、近所の奥さんからも喜ばれ、朝から気持ちの良い一日のスタートになりました。 しかし、もっと昔に買った小型の除雪機は、キャブレータが凍結しているせいか、エンジンはウンともスンともいわず、これはダメでした。 暖かくなったら整備をしようと考えていますが、30年前の機械なので、もうそろそろ永眠させようかなとも思っています。 私の母が永眠したら寂しくなりますね。 前回は入院先での大怪我の話をしましたが、今回も同様に母の車椅子が転倒?の話をします。 11月に入って、母の大怪我の傷はほぼ快復したので安心していたところに、今度は看護師から「(私の母が)車椅子に座ったまま転倒した」という連絡が入りました。 急いで病院に駆けつけると、ベッドで横になっている母がおりました。一見元気そうでしたが、なぜ転倒したのか看護師に説明を求めると、電話では「車椅子に座ったまま転倒しました」ということでしたが、病院では「母が一人で車椅子に乗ろうとして転倒した」というのです。 しかし、すぐ側には母がベッドから降りたことをナースステーションに知らせるための「検出マット」が敷かれており、看護師や介護士が、介助に来るのが遅かったとしか思えません。 そもそも、車椅子に座ったままで、はたして転倒するものだろうか。 私は疑問に感じ、車椅子に座ってみました。そこで体重を右にずらしたり、左にずらしたりして、転倒するかどうか確認しましたが、どうやっても転倒することはありませんでした。 したがって、看護師からの最初の電話連絡「(母が)車椅子に座ったまま転倒しました」はあり得ないことが分かりました。 病院での説明の「(母が)一人で車椅子に乗ろうとして転倒した」のが本当の理由であると思います。 それにしましても、何故、病院は家族にきちんとした説明をしようとしないのか、まったく理解に苦しみます。 その後、母の容態は酸素吸入をしなければならないまでに落ち込み、一次はICU(集中治療室)での治療になりましたが、現在は、病院の食堂で食事が出来るまでに快復しました。 私もそろそろ終活状態です。人間一人一人の寿命は、この世に生まれた瞬間から定められているものと信じています。 病気で死ぬのも運命、事故で死ぬのも運命、殺されるのもまた運命。 1日生きると言うことは、1日寿命を減らすと言うことです。1分1秒生きると言うことも、1分1秒寿命を減らすと言うことです。ですから、その瞬間瞬間を大切にしなければなりません。親から与えられた大切な命なのです。 しかし政治が悪いのか、それとも景気が悪いのか分かりませんが、最近は自殺やクルマの無謀運転などが原因で、命を無駄にする人達が増えてますね。更に、殺人事件といった凶悪犯罪も年々増加しております。 警察に、もっとパトロールを強化して貰わなければ、安全な生活が出来なくなっています。 しかし、警察に路上駐車や空き巣などの取り締まりや警備を頼んでも、手が足りないと言ってなかなか実施してくれません。 ALSOKやSECOMに警備を依頼すると結構な経費がかかります。しかもマンションの警備やホームセキュリティが対象です。 そこで、町内ごとに警察官と同じ権限を持った自警団を組織して、女性や子供、老人など弱い人達を守れるような体制が必要と思います。 思い出しますね。大学紛争の時の「封鎖阻止行動委員会(自警団)」。あの時は私はまだ21歳。元気が満ちあふれ、情熱に燃えていましたね。 【制作・編集・音楽:石川栄一】 では。今日はここまでにしたいと思います。 2017/12/20 石川栄一 |
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皆さん、こんばんは。 今年も早いもので、もう11月になりました。近況報告を書こう書こうと思いながら2ヶ月近く経過しました。 この間、親族の葬式があったり、応用制御工学講座のミニ同窓会があったり、結構、多忙な日々が続きました、 この歳になると、結婚式の招待よりも、葬式や法事が多くなりますね。結婚式でも葬式でも相当な出費になるので、出席するかしないかで悩みます。年金生活者としても厳しいですね。 結婚するな、とも言えないし、死ぬな、とも言えません。だからといって、親族なら出席しないわけにもいかない。 長男だから、兄弟や家を代表して出席しなければならないこともあります。これからも、親族の高齢化が進むと共に、亡くなる人が多くなるので、葬式貧乏になる可能性もあります。
総選挙も終わり、自民党の圧勝という結果でした。これに、満足して喜んでいる人はどれくらいいるのでしょうね。 自公政権のおかげで、生活が良くなった? 給料が上がった?。 私自身は年金生活で、働くなくても食べていくことができるので、今のところはそれほど不自由は感じません。 一番助かっているのは、母の医療費です。毎年、北海道後期高齢者医療広域連合(広域連合)から「医療費のお知らせ」が届きます。それを見ると、なんと医療費だけで毎月約50万円もかかっているのです。 医療費月50万円、一体何にかかっているのでしょうね。年間で、約600万円、もう二年以上も入院しているので、単純計算で1200万円以上の医療費がかかっていることになります。更に、食費や居住費、雑費など相当な経費がかかります。 これら全てが自己負担になると、我が家は破産してしまいます。これから、高齢者が増え続けると、国が医療破産するかも知れません。将来、いったい、どうなるんでしょうね。おそらく、10年後は自宅介護が中心になるんでしょうね。 私は、今回の総選挙「騒動」をみて、ある人物の言葉を思い出しました。それは、第2次大戦末期の1945年4月、ルーズベルト大統領の急死により、米国大統領に就任したトルーマンの回顧録です。 <トルーマン回顧録>より 日本は、軍人をボスとする封建組織のなかの奴隷国であった。 そこで一般の人は、一方のボス(天皇)のもとから、他方のボス(占領軍)のもとに切りかわったわけである。彼ら多くの者は、この切りかえは、新しい政権のもとに「生計が保たれていければ」、別に大したことではないのである。 端的に言えば「日本人の多くは、食べていければ、誰がボスになってもよい」という意味でしょう。これを今の日本人に当てはめると、 ・安倍さんが国会でいくら嘘を付いても「日本人の多くは、食べていければ、誰がボスになってもよい」 ・安倍さんが税金を無駄に使い、また相続税を脱税しても「日本人の多くは、食べていければ、誰がボスになってもよい」 ・安倍さんが森友や加計問題に関与していても「日本人の多くは、食べていければ、誰がボスになってもよい」 ・安倍さんのせいで原発事故起きても「日本人の多くは、食べていければ、誰がボスになってもよい」 ・・・・・ もはやこれまで・・・。今の日本人は、何も考えていないのでしょうか。今がよければそれで良い?。 私が若い頃は、革新系(社会党や共産党系)が多かったのですが、今の若い人は保守系が多くなったそうです。それは、今が良ければ、それで良いから?。将来のことは考えない。いや考えたくもない。当然、他人のことも考えない?。 まあ、国民の半数近くは、投票にさえ行かないんですから、政治のことなどどうでも良いのかも知れません。 歴史的に見て、戦後、自民党政府に大きな問題があっても、選挙に勝利するのはいつも保守の自民党です。 「60年安保」後の総選挙でも自民党が勝利。「黒い霧」問題後の総選挙でも自民党が勝利。「70年安保」前の総選挙でも自民党が勝利。非自民の細川内閣や鳩山内閣にしても、元はといえば自民党。 外圧がなければ日本は変わりません。 ・古くは白村江の戦い(倭国・百済連合軍と唐・新羅連合軍との戦争)での倭国(大和朝廷軍)大敗北→大和王朝から律令国家日本へ。 ・元寇(モンゴル軍の来襲)→鎌倉幕府滅亡へ。 ・黒船来航→日米和親条約締結→徳川幕府終焉→明治維新 ・太平洋戦争敗戦→専制君主制終焉→連合国(特に、アメリカ合衆国)の庇護の下での民主化政策(内務省の廃止、治安維持法の廃止や財閥解体、農地改革、日本国憲法の制定など) ・そして、米朝戦争勃発?→泥沼化→安倍自公政権崩壊へ? もしも、革新系が政権を握るとしたら、完全に日本が崩壊してからになると思います。その場合、日本は、ゼロから出直さなければなりません。 今の日本人は、安倍政権の言うがままになっていますので、安倍さんは、やりたい放題でしょう。 ただ一つの望みは、国民が少しづつ、安倍政権の失政に気づき始めていることです。
入院先で大怪我をしてから3ヶ月が経過しました。傷はほぼ快復したため、看護師からガーゼの上にかぶせる「レッグウォーマー」を持ってくるよう言われました。 しかし、私が「このような筒状の包帯は、医療用で販売されていないのか」と問うと、看護師は「大手の病院なら仕入れできるが、本院は規模が小さく、入院患者も少ないため、仕入れは不可能です」という返事で、1階の事務室で聞くよう言われ、そのままの状態になっています。 これじゃ怪我をしたのは、100%母の責任と言うことになり、介護していた介護士や看護師には、まったく責任がないのか問いたくなります。 しかも、病院は、母の医療費として毎月、北海道後期高齢者医療広域連合に、約50万円も請求しているわけですから、筒状の包帯くらい、病院側で用意して頂きたいものです。
私が記入した商品レビュー内容 注文してから9日目に配送されました。透明度も品質もそして梱包も良かったのですが、配送予定日外の留守中に配送され、送り状付の商品が玄関に置かれていました。 配送料金として1,100円かかるのでしたら、運送会社を選んだ方が良いと思います。 Amazonから配送予定日が10月13日(金)とメールがあり、その日は空けておいたのですが、その前日の10月12日(木)に配送されました。 このように、配送日が変更になるのでしたら、予め連絡されるよう希望します。 これに対し、Amazonからの通知 「お客様のレビューは掲載することができません。」 次のようなレビューは禁止されています:不敬またはわいせつな内容(アダルト製品を含むすべての製品について)金品などの対価を受けることを目的とした内容、薬事法等の適用法令に抵触する内容- 広告、宣伝資料、または同じ要点を過度に繰り返す投稿はスパムと見なされます。 まったく、掲載不可の理由が分かりません。 私が記入した商品レビュー内容を何度も読み直してみましたが、分かりません。まあ、企業にとって不都合な内容なんでしょうね。 Amazonは、消費者の声などどうでも良いのかも知れません。 では。 2017/11/1 石川栄一 |
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皆さん、ご機嫌いかがでしょうか。 札幌は、朝晩たいへん涼しくなりました。外出するときは長袖が必要です。この時期は、夏風邪を引かぬよう注意が必要です。
いつも、母の容態については、一番最後に述べてきましたが、今回は最初に、親族そして友人、知人の方にお知らせします。 それは、心不全で入院中の母が、右足に大怪我をしたということです。一歩も歩けない母が何故怪我をしたのか不審に思い、病院に問い合わせましたが、看護師の言によりますと、「一人で転んで車椅子のフットサポート(足を乗せる板)に、ふくらはぎを引っかけ皮が剥がれた」ということです。現在は快復に向かっていますが、まだ包帯が外れません。怪我をしてから一ヶ月以上です。 しかし、歩けない母が何故「一人で転んで」になったのか全く説明がありません。要するに、”怪我をしたのは母の自己責任”と言いたいのでしょう。
このような怪我は今回で三度目です。 一度目は右手に怪我をして、利き腕が動かせないため食事が出来ない状態になり、その時の主治医の説明では「腎臓の働きが悪く、そのため血液の循環も悪くなり右手の神経が麻痺した。」と、やはり母の病気が原因で右手に支障を及ぼしたという説明でした。 しかし、看護師長は私に「ごめんなさいね」と謝ったのが不可解で、母の病気のせいで右手が使えなくなったのに、なぜ「ごめんなさいね」と謝るのか意味不明です。 二度目は、今回と同様に、”右足のふくらはぎの皮が剥がれる”という怪我でしたが、その時も、主治医からも看護師からも何の説明もありませんでした。 そもそも、母が大怪我をしても、親族の方から病院に説明を求めなければ、家族に何の連絡もありません。 自宅にいても、母がいつまた病院で怪我をするか分からないので不安です。看護師は、母の責任ばかり口にしますが、私に言われても、どうしようもありません。
