写真集

 昭和の札幌T

札幌近郊も含みます
白黒写真をカラー化

自宅前の風景
昭和20年〜昭和30年代
札幌市北4条西20丁目
自宅の屋根の上から撮影
現在の札幌市中央区北4西20
Googleマップ ストリートビュー
今日(2026/7/13)、朝から修正しました。 サイズも4000×2334Pixelと比較的大判にして見や すくしました。但し、鮮明ではありません。  この風景は私が産まれてから北区に移転するまで、 12年間に渡り、毎日のように見た景色です。 市電、雑貨屋、たばこ屋、桑園市場(お焼き屋、 貸本屋、寿司屋、駄菓子屋)そして消火栓や自転 車など、一つ一つ忘れられない思い出があります。
☆E.Ishikawa☆
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昭和(元号)を西暦に変換するには、『昭和(元号)+1925』です。 例えば、昭和15年の西暦は、『15+1925』で西暦1940年です。
札幌市の昭和20年代〜30年代は、区政ではありません。札幌市が政令 指定都市になった1972年4月1日 昭和47年4月1日から区政になります。
昭和の札幌
母(当時11歳)と叔母 昭和13年5月16日 札幌グランドホテルに於て
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賀陽宮妃殿下御前にて奉唱(母)
皇后陛下 御差遣(ごさけん) 賀陽宮(かやのみや)妃殿下御前にて奉唱 昭和13年5月16日 札幌グランドホテルに於て 母11歳 (最前列右から4人目 ピンクの洋服)
この写真は母が他界するまで最高の思い出と 述べていました。母は苗穂小学校から只一人、 代表に選抜されました。選抜の基準は、家柄が 「華族」か「士族」だったそうです。
左の写真は奉唱時に母(当時11歳)と叔母が ホテルの控室で撮った写真です。この叔母は 非常に厳しい人で、日本が戦争に負けたのは、 兵隊が、だらしなかったからと言ってましたね。 ご自分のご亭主の遺影の前で言えますかね。 その叔母は、自民党の町村金五氏の後援会で 活動していました。その話は後日に行います。 また、叔母は産婆さんで、私(栄一)も取り上げ て頂いた一人です。
叔父が出征
叔父が出征 母(当時11歳)2列め左から2人目 昭和13年頃 札幌市苗穂
『母方の親族』 祖父:最後列右から2人目 祖母:正座右端
これだけ国旗に寄せ書きしたら 完全に国旗損壊罪ですね。 出征する前に憲兵隊に捕まります。
昭和初期の北海中学校
北海中学校入学(父)
写真は父18歳 北海中学校5年 昭和17年頃のものです。
北海中学校教師
北海中学校 教師一同 (昭和15年頃)
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昭和初期の北海中学校 昭和15年頃 父(後列右から3人目)・当時17歳
名札は父が生前に記入
札幌市立高等女学校 新校舎全景と
札幌市古地図
昭和初期の北海中学校 昭和15年頃 父・当時17歳
札幌市立高等女学校入学(母)
母17歳 札幌市立高等女学校4年 (昭和18年)
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このお嬢さんたちが現在ご存命なら99歳になります。 私の母もそうですが、この世代のお嬢さんたちは本 当にご苦労されたと思います。戦後の混乱期の子育 ては大変だったでしょう。お金があったとしても、物が ない時代でした。
メガネを掛けている人が少ないということは、この時代の お嬢さんたちは皆、目が良かったんですね。
白黒集合写真(原板)のせいにしたくないのですが、アプリ でカラー化されるのは,背景の森林や鳥居と巨大灯籠そし てセーラー服(色ムラあり)くらいで、人物の顔の殆どはカ ラー化されないため適当に着色しております。
原板の段階で、顔などの対象が傷ついていたり 汚れている場合は修正作業が非常に困難です。 また修正不能な顔もあります。ご了解ください。
札幌市立高等女学校 教師
母の母校 札幌市立高等女学校 教師一同 (入学時) (昭和14年頃) 母13歳の頃
靖国神社参拝
母16歳の頃(最前列左から2人目)
札幌市立高等女学校 修学旅行(昭和17年頃) 靖国神社参拝 母16歳の頃(最前列左から2人目)
84年前の写真のため傷や汚れが目立ちます。
99歳のお嬢さんたちの写真 多少 修正しました。
99歳のお嬢さんたちの写真 オリジナル白黒写真
6000 X 4466Pixel
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防空演習
『防空演習』 札幌市立高等女学校
皆、楽しそうにニコニコ微笑んでいます。 札幌が、空襲されなくて良かったですね。 母、16歳の頃 (昭和17年)
課外茶道
大東亜戦争下に活きて

母の母校 札幌市立高等女学校卒業記念アルバム 『大東亜戦争下に活きて』は 札幌市立図書館(札幌市中央区南22条西13丁目) に母の許可を得て石川栄一名で寄贈しました。
平成31年1月28日付
『大東亜戦争下に活きて』 札幌市立図書館に寄贈
札幌市立高等女学校 教師
『課外茶道』 昭和17年 母16歳 戦時中でも余裕があったんですね。
私の母も、日本が、まさか戦争に負けるとは思って いなかったそうです。大本営発表の効果でしょうね。 玉音放送を聞いた時、母は「アメリカの奴隷」にされ ると思ったそうです。現実的に、現在の日本はアメリ カの奴隷のようなものです。
私が3歳くらいの時、母(当時22歳)に「何故戦争 するの?」と聞いたことがあります。 母の答えは「人間が増えるからよ」でした。何回聞 いても同じ答えだったと言うことは、母は本当にそ のように思っていたのかも知れませんね。 所詮、戦争はヤクザの縄張り争いのようなものです から、愚かで馬鹿げたことです。戦争に勝って喜ぶ のは、ヤクザの親分だけです。そもそも、金持ちが 支配する国を、貧乏人が命をかけて守る必要もあり ません。日本は天皇の国でもなく、庶民の国でもな い。金儲けの守銭奴と拝金主義者の国に成り下がっ てしまいました。
札幌市立高等女学校 教師一同 (卒業時) (