怪我の要因として、”母のプライドの高さ”にも、原因があるのかも知れません。まず、祖父は士族出身であること。昔の人ですから、看護師や介護士は、母から見れば格下(下々の者)に見えるのでしょう。 まあ、世が世なら、武家のお姫様だったかも知れません。また、当時(昭和初期)はまだ少数だった高等女学校卒であること。 そのため、介護士に、自分のしもの世話をして貰いたくないせいか、私が側にいるときには、トイレに行きたいと言い、介護士や看護師を頼りたくないように見えます。夜間などで、誰も側にいないときには、一人で用を足すように動くため、最悪の場合、怪我をしてしまう。 今回の怪我は、介護士が付いていて起きたらしいですが、誰も答えようとしません。 心不全が快復しているようなら、退院させて貰うことも考えておりますが、母は「私の妻に迷惑をかける」と言います。 冬場には、暖かくなったら”自宅に外泊”させて貰おうと考えていましたが、このような大怪我をし、包帯もとれない状態では、主治医もなかなか良い返事をしてくれません。 暖かくなったらと言っているうちにもう九月、短い秋が過ぎると、厳しい冬がやってきます。
「バカが権力を握っている」と言っても、間接的としても、そのバカを選んだのは有権者である国民ですから、誰も文句は言えないでしょう。 これは、今から50年前の大学紛争のとき「学生自治会」の選挙で、中核派や革マル派といった過激派(実際は中核や革マルの名を伏せていた)に投票した有権者であった学生に似ています。 当時、多くの大学の学生自治会では、民青(日本民主青年同盟-共産党支持)系で占められていましたが、その大部分が、中核派や革マル派などの過激派やその支持者らが「闘う集団」などと名を変えて選挙を行い、その結果、多くの一般学生から支持を得て、自治会を乗っ取りました。 彼らが目指したのは『帝大解体』という”大学の破壊”で、そのためには手段を選ばず、あらゆる学部で封鎖を行い、それに反対する者は、すべて『民青』というレッテルを張り、攻撃の対象になりました。 現在のネトウヨ(インターネット上で右翼的な発言をする人々の総称)が、安倍政権やその政策を批判する者を全て『左翼』と決めつけるのと似ています。 実際、民青系の自治会執行部でも、民青同盟員は1割に満たないと言われています。 多くの学生から支持を集めた過激派の執行部は、やがて飽きられ、学部封鎖の支持さえ得られなくなりました。そこで、彼らがやったことは『学部封鎖反対署名』なるものでした。 その内容は学部「封鎖に反対」をしなければ、「封鎖に賛成」と見なすというバカバカしいもので、多くの学生はそれを無視しましたが、過激派の執行部は、『学部封鎖反対署名』が過半数に達しなかったため、数日に渡り、学部の封鎖を実行しました。 有権者である学生は、最初のうちは休講になるので喜んでいましたが、それを何回もやられたのでは、たまったものではありません。 最終的には、過激派の執行部は、いつの間にか消え去りましたが、そこに残ったのは、破壊された学生自治会でした。 ドイツのヒトラー政権も、国民から民主的選挙で選ばれました。 いつの時代でも、マスコミは権力者の道具になります。これは国家、民族に関わらず、その「目的は常に利権」です。 ヒトラーが合法的な選挙でドイツ総統になり、合法的に戦争を起こしたのも、当時のマスコミが大きな役割を果たしました。 「わが国民が試練に負けても私は涙を流さない。それに値しない。彼らが私を(選挙で)選んだ運命だ。自業自得だろう!」 これは第二次世界大戦末期、ソ連軍(赤軍)がベルリンに迫ったときに、ヒトラーの側近が、市民に避難させるよう進言したときのヒトラーの最後の言葉です。 よく、安倍政権やネトウヨが、『共産党は破防法に基づく調査対象団体』という情報をネット上でも流していますが、目の上のたんこぶなんでしょう。今まで日本共産党が国民に危害を加えたことはなく、国民、特に貧困層のために闘っています。富裕層はそれが気に入らないのでしょう。 貧困層の味方であるはずの『公明党』および『創価学会』までが、安倍政権やネトウヨと同じように、「日本共産党は暴力革命を目指し、今も公安の調査対象になっています。」などと、選挙がある度に、共産党を貶めるためのビラをまいています。貧困層が、同じ貧困層を貶めるような愚かな行為です。 ここだけの話ですが、私の知人の中には警視クラスの警察関係者もおり、その方の言によりますと、調査対象には『創価学会』も入っています。 意外なのは『アイヌ民族』も調査対象になっているようです。北海道には「アイヌが2万数千人もいる」とのこと。この事は、表に出すと反発を買いますので伏せているのでしょう。 つまり、『現体制の脅威になる組織や個人は、共産党に限らず、すべて「調査対象」になる』と言うことです。まあ、古今東西、いつの時代でも権力者がやってきたことですので、今さら驚きもしません。
このマシンも10年ほど前に、ヤフオクで定価の約半額(半額でも未使用と言うことで5万円くらいでした)で購入したのですが、2週間ほどで動作不能になりました。当時は既にCDの全盛時代からDVDに移行する頃で、カセットはもはや時代遅れになっていました。 SONY TC-K555ESJの最大の特徴は、ノイズリダクションシステムとして「ドルビーS NR」を搭載しています。 このドルビーS NRはプロ用機器で使用されていたドルビーSRをもとに民生用に新たに開発されたノイズリダクションシステムで、高域で24dB、低域で10dBのノイズ低減効果を実現しています。 機種の定格
SONY TC-K555ESJのベルト交換
今回、カセットデッキを復活させたのは、500本近くあるカセットテープを活かすためです。 TC-K555ESJで再生した音は、身体に響く重低音と澄み切った中高音が特徴で、CD並の音を堪能できます。やはりアナログの音には、CDのようなディジタルでは表せない暖かさや豊かさを感じますね。 8月は、オーディオ機器や測定器の修理に明け暮れた日々でしたが、やはりアナログの世界は人間味があっていいですね。 次は、MCトランスに挑戦しようと思います。では。 2017/9/3 石川栄一 |
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猛暑が続いておりますが、みなさん、お元気にお過ごしでしょうか。 毎日のように、こう暑くては何もする気がなくなります。 網戸を開けて、3台の扇風機(扇風機1台、天井付けのシーリングファン2台)を稼働しても、全くダメです。その訳は、トタン葺きの屋根が太陽光で熱せられ、その熱が天井裏にこもり、その結果、二階の私の部屋が蒸し風呂のようになるというわけです。一応、天井には100mmのグラスウールで断熱してあるのですが、それも焼け石に水。 数年前に、窓付けクーラーを購入し、使ってみたのですが、北海道の場合、暑い日は一ヶ月くらいですので、邪魔になり、今は取り外しています。夏場だけ、レンタルのクーラーがあればいいですね。冬場の暖房には、燃料代が電気の半分以下で収まる石油ストーブを使っています。 昔から「暑さ寒さも彼岸まで」という、ことわざがあるように、北海道の場合は、お盆が過ぎると秋風が吹きます。 お盆と言えば、墓参りですね。 札幌円山公園の南側、裏参道の横に坂下公園があり、その奥に円山墓地があります。
円山墓地には、父方の祖父で、今は石川本家の墓があります。 昔(昭和20年代)、お盆が来ると、両親に連れられて墓参りにいきました。浴衣を着て下駄を履き、提灯を下げていくのが楽しみでした。時々、ローソクの火が提灯にうつって燃やしてしまったこともありましたが、それもまた楽しい思い出の一つです。 当時、円山墓地には、乞食がたむろしていて、私たちの墓参がいつ終わるかを、乞食の子供が、陰から探っているのが分かりました。私は好奇心がわき、その子供のほうに駆け寄ると、奥のほうに、子供の両親と兄弟4~5人、ござを敷いて座っているのが見えました。 いやー、子供ながら驚きました。おそらく、私たちが帰った後、供物を食べたのでしょう。
今は、子供の貧困が問題となっていますが、戦後の昭和20年代は、そんな生易しいものではありませんでした。 現在、乞食行為は、「軽犯罪法」で次のように禁止されています。 【軽犯罪法第1条「こじきをし、又はこじきをさせた者」(22項)を拘留又は科料に処する。】 当時は、クルマもない、冷蔵庫や洗濯機もない、満足な衣服もない、あるのは、寝るところと、食べることくらいでした。このように、市民が皆、貧乏であれば貧富の差が無いのは当然です。 しかし寝るところもなく、食うこともできない人々もいました。そのような人々は、我が家のような、決して裕福ではない家からも、食べる物を貰いながら暮らしていました。 私が3歳くらいのころ、乞食の母子が、うちに「食べる物を頂けませんか」と訪ねに来たので、私の母親が、その母子に、おにぎりを握ってあげていたのを今でも昨日のことのように思い出します。連れていた子供は、私と同じ年頃の女の子でした。 現在、ある宗教の信者が子供を連れて、布教に回ってくる姿を見る度に、昭和20年代の当時を連想します。 そのころ、札幌円山病院で幽霊騒動がありました。「病院のトイレで幽霊を見た」という患者が続出したそうです。いま考えれば馬鹿らしいことですが、病院側は、僧侶の読経で霊を鎮めてもらったようでした。その様子が、ラジオでも放送されていました。 札幌駅前や三越前そして狸小路などを歩けば、戦闘帽に白装束の傷痍軍人のグループがアコーディオンを弾きながら寄付を集めている姿をよく見かけました。聞くところによると、戦争で負傷した軍人よりも事故で負傷した者が、傷痍軍人の服装をして寄付を集めていることもあったそうです。(下の写真は正真正銘の傷痍軍人です。)
ところで、札幌市内を流れる大河、豊平川にかかる大きな橋で、東(あずま)橋の下の河川敷に、当時「サムライ部落」という名の集落がありました。そこには、戦争や災害で傷つき、住む家や家族を無くした人々が、バラックを建てて住み着いていました。職業としては雑品屋が多かったようです。
その東橋の上から河川敷を見ると、ゴミの中に人々が住んでいるように見え、その中から元気な子供の声も聞こえてきました。 母親から聞いた話ですが、あのような環境の中で暮らしていても、北海道大学に入った子供や2千万円も貯め込んだ人もいたそうです。 昔は、なんといっても貧乏人の中の貧乏人といえば、公務員や国鉄職員のような三公社五現業の職員だったようです。なにせ「公務員には嫁がこない」と言われる時代でしたので、想像を絶するような貧乏職員であったことは察しがつくと思います。 父親は、中国の戦地から復員し、鉄道公安官として国鉄に勤めていたため、私は近所の子供らから「日本一の貧乏人」と呼ばれ、貧乏人の代表のような少年時代でしたが、将来、SLの機関士になりたいという大きな夢がありました。 それにしても、当時、「公務員には誰も嫁にこない」と言われていたご時世なのに、父親はなぜ国鉄に入ったのか知りたかったのですが、そのわけを聞くことはできません。(昭和63年3月11日、満65歳で没) 3月11日といえば、一般的には2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震の発生と、それにともなう東日本大震災の日を指しますが、我が家では、父の命日に当たります。
平均で 月に2~3回、町内を中心にパソコン相談の依頼があり、その度に、依頼人宅に出向くのですが、時々不快な思いをすることがあります。たとえば、 1.「急かされる」---パソコントラブルの原因を掴むのに、時間がかかるのは、私の技術レベルが低いせいかも知れませんが、急かされると、やる気をなくします。 2.「愛想がない」---依頼人ご本人には、このようなことはありませんが、その親族に多く、特に依頼人が奥様の場合は、そのご主人。私が「お邪魔しています」と挨拶をしても、返事もない。本当に私がいては「邪魔なのかも知れない」と思うほど愛想がない。そういうお宅には二度とパソコンの修理点検に行きたくはないですね。 3.「詐欺と怪しまれる」---こんなことがありました。近所の住民(依頼人)が私の家に、パソコンの選び方やインターネットの導入について相談に来た際、私が推薦したパソコンの購入を申し込む際に、クレジットカード番号が必要になりました。そこで依頼人がその奥さんに電話して、クレジットカード番号を連絡するように言いましたが、教えて貰えなかったようで、結局、私が代理として自費で依頼人のパソコンを購入する羽目になりました。依頼人の奥さんは、私を詐欺師と思ったのかも知れません。 お金のために「みんなのパソコン相談室」を開いているわけではありませんので、依頼人には、相談員に対するマナーをわきまえてほしいものです。 これは誰かの名言ですが、そういうキリストさんやお釈迦さんのような人間など、今の日本にはいないと思うのですが、昔の武士の時代は、「恩義」を重んじる時代だったと思います。 あの有名な真田幸村が、関ヶ原の決戦の折、「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか」と語ったそうです。 (【人からの恩義を忘れて私欲をむさぼるような者を人と呼べるのか】という意味) また、私は「武士に二言はない」という言葉も好きです。 (意味)武士は信義と面目を重んじるものだから、一度口にしたことばを取り消したり、約束を破るようなことはしないということ。 それに対し、現在はどうでしょうか。 「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか」と語った真田幸村の言葉は、現在は通じないと思います。そもそも「武士道」では、嘘をつかないことが当たり前のはずですが、安倍政権は、公約を守らず、公約にないものを決める。 そして多くの政治家は、主権者である国民に対する「恩義を忘れ」「私欲を貪り」続けている。もし現在、真田幸村が存在したら、彼ら政治家を「人と呼べるか」と怒るか、呆れるに違いありません。 政治家からこうですから、一般庶民に「与えた恩は忘れよ、受けた恩は忘れてはならない」と言っても無駄でしょう。 戦後の日本人は、個人主義へと大きく変わり、「与えた恩は記憶に残りやすく、受けた恩は忘れやすい」と、全く逆の性格に変貌しました。 更に悪く例えれば、「与えた迷惑は気づかず、受けた迷惑には極めて敏感で一生忘れない」になってしまいました。 端的に言えば「人の痛みは分からない」人間が、今の日本で増加の一途をたどっています。 人間生きていく上で一番重要なことは「人に迷惑をかけない」ことと思います。最低限「人に迷惑をかけない」ことを完全に守れれば、極端に言えば、法律など必要ないのです。 但し、その人や組織・集団によって「迷惑」の次元が違います。 国民には、富裕層から貧困層、資産家と労働者、若年層と高年齢層、ある組織とある組織---といったように、それぞれに利害関係があり、これを円滑にし、個人や各種の社会集団の利害を調整するために、法と政治があります。 しかし、ここで言う「人に迷惑をかけない」とは、最低限「他人様ののいやがることをしない」ことです。つまり、「自分がされたら迷惑なことを、相手に対してはやってはいけない」ということです。 母が心不全で入院してから、2年と2ヶ月になりました。容態は今のところ安定しております。母は時々、冗談を言ったり、私に何かと注意をするので、まだ頭はしっかりしているようです。 たとえば、母のお腹が少し膨らんでいるように見えたため、私が「妊娠でもしたのかい」とからかったら、母は笑いながら「そんなことを言うと笑われるよ」と言い、また食堂兼談話室で、私が大きな声で話し出すと、母から「向かいのおじいさんがうるさがっているよ」と注意されました。心不全が悪化しなければ、当分の間は会話が出来そうです。 昨年の3月下旬頃から危篤状態に陥ったため、親戚が住職をしているお寺に、葬儀の読経をお願いに行ったのですが、その後、母は、めきめき回復し現在に至っています。
連日のように、猛暑が続きましたが、病院は冷房完備で寒いくらいでした。 今日、担当の看護師さんから、今度見舞いに来るときに、大きめのタオルケットを持参するように頼まれましたが、タオルケットに色々なサイズがあるんでしょうか。シングルかダブルかの違いしかなかったように思います。しかし、タオルケットが小さくて、風邪を引かせても困りますので、明日にでも買いに行こうと思っています。 皆さんも、風邪などひかぬようお気を付け下さい。特に夏風邪は、治るまで長引くようです。では。 2017/7/18 石川栄一 |
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みなさん、お元気にお過ごしでしょうか。 今年も、もうすぐ半分が過ぎようとしておりますが、札幌はこれからが賑やかになります。6月に入ると、北大祭、YOSAKOIソーラン祭り、北海道神宮例祭(札幌まつり)と続きます。
当時(昭和43年)、北大工学部には「北工会レコード鑑賞会」というサークルがありました。 その頃は、まだ、LP/EPレコードやオープンテープの全盛時代で、カセットテープは普及しておらず、CDなんかは想像の世界でした。 私は、先輩である事務職員の勧めで、レコード鑑賞会の会長をすることになったのですが、会員が一人もいない状態で、更に「レコード鑑賞会」と言うから、レコードが沢山あると思っていたら、なんと数枚。 しかもそのほとんどが傷だらけという有様で、ゼロからスタートすることになったわけです。 LPレコードの価格は、1,800円~2,500円で、当時の月給(2万円程度)から考えれば、相当高価でした。まあ、趣味にはお金がかかるのは仕方がありませんが、サークルに配分される予算で何とかなると甘く考えておりました。 しかし、工学部北工会から配分された予算は、年3万円程度だったのにはガッカリ。そのため、100枚ほどあった手持ちのLPレコードも使用して、毎週水曜日、昼休みにレコードコンサートを行い、会長を退任するまでの7年間で274回ものコンサートを開催しました。
大学祭には工学部前庭でプロムナードコンサートを催しました。 この頃になると会員数も増えて30人くらいになり、そのほとんどは学部の学生(3,4年生)と大学院生(修士、博士課程)の会員で構成され、職員は僅かでしたが、強力な支援者でした。それは、コンサートを催す度に、サークルの予算では買えない高級なアンプやスピーカー、フォノカートリッジ等を無償で貸してくれたからです。 学生の方は2~3年で卒業していなくなりますが、職員は退職でもしない限り、いつまでも支援してくれます。こんなありがたい存在はありませんでした。私が7年間、サークルの会長を務められたのも、このような職員の方々が周りにいたからであり、いまでも感謝しております。
そして10月の文化祭には、毎年、工学部大会議室にてレコードコンサートを行い、毎回、500名以上の来場者があり、12月にはクラーク会館で200以上が参加し、ダンスパーティを開催ました。 レコードコンサートで一番困るのは、レコード再生中にフォノカートリッジの「針にゴミが付き、音がかすれる」ことです。 一度、そのような状況に陥り、コンサート実行委員の一人(今は亡きH氏)がコンサート終了後に同僚の来場者から『未だかってない”史上最悪の音”を聴いた』と言われたそうです。その実行委員はそうとうショックを受けていました。それもそのはず、使用したフォノカートリッジ(オルトフォン SL-15)を持参したのは、その実行委員だったからです。 しかし、作曲家と指揮者の解説をして、レコードをかけたのは、会長である私ですから、責任があるのかも知れません。そもそも、フォノカートリッジの「針先」の状態など、いちいちチェックはしませんが、その実行委員はそのことについて、何か言いたそうでした。 私は、来場者500名の中の一人の感想ですから、実行委員が『未だかってない”史上最悪の音”を聴いた』と言われたとしても、その時は気にもとめなかったのですが、今思えば、やはり、その感想を笑い飛ばさず、レコードをかけるときには、フォノカートリッジの「針先」の状態をチェックするなどの対策を取るべきだったと思っています。
大災害により、携帯電話や固定電話が不通になったときのことを考え、いつでも『緊急通信』ができるようにと、独自に無線機器とアンテナを設置しておりますが、今年の春の嵐でアンテナが、ルーフタワーごと倒れてしまいました。
この歳になると、まず屋根に上るのが大変です。更に、ルーフタワーに上って、修理するのも更に大仕事でした。 今月は、アンテナ修理に明け暮れたと言っても過言ではありません。屋根の上での作業で、一番困るのはトイレに行きたくなったときです。降りるのにも時間がかかるため、もようしてきたら直ぐに降りなければ、間に合わなくなってしまいます。 しかし「大災害により、携帯電話や固定電話が不通になったとき」は、無線アンテナも倒れて役立たずになっているかも知れませんね。 その場合は、モービル(移動無線)しかありませんが、そうならぬよう祈るだけです。 先週の月曜日に、主治医から母の状態について説明がありました。 検査の結果「心臓は多少肥大」している点と、「肝臓の5箇所に水」が溜まっているとのことで、原因は不明とのことです。 原因が分からなければ、治療のしようがないと思うのですが、もう満90歳を超えているので、歳のせいかも知れません。 以前、テレビで、ある病院の医師が「高齢化が進み、わけの分からない病気がいっぱい出てきている」という話を思い出しました。 母の方は至って元気で、先日は「たいへん世話になった親戚の挨拶回りをしたい」と述べていました。 自民党は、2020年に憲法を改正するという意気込みですが、私は憲法の改正には反対です。しかし、もし改正するとしたら、今も残る江戸時代の仕来り『家父長制』を新憲法で廃止して貰いたいですね。 なぜなら、家にもよりますが、「長男が親の面倒をみて、遺産は兄弟平等に分配する」というように、次男、三男には非常に都合の良い慣習になっているからです。 遺産と言っても、安月給のサラリーマンですから微々たるものです。 私の親と同じ屋根の下にいる私の妻は「40年以上の間、姑に気を遣ってきて疲れました」といつも愚痴をこぼします。 家族、皆、健康で元気であれば、嫁姑関係はそれほど問題にはならないのですが、歳を取るごとに嫁姑の確執が深まります。そもそも、嫁も姑も、元は赤の他人ですから、育ってきた環境も習慣も異なるため、同じ屋根の下で暮らすこと自体が、難しいのだ、と思います。 また、「嫁が姑の面倒をみるのが当然」などと言っている人達に限って、姑の面倒をみたことがない場合が多いと言われています。そういう方々には、一ヶ月でも良いから「姑仕え」をしてみて頂きたいですね。 人間の死亡率は100%。死ぬまで元気に楽しく暮らしたいですね。 では。 2017/5/21 石川栄一 |
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みなさん、お変わりありませんか。 私の方は、マイペースの年金暮らしです。 何もしないで年金を貰っては、周辺住民や若い人に申し訳ないので、ボランティア精神で「パソコン相談室」などを開設して、役に立っていただいております(希望的観測)。 去年、パソコン相談で一番手こずったのは、近所の奥様からの「パソコンのパスワードを忘れてログインできないので、なんとかして欲しい」という相談です。 パスワードの「解除」や「変更」なら、それほど難しい問題ではないのですが、解除や変更ではなく、「忘れたパスワードそのもので起動」できるようにするには、設定した人の記憶を探り出さなければなりません。 そこで、1週間ほど、インターネットなどで、いろいろな参考資料を当たってみたら、外国のアプリで「パスワードの入力を”スキップ”してパソコンを起動するツール」なるものがあったのです。 このようなアプリが、世の中に出回っても”問題はない”のだろうか(どこかの国の官房長官はいつもの通り「問題はない」と言うのかな)と思いながら、相談依頼者である奥様の自宅に赴き、パソコンをパスワードの入力なしに見事、起動ログインすることに成功しました。 美人の奥様も大喜び!メデタシメデタシ?? (この話は、ここだけにしておきましょう)
それにしても、今年は雪が多いですね。自宅玄関前の雪はほぼ融けましたが、自宅周辺には、まだ1メートル近くの雪があります。 特に、消火栓の周囲は、札幌市の除雪車が町内を除雪した雪をドンドン積んでいったため、3メートルくらいの雪が積もっております。 もし、町内で火事が起きたら、消防士が消火栓の除雪をしているうちに、家は全焼するでしょう。 このことで、以前、消防署に電話したことがあるのですが「消防署は救急任務等で手が足りないので、町内で消火栓の除雪をしてほしい」という回答でした。 手が足りないなら、署員を増員すればよいと思うのですが、そう単純には行かないのかな。できれば、消防や救急だけではなく、各地域の消火栓の管理や、あらゆる建造物の消火器や防火扉の設備監督をするための消火設備管理専門職員(私見)だけでも増やせば良いと思います。
「みんなのパソコン相談室」のプレート看板を出してから、もう10年になるんです。 このプレート看板の大きさは40センチ四方程度なのですが、結構目立つと見えて、グーグルだったかな、地図にも載っています。 その地図を見た、税務署かどこだか分かりませんが、収入があるのか無いのか、担当の女性が、歳で言えば50代後半?でしょうか、わざわざ自宅まで問い合わせに来たことがありました。 私はその方に、「パソコン相談は謝礼なしで運営しています」と答えましたが、それでも疑いの眼差しだったので、「リンゴ1箱か、ケーキ1箱くらい頂いたことがあります」と答えたら、何か言いたそうでしたが、お帰りになりました。
私は、一週間に2~3回の割合で、母が入院している病院に見舞いに行っておりますが、行くたびに元気になっているように見えます。しかし、それに反比例するように、老化が一段と進行しています。 今年いっぱいが限界かな・・・と思うと何となく、やりきれない気持ちになります。 母は昔のことをよく記憶しています。 私や兄弟が子供の頃のこと、ボール遊び、母がまだ21~22歳の頃で、私が3歳~4歳くらい。 私がピッチャーと球拾い。母がバットでボールを打つと、私がはしゃぎながらボールを拾いに行き、喜んだという話。私には記憶がありませんが、母にはその時の光景が、手に取るように見えるそうです。 また、私と弟が近くの銭湯(「ニコニコ湯」という名称)に行った帰り、弟は家から履いていった古い靴を間違え、他人の新しい靴を履いて帰ってきたという話。 私が2歳くらいの時、隣の薬局(「第一薬局」という名称)の玄関前に積んであった売り物の雑誌を束ごと、何束も運んできたという話。 こうなると、万引きどころの話ではないですね。 ある夏の日には、自宅前の市電の線路に座り込んだ私を、市電の運転手さんが私をダッコしながら自宅に届けてくれたという話。 これらの母の話は、私にはほとんど記憶にありませんが、昔の人々の暮らしはノンビリしていたんだなと、つくづく思います。 もう楽しかった過去には戻れません。しかし未来があるのか疑問が多い不安定な今の日本。現在を精一杯生きましょう。何事も、中途半端ではなく、精一杯頑張れば、未来が開けてくるものと思います。 では。 2017/4/11 石川栄一 |
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この歳になりますと、子供の頃(昭和20年代)を思い出します。遠い遠い昔の話といっても、昨日の出来事のように感じます。 私が子供の頃は「お金がない」「物がない」時代でしたが、心は豊かで、大きな夢がありました。 思い出としては、まず、乞食が多かったこと。当時、生活保護制度があったかどうか分かりませんが、自宅に「何か食べるものはありませんか」と見知らぬ女性と3歳くらいの子供が、よく訪ねてきました。 母は、その母子におにぎりを握ってあげていました。これはもう、現在の「子供の貧困問題」どころの話ではありません。 また、家族で町にでかければ、狸小路の入り口で、白装束の傷痍軍人がアコーディオンやラッパを奏でながら寄付を集めていました。 さて、現在の飽食の時代はどうでしょう。 若者がお年寄りを騙して、老後の生活のために貯蓄したお金をまきあげる「オレオレ詐欺」や「還付金詐欺」被害が広がっています。 政治家は「違法献金」「口利き問題」などで、テレビや新聞、インターネットで叩かれ続け、もうサンドバッグ状態です。 戦後の主な贈収賄・官製談合・利益供与事件 炭鉱国管疑獄(1947年) 昭和電工事件(1948年) 造船疑獄(1954年) 日通事件(1968年) ロッキード事件(1976年) ダグラス・グラマン事件(1979年) KDD事件(1980年) リクルート事件(1988年) 明電工事件(1988年) 東京佐川急便事件(1992年) ゼネコン汚職事件(1993年) 大蔵省接待汚職事件(1998年) KSD事件(2000年) 鈴木宗男事件(2002年) 日歯連闇献金事件(2004年) 防衛施設庁談合事件(2006年) 山田洋行事件(2007年) 文部科学省施設整備汚職事件(2008年) 北海道開発局談合事件(2008年) 西松建設事件(2009年) 小渕優子後援会事件(2015年) 日歯連迂回献金事(2015年) JR貨物事件(2015年) 都市再生機構(UR)口利き問題・甘利大臣辞任(2016年) これらほとんどの事件に、自民党代議士や官僚が関わっているのが問題です。参考資料<Wikipedia(汚職)> 組織でも、魚の頭でも「上(頭)が腐れば、下(身体)も腐る」ものです。現在はお金さえあれば何でも買える時代ですが、子供達には、将来の夢が持てないように思えます。 私は、今、この時代に生きる子供達に、夢を与えることが、大人としての使命だと考えております。 集合写真で思うこと 昔の集合写真を見てみました。上の写真は、私の小学校入学の記念写真です。その中には、いろいろな顔がありました。笑っている者、すましている者、横を向いている者など色々です。その一人一人に思い出があります。 そしていま思うことは、先生方は元気か、クラスメイトは皆元気でやっているだろうか、ということです。 よく昔のことを話すのは、老化の始まりと言われますが、私の場合は老化よりも、人生のゴールが近づいているようにも思います。 一昨年、北大病院の循環器内科で心電図をとったところ、心拍の波形が異常だったため、心臓のCT検査を2度ほど受けた結果、動脈硬化が進行しているため、心臓カテーテルの検査を勧められましたが、現在保留の状態になっております。 来世について「輪廻転生(生まれ変わり)」 来世を知るには、生まれる前の事を思い出すことです。まあ、今の時代では不可能かも知れませんが、医学が進歩すれば、赤ちゃんが生まれたときの脳波で、前世が分かるようになるかも知れません。 私も、何歳くらいの事まで思いだせるか、人生を遡ってみました。これは、なかなか面白いものです。まず、母親の母乳の味を思いだしてしまいました。 私は無宗教ですが、「死後の世界は、現在である」と信じています。つまり「輪廻転生(生まれ変わり)」です。 そもそも、日本では、人が死ぬと火葬され、ガイコツになる人間が、天国や極楽浄土に行けるわけがありません。もし行くことが出来たら、天国がガイコツだらけになってしまい、地獄と化すでしょう。 「霊魂」にしても、ロケットを使わずに、地球の引力圏から脱出することは出来ません。従って死後の世界は、人間はもちろん、全ての生物にも「輪廻転生(生まれ変わり)」しかないのです。 春になったら、庭を眺めて見ましょう。生まれたばかりの小鳥がさえずり、小さな虫たちが生を楽しんでいます。それらの生物も、生まれる前は、人間だったかも知れません。 つまり、「死後の世界は現在の世界」なのです。自宅の庭先で飛び回っている蝶やトンボ、バッタなどの小さな虫でも、人間の生まれ変わりかも知れません。捕まえようとすると、直ぐに逃げてしまいます。このように、数日の寿命しかない小さな虫でも、生きていることを楽しんでいるのです。 去年のある夏の日、自宅の玄関前での出来事です。私がいる前方からナメクジが一匹、後方からもナメクジが一匹、這ってきて、何が起こるのかジーとみていたら、二匹が絡み合ったのです。丁度、床屋の赤と白と青のサインポール(クルクル回っているアレ)のようでした。塩をかけると溶けてしまうあのナメクジでさえ、生を楽しんでいました。 あらゆる生物は、ジャングルの掟(弱肉強食)の下で生き抜いています。生まれたばかりの1ミリにも満たない小さなクモの子でも、生きるために巣を張って獲物を捕らえながら、一生懸命生きています。 「輪廻転生(生まれ変わり)」を信じれば、現在の暗く沈んだ世の中から解放され、来世に行くことが楽しみになります。 母の容態 母は、今月の8日で丁度、満90歳になります。 早いもので、今年の5月で入院してから2年になります。心不全のほうは、いまのところ鎮静状態のようですが、老化が一段と進んでいます。 90歳だからこれは仕方がないと思いますが、知人の話では96歳でもクルマを運転している元気な老人がいますので、母ももう少し元気になればと願っています。 昨年、母の外泊を主治医にお願いしたのですが、不可でした。 春、暖かくなったら、もう一度、母の外泊をお願いしようと考えています。私も母の歳まで長生きするように頑張ります。 では。 2017/3/4 石川栄一 |
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遅ればせながら、今年も宜しくお願いします。 昨年11月の大雪から、さらに積雪が進み、現在は1mくらい積もっております。例年ですと、定山渓方面が積雪があるのですが、今年は札幌市の中でも、西野が一番多いそうです。
ソーラーパネルにも雪が積もって、コントローラーには[NIGHT]と表示され、発電量は昼間でも[ゼロ]です。 昨年までは、ソーラーパネルが垂直だったので、雪が積もることはなかったのですが、多少の角度をつけたら、このような結果になりました。雪国の場合は、垂直のほうが良さそうです。 雪が解ければ、なんとか発電するのですが、今年のような大雪の場合は、なかなか解けません。母屋の屋根に取り付けたソーラーパネルは、雪に埋もれています。 昨年の11月に、元同僚で旧友のK君が亡くなりました。享年67歳。 私が、K君の訃報を聞いたのは、昨年暮れの元同僚のTさんからの電話でした。驚きました。 K夫妻は、私がまだ北大の新入職員だった、約50年前からの長い付き合いで、結婚祝賀会の発起人代表も務めましたが、ここしばらくはご無沙汰でした。 私が北大を定年退職する頃に、工学部の廊下で、K君の奥さんに会い、その時、K君が癌を患っているという話を聞かされました。彼女が言うには、癌が全身に転移していると言うのです。しかしその割には、ニコニコしていたので、冗談かと思っていました。 K君の逝去との報に接し、お供え花を送った日が、丁度、K君の初月命日とのことでした。私も他人事ではないと思っています。 人間、癌にさえかからなければ、結構長生きできるようです。 暖かくなったら、当時の同僚を集めて、同窓会でも開こうと考えています。若かったあの頃のような、元気な姿を見たいですね。 45年前の作品です。【制作:石川栄一】 アナログレコードの良いところは、一枚のレコードでも「フォノカートリッジを取り替えて聴くことにより、色々な音が楽しめる」ということと思います。つまり、フォノカートリッジが10本あれば、一枚のレコードで、10種類の音を楽しむことが出来ます。
以前は、アナログレコードのディジタル化を考え、TASCAMのCD-RWレコーダーを購入しましたが、よく考えてみると、一種類の音しか聞くことが出来なくなるわけで、楽しみが減少します。 レコードが古くなると、スクラッチノイズ(パチパチ音)が増加しますが、それもまあ、アナログの特徴です。 今回、使用したレコードプレーヤーは、SONYのPS-X60という機種で、今から約38年前(1979年頃)の製品です。
このレコードプレーヤーには、忘れられない思い出があります。 1979年夏の夕刊に、札幌狸小路近くのオーディオ専門店が開催する、「すべての製品の半額セール」の広告が入っていたのです。 当時としては考えられない催しでした。 ちょうど、10年前に買ったレコードプレーヤーが調子悪かったので、翌日、朝食を早めに済ませ、朝8時ころオーディオ専門店に駆けつけました。もうすでに数十人の客が並んでいました。 いよいよ開店の午前9時、客は怒濤のごとく店内に入り、目的の商品の売り場に殺到しました。 私も、負けじと本機種SONY PS-X60を半額で購入しました。半額といいましても、定価が62,800円ですから31,400円。当時の私の月給は10万円そこそこですから、非常に高価な買い物でした。今思えば、妻がそうとう我慢してくれたと思っています。 そして、38年後の現在。愛機SONY PS-X60も、もう高齢のせいか、私と同様にあちらこちらガタが来ました。 【不具合】 1.回転計(ストロボスコープ)のネオン管が点灯しないため、回転数 の確認ができない。 2.プッシュスイッチ(小型タクトスイッチ)の接触不良など。 致命的なのは、プッシュスイッチが働かなければ、レコードプレーヤーは回転しません。また、すでに38年も経過している製品の部品はありません。 そこで、ヤフオクからジャンクのSONY PS-X60を3,000円で購入し、使える部品を、愛機に移植しました。 (右欄に移動) その結果、無事に、動作しました。38才若返った、とまではいかないまでも、10才は若返ったと思います。 私の寿命とSONY PS-X60の寿命、どちらが長いか勝負です。 札幌の冬はこれからが本番です。 皆さんも、風邪などひかぬようお過ごしください。 いつ死んでも来世がありますので、私は悔いはありませんが、家族と永遠に別れなければならないのは、辛いですね。 認知症になって、何も分からない状態で旅立ちたいと思っています。 それまでは、家族4人の生活を守らなければなりません。 そのためには、健康第一ですね。 では。 2017/1/30 石川栄一 |
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いよいよ12月、なんだかんだで今年も最終章に入ります。 皆さん、お変わりありませんか。 10月から11月にかけて、ソーラーパネルの架台の木部に防腐剤を塗ったり、庭の冬囲い作業に追われました。大した庭木ではないのですが、雪の重さで折れても可哀想なので。 それにしても、11月下旬(24日)のどか雪には参りました。札幌では44センチの積雪。11月としては62年ぶりの大雪だそうです。 除雪機を出すのに一苦労しました。何せ自宅の裏から玄関先まで、40センチ以上も雪が積もっている裏通路を、40mも移動させなければなりません。しかも、湿った重たい雪なので、なおさら重労働です。 1時間以上もかかって、玄関先まで移動させ、除雪を始めたところ、今度は雪の重さと、除雪機の軽さで、きれいに除雪が出来ません。 2~3回ほど同じ場所を除雪して、どうにか、人が歩ける状態になりましたが、通常の倍くらい疲れましたね。 それから、塀と庭木にイルミネーションを取り付け、何となく庭が華やかになり、近所の奥さんから「癒やしになりますね」と喜ばれ、満足しています。
今年も、「子供の貧困」について問題になりました。 厚生労働省から子どもの貧困率(2012年)について、調査の概要が発表されました。そのデータから見ると、現在の日本で貧困状態にある子どもは16.3%とのこと。つまり、子供の6人に1 人が貧困状態であるとされています。しかもこれは4年前の調査ですから、現在はさらに増加していると思われます。 しかし、子供自身が「自分は貧困だ」と感じるのは、いつ頃でしょうか。私が生まれた昭和20年代の頃は、周りがみな貧困でしたから、貧困生活が当たり前でしたね。 私も、「親がいつもそばにいて、腹一杯ご飯さえ食べられれば、幸せ」だったわけで、貧乏だとしても、別に不自由を感じなかったです。 昭和20年代、遊ぶ物と言えば、パッチ(メンコ)やビー玉で、そんなにお金はかかりません。パッチやビー玉は、一種のギャンブルですから、腕が強ければ、1個(1円~5円位で雑貨屋で売られていた)が10個、20個、30個・・・と増やすことができます。 但し、換金はありませんので、勝負に勝って、パッチやビー玉が増えたとしても、それがミカン箱ビッシリになるだけで、私はそれを見て自己満足したものです。 昭和20年代後期~昭和30年代になると、フラフープやホッピングが、流行りました。しかし、これは結構高価な遊び道具なので、私は買って貰えません。 そこで、近所の子供から借りて遊びましたが、結構難しく、フラフープはすぐに腰から落ちてしまい、ホッピングもバランスがとれなくて転倒したりして、なかなかうまく出来ません。 しかし、自転車はうまく乗れました。その前に三輪車の話です。 親から買って貰ったピッカピカで新しい三輪車に乗ろうとしたとき、自宅の隣に住む大柄の子供が、先に乗ってみたいと言うので貸してあげました。 最初はトロトロと走っていたのですが、市電の線路を横断しようとしたとき、前輪部分と後輪部分が真っ二つに分断されてしまいました。大柄の子供は、そのまま逃げていきましたが、私はいくら逃げたって、隣に住んでいるんだからと思い、この事を親に話しましたが、その後、どうなったか記憶にありません。これは、私が4歳くらいの時の話でした。 私が10歳くらいになると、自転車の乗り方を覚えました。しかし、最初の自転車は祖父が使っていた27インチと大型のもので、ペダルに足が届かないため、横乗りで乗りました。
私の人生で嬉しかったことが三つあります。 1.子供用自転車を買って貰ったとき。 2.国家公務員試験に合格したとき。 3.お見合いした相手から結婚の承諾を得たとき。 この中で、一番嬉しかったことは、私が小学4年生のときで「1.子供用自転車を買って貰ったとき」です。 いやー、自転車を取りに行く前日は、嬉しくて眠れなかったですね。「明日、学校を休みにして欲しい」、と神様にお祈りしたのを思い出します。 いよいよ、当日、学校帰り、自宅にランドセルを置いて、そのまま自転車を取りに、札幌駅まで走りました。 国鉄職員の父が、駅の公売から購入した子供用自転車を押してきたときは、夢かと思いましたね。 私は、直ぐさま、その自転車に乗って自宅に帰り、夕飯の時間まで自転車で遊びました。これは、もう60年も前の昔話です。 では。 2016/12/3 石川栄一 |
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前回の報告から2ヶ月経過しました。皆様、お久しぶりです。 この間、北大在職時の研究室(電気機械学第二講座・応用制御工学講座)の同窓会準備や北大OBが世話役を務める女声合唱団のコーラスの撮影と編集、DVD製作。そしてアシナガバチ退治でした。 まず、一番手こずったアシナガバチ退治からお話しします。
8月から10月にかけて、スズメバチくらいの大きさがある、アシナガバチ退治に追われました。
最初はスズメバチかと思い、札幌市役所に「蜂の巣の駆除と廃棄」に関する質問を行いました。 (札幌市役所宛て)
(札幌市保健所環境衛生課からの回答)
スズメバチは、害虫を捕るので「益虫」と言われていますが、アシナガバチも、自宅の庭に潜んでいるブヨや蚊を捕るので、少しは助かりました。それは、いつの間にか、ブヨや蚊が消えたのです。 これは蚊取り線香などより効果があり、アシナガバチ一匹いれば、殺虫剤を買わなくて済むので経済的だと考えました。 しかし、自宅周辺で遊んでいる子供も多く、ハチに刺されて怪我をしたら大変ですので、ハチトリトラップ(右欄参照)を作り、また市販のハチトラップも5個購入し、合計8個のトラップを庭に仕掛けました。 その結果、取れるわ取れるわ、2ヶ月間で退治したアシナガバチは、100匹以上かと思います。
そうこうしているうちに、手稲山の頂上付近が雪化粧する季節になり、アシナガバチの巣は、もぬけの殻になりました。 メデタシメデタシ これにて一件落着! 8月中旬に、もと原子工学科・図書室の女性から、本人が世話役をしている女声合唱団のコンサート撮影を依頼されました。 女性コンサートは2年に一度で、過去2回、撮影を行い、DVDを作成して、喜ばれていましたが、今回は、私の母の容態が不安定なことと、「もう歳なので長時間(2時間)の撮影は困難です」と断りました。 しかし「撮影してくれる人がいない」というので引き受けました。DVDの編集の方は、我ながら、うまくいったと自己満足しながら、女声合唱団のほうに渡しました。 今回のコンサートは 「20周年記念」と言うことで、DVDのケースのデザインなどを少し凝ってみたところ、非常に喜ばれ、久しぶりにやりがいを感じました。
今月下旬、2年ぶりに同窓会を開催することになり、今年もその準備を担当しました。 幹事の仕事は、案内状の作成・発送や会場手配、会の進行、写真撮影など、結構、手間暇がかかります。幹事をする人がいなければ、同窓会は自然消滅します。 そのため「同窓会代行サービス」という企業もあるようです。 私の場合、小学校時代のクラス会は、担任の先生が高齢になり、現在は中断になっています。 一方、中学校時代のクラス会や同期会は、活発な方々が中心になって、数年に一度ですが、なんとか続いています。 今なお続いているのは、共産党系の活動家や創価学会の幹部らが、献身的に頑張っているためかと思います。やはり同級生に、組織を動かす人がいれば、続くようですね。 高校時代のクラス会は、卒業後、数回開かれたのですが、担任の先生や電子通信など、専門科目の先生のほとんどが、お亡くなりになってから、もう20年以上開かれていません。消滅状態です。 このように、同窓会やクラス会は、同窓生の誰かが号令をかければ、行えると思うのですが、その号令をかける人がいなければ自然消滅してしまいます。
同窓会は、同研究室の同窓生らが中心に実施すべきなんですが、やはりそうなると、呼びかける人がいなくなり、自然消滅してしまうんでしょうね。 それよりも、あと数年後に後期高齢者になる私の方が、先に消滅してしまうかも知れませんね。では。 2016/10/13 石川栄一 |
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お久しぶりです。個人の近況報告など、興味が無いと言われる方が多いと思いますので、今回も簡単に述べたいと思います。 まず、最近の話から。最近と言いましても昨日(7/31)のことなんですが、朝、庭木に水をやろうと思って外に出たら、自宅の門前の歩道に何か長いものが横たわっていたのです。 よーく見たら、青大将のようなヘビでした。動かないので、ほうきで突っついてみましたが、ビクともしません。 ひょっとしたら、死んだふりをしているのではないかと、ふと、昔、父に聞いた話を思い出しました。それは、「ぐったりとしているヘビでも、川の水にいれたら元気に泳ぎだした」という話です。 そこで、私は、札幌市の道路情報管理室(休日・時間外の道路の維持管理・公園に関する緊急問い合わせ)電話:011-708-0303)に、多くの子供が歩く道のため、ヘビの処分を依頼したところ「札幌市にはヘビを取り扱う者がいないので警察の方に連絡してください」と言われ、札幌西警察署の電話番号(011-666-0110)を教えてくれました。 早速、西警察署に電話をしたところ、「ヘビの除去については、札幌市のほうに問い合わせてください」という返答だったため、私は「市の方から警察に連絡するように言われました」と答えたら、さっそくミニパトがやってきたのが、二階の窓から見えました。と、いきなり、「バーン!」という凄まじい音が町内に鳴り響きました。 私は、何があったのか、急いで外に出てみたら、どうやらミニパトがパンクしたらしいのです。 一方、ヘビのほうは、横たわったまま全く動かないため、警察官から、「このまま生ゴミと一緒に廃棄してください」と言われ、また「ヘビの件は市の方に連絡してください」と、西警察署と同様に言われてしまいました。 ヘビの対応について、”市は警察へ”、”警察は市の方に”というように、正式な担当はあいまいのようです。これが、もし、毒蛇のマムシやどう猛なヒグマだったら、どこに連絡すれば良いのでしょうね。 それはともかく、ミニパトのパンクですが、女性警察官が西警察署に応援を依頼していました。男性警察官のほうも、メカには弱いらしく、ジャッキアップの方法も知らないようでしたので、教えてあげました。更に、輪留めの代わりにペットボトルの容器を当てていたのには仰天しました。 パンクしたタイヤを見たら、スリップライン以下まですり減り、(《ベルト》ラジアル構造のトレッドとカーカスの間に円周方向に張られた補強帯)や(《カーカス》タイヤの骨格を形成するコード層の部分)がはみだしていました。 また、ミニパトの「バーン!」という凄まじい音にびっくりしたのか、近所の住民が数人集まってきて、パンク修理の手伝いをしました。 私のクルマの運転歴は40年以上になりますが、パンクの音を聞いたのは生まれて初めてです。 ヘビ騒動よりも、パンク騒動の方が大変でしたね。 私のクルマ、日産スカイラインは、定年退職と同時に廃棄し、6年前から妻名義のトヨタベルタに乗っていますが、そのクルマ、6年間に4回もリコール(設計や製造段階を原因とする不具合)が発生しました。 そのたびに、クルマを札幌トヨペット(デーラー)に持って行き、修理しなければならなかったのですが、そのために費やされた時間は数時間に及びます。 あげくに、エアコンが全く効かなくなったので、リコール問題とは関係ないかどうか札幌トヨペットのエンジニアに聞いたところ、「修理するには6万円から7万円、場合によっては15万円から16万円かかる」といわれました。 オーナーとしては、6年間に4回のリコールにより、数時間も時間を浪費しているため、エアコンの修理代くらいサービスしてほしいと思いますが、それも難しそうです。 そこで、私は、エアコンを修理しようと考え、工具や冷媒などを購入しました。カーエアコンガスチャージ(右の欄へ) 6月から7月にかけて、一番時間を要したのは二重窓の工事でした。 母の部屋(洋間と和室)、そして2階の台所と居間の4ヶ所は、10年ほど前にペアガラス化をしていますが、私の部屋は後回しになっておりました。 今回、インターネットで、安く工事をしてくれるところを見つけたので、早速、見積もりをお願いしたのですが、スピーカーボックスなどの大型家財が邪魔になり、外部からでなければ工事は出来ないと言うことで、その場合、足場を作らなければならないため、相当な費用がかかるということでした。 まあ、スピーカーボックスをよければ工事が可能ですが、40年間、1センチも動かしていないため、更に配線などが複雑に入り込んでいて、どうにもなりません。 仕方が無いので、自分で足場を作ることにしました。 準備したのは、「アルミ伸縮ハシゴ」、「折りたたみ式 万能ハシゴ」そして「はしご兼用脚立×2(手持ち)」です。その他、鋼管が1.5m×2本、2mが1本と接続金具類等です。
足場の高さは2.5mくらいで、大したことは無いのですが、上から下を見ると、ちょっと怖いですね(上の写真)。 二重窓(内窓ペアガラス)の工事自体は、約1時間で終わりました。足場作りに3週間。二重窓工事に1時間。この差は大きい。 私がまだ北大に在職し、収入に余裕があれば、すべて業者にお願いしたかも知れませんが、現在の収入は現役時の約1/3しかないので、自分で出来ることは自分でやるしかありません。
母が入院して、1年と2ヶ月になりました。3月の容態悪化と比べると、現在は小康状態です。 端的に言いますと、89歳という高齢と心不全のため、病状は悪くはなっても、良くはならない、ということです。 私は退院は無理でも、外泊が出来ないものかと願っていますが、血圧が相当低いようなので、今のところそれも叶いません。 しかし、母の容態を考えると、外泊は寿命を縮めるかも知れませんね。では。 2016/8/1 石川栄一 |
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たいへんご無沙汰しております。 札幌は、3月中旬から雪が融けはじめ、4月下旬には自宅の桜が開花し、ようやく新緑の季節に入りました。この季節が、暑からず寒からずで一番過ごしやすい時期ですね。
ところで、母が「心不全」で入院してから、今月29日で一年になりますが、 3月下旬から、母の容態が悪化しました。一時は危篤状態になりましたが、現在はやや落ち着いています。 主治医(院長)の説明では、「心不全」の上、腎臓にも異常があるため、年齢(満89歳)を考慮すると、延命治療はしないとの事です。 私も覚悟を決めて、葬儀場を回ったり、親戚が住職をしている寺(曹洞宗の禅寺)に挨拶に行ったり、また、母のメモリアルビデオ(スライド)を作成したり、結構、忙しい日々を送っていました。 そうこうしている内に、母は日に日に元気を取り戻して行き、看護師の言によると、現在は、一人で食事をできるようになったとのこと。しかし、歳が歳ですので、いつどうなるかは分かりません。
身内の不幸は続くもので、先日、従兄弟の嫁さんが膵臓癌で亡くなり(享年54歳)、葬儀に出席しました。まだ若いし、これからも長く人生を楽しめるのに、お気の毒です。 通夜のお経は、マイクのスイッチが入っていなかったせいか、よく聴き取れなかったですね。まあ、聞こえても意味が分かりませんが。 告別式のお経は、僧侶の声が大きいので、マイクは必要なかったように思います。 僧侶がジャーン、ジャジャーンと鳴らした銅鑼(ドラ)の音を聴くと、青函連絡船の出航を思い出します。懐かしいですね。 輪廻転生を祈ります。
先月下旬から、40インチの液晶テレビ(三菱 LCD-40ML4)の調子が悪くなり、今月上旬、とうとう壊れてしまいました。昔のテレビのように配線図があれば、私でも直せるかも知れませんが、現在のテレビはお手上げです。 買ってからまだ2年しか経っていないので、早速、三菱のサービスに電話で修理をお願いしたのですが、インターネットでいろいろ調べてみると、修理代が数万円以上(出張料だけでも4~5千円)と、相当かかりそうなので、修理をキャンセルし廃棄することにしました。 しかし、廃棄するにも、結構お金がかかります。 そこで、インターネットのオークションに「引き取り限定」で、開始価格100円にて、かけることにしました。これですと、うまくいけば「タダで処分」することができます。 これからは、家電でも何でも、廃棄するときの費用を考えて、購入すべきでしょうね。 ところで廃棄する場合、一番経費がかかるのは、やはりクルマでしょうか。いや、それ以上経費がかかるのは、家屋かも知れません。空き家が増えている理由は、取り壊す費用が相当かかるからでしょう。 古い家(木造・住宅用の法定耐用年数は22年)は、物好きでもない限り、なかなか買い手が付きません。そこで、土地を売るために、更地にしなければなりません。このための費用が、家屋の大きさにもよりますが、一般的な住宅で、200万前後かかるそうです。 しかも、更地にした場合の固定資産税は、家屋があった時の数倍になります。従って、土地が売れなければ、高くなった税金を納め続けなければなりません。このとき、貧困層でも、地主(資産家)の気持ちが分かることになるでしょうね。
最初にも述べましたが、いまが一番いい季節ですね。 しかも、私が住んでいるところは海抜150メートルで、風通しも良いので、エアコンの必要もありません。いくら暑い日でも、夜は涼しくなるので、網戸とうちわがあれば十分です。 北電は、泊原発の再稼働だとか、テレビで盛んに宣伝しておりますが、事故を起こしたときの対応も出来ないし責任も取りません。これは、福島第一原発事故の例を見れば分かります。現在でも避難者数は10万人を数えます。 これからも、道民はどんどん減少し、高齢化が進むとともに、電力の需要も減り続けます。従って、原発は必要ありません。 食糧基地北海道を守るため、泊原発の再稼働を阻止しましょう。 では。 2016/5/11 石川栄一 |
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ご無沙汰しております。 札幌も雪解けが進んでおりますが、海抜150メートルの自宅周辺は、まだまだ雪の山に埋もれております。
自宅の庭の積雪は、まだ1メートル近くあります。屋根から落ちた雪がその半分程度ですから、札幌中心部から比べると、積雪の多さが分かります。これでも、例年よりも少ないそうです。 例年ですと、完全に雪が融けるのは4月下旬です。まあ、これは海抜150メートルの自宅周辺の話で、札幌の積雪がゼロになるのは、4月上旬です。 雪が多いのは、子供のころから慣れておりますが、歳を取ると除雪作業は堪えますね。しかし高台なので、洪水の心配はありません。 また地盤が良い(岩盤)ので、地震には強いですね。震度1や2ではビクともしませんし、震度3~4では多少揺れる程度です。札幌の場合、過去に震度5以上の地震は無かったようなので、今のところは安心しております。 しかし、同じ札幌市内でも、地盤が悪いところ、特に手稲や屯田・篠路方面(元は泥炭地や畑地)に住んでおられる方は注意が必要です。私の親戚が建築業をやっていた50年以上前、「棟上げ式」の翌日に工事に行ったら、家が傾いていたとか、タバコの吸い殻を捨てたら、泥炭地の地面が燃え出した、という話を聞いたことがあります。 現在、その地域には大きなマンションや住宅が多数建ち並んでおりますが、果たして、くい打ちがきちんとなされているのか心配です。
「前壁中隔梗塞」の疑いがある。 昨年の9月に、「歯茎の潰瘍」を北海道医療センターの耳鼻咽喉科で診てもらったところ、異常なしと診断結果があり、一応、安心はしておりますが、どうもいつまでたっても歯茎が重苦しいため、長年のかかりつけの医者である北大病院の消化器内科の主治医に質問したところ、「心臓のほうに原因」があるかも知れないと言われ、同病院の循環器内科に紹介状を書いてくれました。 また、自宅近くの医師にも、心電図の波形が「前壁中隔梗塞」の疑いがあると診断されたため、心臓CTの検査を2回(謝金扱い)受けました。 その結果、動脈硬化が見られるため、心臓カテーテルの検査を勧められたわけですが、多少のリスクを伴うようなので、循環器内科の医師に「心不全で入院している母の容態を考えて検査を受けたい」と伝えておきました。 その理由は、私が先にポックリ逝ったら、母の医療費の支払いや、外泊したときの介護、もしもの時の役所への各種手続きなどが出来なくなるため、やはり、心臓カテーテルの検査は、万全な健康状態で臨まなければなりません。まあ、万全な健康状態なら検査など受ける必要もないと言われそうですが。
母の容態 母が心不全で入院してから9カ月が経過し、3月8日で89才になりました。当日、叔母と伯父が誕生祝いを兼ねて見舞いに来ました。 夕方には、私の弟と姪(母から見て孫とひ孫)の家族が見舞いに来て、家族写真を置いていきました。 母と叔母は、2つしか歳の差はありませんが、入院している母を見ていると10歳以上、離れているように見えてしまいます。 特に、入院すると倍速か三倍モードで歳を取るように思えます。
2016/3/16 石川栄一 |
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遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。 正月の三が日、弟の家族や姪の家族が挨拶に来た際、姪の子供にお年玉を渡したとき、一番下の子が「なーんだ、紙のお金か」というのです。どうやら子供は「硬貨」のほうが喜ぶようです。
私のほうは盆や正月関係なく、かわり映えがしない日々を過ごしていますが、日を追うごとに体力の低下を感じます。これも歳のせいだと諦めています。日常的には、ツイッターやホームページなどで、ストレスを解消しております。 私のような一般人が、言いたいことを言っても、体制には全く影響はないと思いますが、それさえも言えなくなったとき、日本は取り返しがつかない方向に向かうのでしょうね。 さて、札幌は、例年よりも雪が少ないようですが、氷点下の真冬日が続いております。雪が少ないと言っても、自宅周辺には、40センチ以上の雪が積もっております。
子供の頃は、冬になると夏が懐かしくなり、夏になると冬が懐かしくなったものです。初雪が降ると、すぐにスキーで遊びましたが、数センチの積雪では、地面の土にスキーの跡が2本クッキリと残りました。 また、小さな雪山を作り、ジャンプにもチャレンジしました。 ジャンプと言っても、飛行距離は1メートル程度ですが、子供の頃はそれでも楽しかったものです。何せ、テレビもゲーム機もない時代でしたので、冬は、スキーかソリで遊ぶしかありません。 ソリと言えば、馬ソリを思い出します。昭和20年代初期は、トラック(当時はオート三輪が多い)と同じくらい、馬ソリが走っていました。走るといっても、人間の歩く速さと同じくらいの速度です。 ソリの床はスノコ状になっていて、馬がソリを引くと、地面が動いて見えるのです。本当はソリ(自分たち)が動いているのですが、天動説のよう見えます。 当然と言えば当然なんですが、子供にとっては、それにスリルを感じ、楽しかったですね。このように、タダで馬ソリに乗れたのは、昭和の人々の心に、助け合いの精神と人の良さがあったからなんでしょうね。 この事を、室蘭出身の妻に話すと、「札幌は田舎だったんだね。室蘭では、大型トラックがバンバン走り、馬車や馬ソリなど見たことがありません」などと言うのです。 確かに、昭和の室蘭は、富士鉄(新日鉄)や日鋼(日本製鋼所)などを中心とした工業が盛んで、馬車や馬ソリでは、非能率的で、仕事にならなかったんでしょう。 その点、札幌では、私が住んでいた中央区でさえ、多くの馬車や馬ソリが行き交い、牧歌的な雰囲気がありました。 ただ一つの問題は、春になったら吹く「馬糞風」でしたが、当時の札幌市民は大らかで、それほど気にはしていないようでした。そういえば、馬車や馬ソリは、しばらく見ていませんね。
「母の容態」 まず、払いすぎた『食事療養費』は、広域連合(北海道後期高齢者広域連合)から還付(2015.12.15)されました。 しかし、どういうわけか、5万円ほど値切られました。やはり、病院をクビ?になったソーシャルワーカーの説明を、キチンと聞くべきでしたが、「(ソーシャルワーカーから)自己負担限度額の制度」の説明が全くなかったので、聞きようがありませんでした。 ま、いいか・・・これにて一件落着!。 母の容態ですが、それほど良くもなく悪くもなく、なんとか生命を保っている状態です。しかし歩けないため車椅子を常用しています。 昨年の暮れに、年末年始は自宅に外泊させることも考えたのですが、やはり、風邪でも引かせたら、肺炎を起こし、命取りになるため、暖かくなるまで待つことにしました。 札幌は、これから2月にかけて、どんどん寒くなるので、ホームページ上では暖かい話をしたいものです。では。 2016/1/14 石川栄一 |
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先月の下旬、札幌にも大雪が降りました。 札幌で44センチの積雪 11月としては62年ぶりの大雪に。 北海道ではきのう24日から雪が降り続いている。今シーズンはこれまでほとんど雪が降っていなかった札幌でも、きょう午前に44センチの雪が積もり、一日で雪景色へと変わった。札幌で11月に積雪が40センチを超えるのは、1953年以来62年ぶりのことだ。 (ウェザーマップ)より しかしながら、その後は、積もるような雪が降らず、札幌市内中心部に積もった雪はほとんど融けて、現在は小康状態です。 札幌西区の高台にある自宅の周りも春先のような感じです。例年なら雪が降ると根雪になるはずですが、今年は暖かいんでしょうね。
いま、地球温暖化が問題になっていますが、北海道の寒冷地に住んでいると、地球の温度が更に10度くらい上がった方が良いように思えてきます。 南極の氷が溶けてなくなると、現在より海面が40~70m上昇すると考えられているようですが、私の自宅は海抜150mのところに建っているので全く問題はありません。 しかし、そうなると、札幌市内の大部分は、海に沈んでしまうんでしょうね。当然、海外の主要都市や太平洋の島々も、海の藻屑となってしまうでしょう。 ちょうど、強大な軍事力を背景に「世界の覇権」を握ろうとしたものの、ゼウスの怒りに触れて、海中に沈められたとされている「アトランティス」のようにです。 現在21世紀でも強大な軍事力を背景に「世界の覇権」を狙っている国は多々ありますが、災いはそれらの国のみにして欲しいものです。 そうならないためにも、地球温暖化に備え、今から「海中都市計画」を立てた方が良いかも知れません。 そもそも、100万年前の日本列島は、大陸と陸続きで、隆起したり、沈み込んだりして、現在の日本列島が誕生したわけですから、今後、100万年後に日本列島が存在しているかどうかは、神様でも分からないでしょうね。
「年賀状」 そろそろ、年賀状を書いて出さなければならないと思っていますが、今年は「喪中葉書」が多いですね。現時点で12通も届いています。すべて私の関係ですが、そのうち、10名の方が90歳~99歳で亡くなっています。大往生ですね。安らかにお眠りください。 90歳以下の方では、71歳で亡くなられた私の先輩(事務局専門員のO氏)がおります。先日、ご自宅まで「弔問」に行って参りました。 O氏は、国家公務員上級甲種の資格を持っており、北大事務局の幹部候補の一人でしたが、交通事故で視力を失ってから「音声認識システム」に頼らなければ、仕事が出来なくなってしまい、本人にとっては無念だったと思います。 しかし、現役中から退職後も、国内や海外のマラソンや北大事務局関連主催の各種会合にも参加して、充実した人生を送られたように聞いております。 O氏には、昭和43年に「北工会レコード鑑賞会(北大工学部のサークル)」の立ち上げ時に、たいへんお世話になり、また「北工会秀岳会(同)」でも、様々な山行でお世話になりました。 O氏のご冥福をお祈りします。 (映像と音声は当時1970年のものです。)
「母の容態」 母が心不全で入院してから半年が経過しました。今、現在は安定しており、どうにか年を越せそうです。しかし、リハビリの回数が減ってきており、身体の自由も利かなくなってきたようです。 当然、まともに歩くことさえ出来ないので、今年の介護認定で「要介護3」になってしまいました。「要介護3」以上になると特養(特別養護老人ホーム )に入れる資格があるのですが、介護のレベルが上がるほど諸経費も上がるので、それほどメリットはなさそうです。 そもそも特養待ちの方が大勢いますので、現時点では入所は無理でしょう。その前に「特養」より先に「来世」へ旅立つかも知れません。こちらの方が、可能性が大きい。 「えっ!あのソーシャルワーカーがクビに?」 前回、ここで「自己負担限度額の制度について」下記のように記載しました。 (要旨)制度【区分1(住民税非課税世帯)】を知っていたら還付するが、知らなかったら還付しない(北海道後期高齢者広域連合の説明) つまり、北海道後期高齢者広域連合の説明では、届け出が遅れた理由が、ソーシャルワーカーの説明の有無や、理解の有無等は理由にならず、やむを得ない事情、例えば出張や長期入院等で、区役所に届け出が遅れた場合に限り、支払いすぎた分は還付します、とのことです。 ちなみに、私の母の場合、「現役並み所得者」と「区分I(住民税非課税世帯)」とでは、その差額分で、月々約7万円以上多く支払ったことになります。 この事が原因かどうかは、詳しくは分かりませんが、担当のソーシャルワーカーが病院を辞めました。 私としてみれば、何となく後味が悪いですね。しかも、還付申請してから2ヶ月になりますが、払いすぎた『食事療養費』は、まだ北海道後期高齢者広域連合から還付されません(2015/12/14時点)。 今年のものにならないように思います。 「医療費」や「食事療養費」は、取るときは、さっさと取るのにね。 ではまた。 2015/12/14 石川栄一 |
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早いもので、もう11月。庭木の葉も落ち、先日、落ち葉拾いをして袋詰めを行いました。ビニール袋に詰めて今月のゴミ(枝葉類)回収日に出す準備が整いました。冬囲いはこれからですが、冬を迎える庭は何となく殺風景ですね。
早い話が、「歯茎の潰瘍」の原因が分からないため、治療の方法がないということです。まあ、常時、痛むわけではないので、痛いときにボルタレンやロキソニンといった中枢神経用薬で抑えるのですが、これらの痛み止めは胃に悪いので、なおさら「歯茎の潰瘍」が悪化するのではないか、と”不安”です。また、この”不安”が、胃にも影響し更に「歯茎の潰瘍」が広がるようにも思えます。
■母の容態 母が心不全で入院してから、5ヶ月が経過しました。 十月の中旬(10月18日頃)、母の両手に青たんが出来て、かなり痛がっており、特に右手が動かせない状態でした。この事で、病院の看護部長は、私に謝るだけで原因を話しません。 このような状態では食事も出来ないようなので、翌日、看護師長に「母の両手の自由が利かなくなった原因が分からない場合は、整形外科病院の方に転院させてください」に伝えると、「来週の月曜日(10月26日11:30)に主治医(院長)の方から説明します」という答えでした。 そして当日、私と妻、そして弟夫婦と4人で、母が入院している病院に行き、主治医(院長)の説明を聞いたところ「腎臓の働きが弱まったため、 血液の循環が悪くなり、両手に鬱血を起こした」との事でした。 妻と弟夫婦が、この説明で納得したので、私は、それ以上は追求しませんでしたが、もしそうなら、看護部長がなぜ私に謝ったのか不自然です。いずれにせよ、現在、母の両手は利くようになり、痛みも和らいだようなので、ひとまず安心しております。 ■自己負担限度額(月ごとの負担の上限額)の制度について 制度【”区分1(住民税非課税世帯)”】を知っていたら還付するが、知らなかったら還付しない(北海道後期高齢者広域連合) 次は、母の入院費のことで、何かキツネにつままれたような事態がありました。それは、毎月11万円以上支払ってきた母の入院費についてです。 入院費のうち、『医療費』については、払いすぎた差額分は届けなくても還付されますが、『食事療養費』については、制度【”区分1(住民税非課税世帯)”】を、知っていたら還付するが、知らなかったら還付しない、とのことです。 今年の5月に、母が心不全で倒れ、入院となった当日、病院のソーシャルワーカーから入院費について説明を受けました。そのとき私は、母が生きるか死ぬかという瀬戸際だったため、気が動転して、ソーシャルワーカーの説明がよく理解できず、そのため「現役並み所得者」の負担になってしまった訳です。現在、北海道後期高齢者広域連合に『食事療養費』の払いすぎた分の還付請求をしております。 北海道後期高齢者広域連合の説明では、届け出が遅れた理由が、ソーシャルワーカーの説明の有無や、理解の有無等は理由にならず、やむを得ない事情、例えば出張や長期入院等で、区役所に届け出が遅れた場合に限り、支払いすぎた分は還付します、とのことです。 ここを読まれている私の知人、友人の方には強く申しておきます。 高齢になって入院した場合、払いすぎた分があれば、『医療費』は届けなくても還付されますが、『食事療養費』については、制度【”区分1(住民税非課税世帯)”】を、知っていたら還付するが、知らなかったら還付しない、ということですので、十分な注意が必要と思います。 ちなみに、私の母の場合、「現役並み所得者」と「区分I(住民税非課税世帯)」とでは、その差額分で、月々約7万円以上多く支払ったことになります。 いずれにしても、病気ほどバカバカしいものはないですね。楽しいことをして、お金がかかるのならともかく、何せ、痛い思いをして、お金がかかるのですからね。それも半端じゃない。 さあ、今日も元気にいきましょう。 ではまた。 2015/11/02 石川栄一 |
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私も団塊の世代ですが、この歳になると、あちらこちらにガタが来るものです。5年ほど前、北大病院の歯科に「左ほっぺたの異常(感覚が鈍い)」を訴えたところ、入れ歯が合わないのが原因らしく、治療を始めてもらいました。
ところが、2年ほど前から右下の歯茎が痛むようになり、医師の紹介でJR札幌病院でMRIの検査を受けましたが、「異常は見当たらない」とのことで、入れ歯の治療を続けておりました。 そうした中、今年の8月頃から右下の歯茎の潰瘍が拡大してきたため、いつもかかっている近くの医院の医師(北大病院循環器内科出身)に診てもらったところ、「膠原病」か「カビ」かもしれないと言うことで、北海道医療センターの耳鼻咽喉科に行くよう、紹介状を書いてくれました。
翌日(9月上旬)、北海道医療センターの耳鼻咽喉科に行き、診てもらったところ、『「膠原病」でも「カビ」でもない、一番可能性があるのは「悪性腫瘍」です』と言われ、メス3本で献体を取られました。医師のテーブルの上には、大きな箱の中に100本位のメスが入っていたのには驚きました。 私は、今はすぐに「癌の告知」をするんだ、と思っていたら、妻から「癌でないから告知をするのよ」と言われ、一応安心しています。 結果は「一週間後に出ます」と言われたため、何となく落ち着かない一週間を過ごさざるを得ませんでしたが、結果が出ると言われた当日、北海道医療センターの耳鼻咽喉科行き、医師の診断結果を聞くと、「あと一週間かかります」と言われガッカリ。その日は抜糸だけでした。 そしてまた落ち着かない一週間を過ごし、二週間目に医師の診断結果を聞いたところ、「悪性腫瘍ではありませんでしたが、悪性リンパ腫の可能性がゼロではないので現在検査中で、結果は二週間後に出ます」というのです。 とうとうまた、落ち着かない二週間を過ごすことになり、予定では明日(9月28日)結果が出ます。しかしこの調子では、潰瘍の原因の検査はまだまだ長引きそうです。 仮に、悪性リンパ腫だったら抗がん剤や放射線治療をしても、私の生命はそう長くは持たないでしょう。また、悪性リンパ腫ではないとしても、潰瘍の原因が分からないため、治療の方法がないと言うことになります。 しかし、北大歯科では「入れ歯が合わないのが原因」ということで5年間(歯茎が痛むようになってから2年間)も治療し、近くのかかりつけの医院では「膠原病」か「カビ」かもしれないと言われ、北海道医療センターでは「悪性腫瘍や悪性リンパ腫の可能性」などなど、テレビで有名な医師が言っていたように「高齢化社会では、訳の分からない病気がたくさん出てくる」と言うのは本当のようです。 ■ 国勢調査の思い出 今月、町内から国勢調査の説明書を受け取りました。いわゆる「スマート国勢調査」というものです。インターネットで回答するわけですが、数分で終わりました。いやー簡単になったものですね。 国勢調査といえば50年前を思い出します。それは、私がまだ高校生の頃、1965年に国勢調査がありました。私は叔父の紹介により、北海道庁でアルバイトをすることになりました。 当時、北海道の国勢調査の本部である道庁企画部は、中島公園の池の畔にありました。12月も下旬だったので、公園の池はスケートリンクになっており、若い職員は昼休みスケートを楽しんでいました。 私はスキーは得意でしたが、スケートはまったくダメで、スケートを付けてまともに立つことさえ出来ません。
1月に入ってから、若くて可愛い女の子(当時、アイドルであった由美かおるにそっくりな16歳くらいの女性)がアルバイトとして採用され、私と同じ係で仕事をすることになったのです。 国勢調査の調査票は、各市町村から道庁の企画部に集められました。私達はそこで、必要事項が調査票にきちんと記入されているかどうかを確認し、誤記やマークの仕方などを修正後、段ボール箱に詰め、総理府統計局(現在は総務省統計局)に送る準備をしました。 箱詰めされた調査票は、段ボール箱で数百個にもなり、倉庫の中に高く積み上げられました。最後は、荷札に、差出人である「北海道庁企画部の住所」のゴム印を押す仕事でした。 1日がかりで、私と女の子で荷札にゴム印を押して、ようやく終わった頃、係の主任が深刻な顔をしながやってきました。 主任は私たちに、ゴム印に誤りがあると言うのです。 そこで私は、ゴム印を押した「荷札」をよ~く見ると、差出人の住所(都道府県名)が「北海道」ではなく「北道道」になっていたのです。それを見た私と女の子は呆気にとられました。 主任は「何百枚もゴム印を押していて気づかなかったの?」と言いましたが、私は「まさか、ゴム印の都道府県名が間違っているとは知りませんでした」と答えるしかありませんでした。 そして私は「ゴム印を押し直しますか」と聞きましたが、主任は「ゴム印を作り直さなければならないため、もう締め切りに間に合わない」と残念そうに言い残して席に戻って行きました。 そもそも、これは誰の責任なんでしょうね。 1.ゴム印を発注した主任の責任か? 2.ゴム印を造ったハンコ屋の責任か? 3.ゴム印を押した私と女の子の責任か? ....それは今でも疑問です。 やがて、冬休みも終わり、女の子とも別れなければならなかったので、多少残念でした。 あるアルバイトの女子大生から「可愛い女の子と別れて寂しいでしょ?」などと、からかわれました。 1965年の国勢調査によると、当時の札幌市の人口は約80万人でしたが、それから50年が経過した現在、人口は190万人を突破しました。これは、1965年当時から110万人以上も人口が増えたことになります。 北海道では過疎化が進み、道民の多くは、生活に便利な札幌経済圏に集中しています。ある統計学者の言によりますと、今後、20年以内に、道民の70%以上は札幌経済圏に集中し、また、その70%以上が65歳以上の高齢者になるとのことです。 札幌市は将来、人口200万人の「巨大老人都市」になるようです。 ■ 介護老人保健施設
母が入院してから、今月で早くも4ヶ月目になり、病院のソーシャルワーカーから、介護老人保健施設に移るように準備をしてほしい旨、言われたため、自宅近辺の数ヶ所を見学してきました。 比較的利用料が安く長期入所が可能な「特別養護老人ホーム」も見学させてもらいましたが、待機者が多いため難しいようでした。 そこで、介護老人保健施設を当たったところ、自宅近くに三ヶ所ほど施設があり、その中の一ヶ所に申し込んでおきました。 ところが、先日(9月24日)、母の主治医から病状などの説明があり、主治医は「介護老人保健施設に移るように指示した事は一度もない。このまま治療を続けるように」と言うのです。 主治医の説明を聞くために同席した私の兄弟や叔母は、ソーシャルワーカーと主治医の話の食い違いに疑問を感じましたが、主治医の説明を信じ、このまま治療を続けてもらうことになりました。 自宅も、母がいつ外泊や退院しても良いように、段差をなくし、ソファーベッドを置き、布団を新調、小型の車いすも購入しました。 また、母の部屋とトイレに緊急用の「呼び出しチャイム」をセット。 これでどうにか、準備万端なんですが、果たして母が外泊や退院ができるかどうか心配です。またそれよりも、明日の北海道医療センターの検査結果が心配です。 しかし、ヒトが死んだら、金持ちも貧乏人も、皆ガイコツになるのです。ヒトの死亡率は100パーセント。ヒト様に迷惑をかけずに、清く、正しく、楽しく生きましょう。 ではまた。 2015/09/27 石川栄一 |
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札幌では、暑い日が続いた夏も終わり、朝晩は肌寒くなり、一気に秋に突入したように感じます。皆さんお変わりありませんか。 先月(7月)上旬は、アマチュア無線局の免許更新で何かと慌ただしい日が続き、締め切りに、ぎりぎり間に合わせることが出来ました。 その訳は「総務省 電波利用電子申請届出システム Lite」を利用して更新すると、再免許の申請手数料が通常、3,050円のところ、電子申請の場合は1,950円と、1,100円ほど安くなります。 そこで私は、最近は何かと出費が嵩んでいるため、1,100円を節約しようと思い、電子申請を行いました。しかし、総務省北海道総合通信局からの返答がなかなか届かないことと、締め切り日が迫っていたため、文書にて通常の申請も行いました。 その翌日、総務省北海道総合通信局から「電子申請と通常の申請」がダブっているとの電話があったため、時間がないため、電子申請を取りやめ、通常の申請(手数料3,050円)に変更する旨、伝えました。 まあ、1,100円を節約するために、2週間ほど時間を無駄にしたと言うことです。「時は金なり」・・・もったいない事をしました。
これは、免許がいらない携帯電話やスマートフォンが、一般に普及したことが大きな原因と思われます。 次の報告ですが、5年ぶりに、メインのPCを、新規購入(購入日: 2015/7/11)しました。機種名は、DELL XPS 8700で、結構、高速のものです。 今までのPCでも、それほど不足はなかったのですが、ホームページビルダーに、少々ストレスを感じていたので、思い切って買い換えました。
これが、私の人生で最後のPCになるかも知れません。 私のPC歴は、勤務先の大学の実験において、1977年のマイクロコンピューターSDK-80KIT(CPU インテル8080A)の製作が切っ掛けです。その後、SDK-85(CPU インテル8085)、SDK-86(CPU インテル8086)とグレードアップします。 一方、パソコンの分野では、シャープのMZ-80K「1978年当時、クリーンコンピュータとして、OSがテープで供給された。当時はBASIC(ベーシック)が主流」を購入したのが始まりです。 1980年代、NEC日本電気のPC88とPC98シリーズの全盛時代に、PC-8001mkIIを購入。そして、PC-9801Fに買い換え、グレードアップ。この頃のOSは、MS-DOSとスタンドアロンBASICです。 1992年にはアップル社のMacintosh II siを購入し、Macintoshにのめり込み、Power Mac6100/60AV、Power Mac8100/80AV、Power Mac9500などを経て、Power Mac G3、G4、G5と格上げ購入。 一方、WindowsPCでは、マイクロソフト社のWindows 95の発売と同時に、富士通 FMV-DESKPOWERを購入。更にSOTEC(ソーテック(旧)工人舎) PC-Station(1999年)と変遷し、2000年頃からマイブランドのWindows PCの制作に着手。現在に至ります。 この三十数年間、PCに投資したお金は、数百万円に上ります。 今回、新規に購入した、DELL XPS 8700の感想ですが、まず起動が速いことです。1分以内で起動完了します。 各種アプリケーションの起動も速いです。購入の切っ掛けになったホームページビルダーのストレスですが、更新や保存では、体感的には、多少早くなったように感じます。 次の報告は、入院している母の容態です。 心不全の症状も和らぎ、現在は落ち着いています。ただ、もう歩けないようです。 母は毎日のように、リハビリは受けているようですが、歩くという気力は全くなさそうです。私も時々、リハビリの様子を見学していますが、やはり歩くのは辛そうです。現在は、マッサージ中心になっています。 入院当初は、毎日のように見舞いに行きましたが、現在は週に2~3回程度の割合で見舞いに行きます。私はその都度、「早く退院できるといいね」と問いかけるんですが、母は、家に帰ると、身体中が痛くなると思っているせいか、退院したいとは言いません。 母はこのまま、入院生活になりそうです。 これは、病院からの7月分の入院請求書です。
母が心不全で倒れて、ひとつ分かったことがあります。それは、私の親族の本心です。 いままで、高齢の母のことを気遣っているかのように、声をかけてくれていても、今回のように、心不全で倒れても、知らんぷりになってしまう親族がいることです。まあ、それが人間なんでしょうね。 ではまた。 2015/08/28 石川栄一 |
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2年ぶりの近況報告です。 空白の2年間、いったい何をやってきたのかと言いますと、主に、自家発電のためのソーラーパネルの取り付けと配線。 いやー重労働でしたが、電気代が月5千円以上節約できるので、自己満足しております。 そして、毎日のように、ホームページの制作とメンテナンスをしておりました。
他にもいろいろありますので、思い出したら後日、報告します。 それからこの2年間、私の親戚に不幸が続きました。 まあ、この歳(自家用車はもう少しで「枯葉マーク」です)になると、結婚式よりもお葬式のほうが多くなるものです。 しかし、昨年の6月に、10年(それ以上かな)ぶりに私のいと子の結婚式があり、出席させていただきました。いと子と言いましても、私の娘と同じ年齢です。懐かしかったですね。懐かしいというのは、いと子や親戚に会ったことではなく、結婚式に出席したことと、独特としたあの雰囲気が懐かしかったですね。 しかし、不幸は忘れた頃にやってきます。 直近では、一昨年、元道職員の叔父が亡くなり、その1ヶ月後には、別のいと子の夫が亡くなり、昨年は、義妹の親が亡くなり、というように不幸が続きました。 そして、今年(2015年)の5月、私の母が心不全で入院しました。 今年の4月頃から、身体のあちらこちらが痛いと体調の不調を訴え、4月下旬には、右足に血腫ができて、JR札幌病院で手術を受けました。 しかし、母の体調は回復せず、とうとう、身体の自由が利かなくなってしまいました。 やがて、食事も出来なくなったため、近くの病院に連絡を取り、母を搬送しました。いやーー、身体が動かない人間というのは、非常に重たいものですね。クルマに乗せるのが大変で、私と妻と娘と三人がかりでようやく乗せました。いや、乗せると言うよりも、押し込んだといった方がよいかもしれません。 病院に着くと、女性看護師が車いすを用意して待っていました。 そして、そのまま、医師の診察を受けたのですが、「心不全と脱水症」で、即入院という事になったわけです。主治医からは「今までよく頑張って介護してきましたね。もう限界ですね」と言われました。 現在、母が入院してから40日経ちました。いまは、心不全の症状も和らぎ、安定した状態です。食事もきちんと食べられるようになりました。 今はひとまず安心なんですが、八十八歳を過ぎていますので、八年間患ってきた認知症とも重なり、急速に老化が進んでいるようです。言葉ではうまく表現はできませんが、ユニセフのコマーシャルに出てくる人々のように、やせ細ってガラガラです。 また母自身も、退院は無理と覚悟しています。 幸い、病院が、自宅からクルマで3分というロケーションなので、毎日、見舞いに行っております。 今一番心配なのは入院費です。心不全には介護保険は、あまり関係なさそうです。介護の等級(レベル)が高いほど、入院費が高くなるのは意外でした。確かに、看護師や介護士の手間が掛かるので当然と言えば当然ですが、私の母の場合は「要介護2」ですので、いくらか安くなりそうです。
想定外だったのは、高額な入院費(医療費や食費などに月10万円以上)です。そのため、母の年金と預貯金がすべて入院費に消えそうです。 私も、残される家族には、経済的な負担をかけないよう心がけたいと思っています。少なくとも、直葬でもよいので、葬式代くらいは残したいと考えておりますが、計画通りにいかないのは世の常ですね。 では、また。 2015/07/09 石川栄一 |
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2013年までの報告はこちらです。 2010年から2013年まで近況報告 |
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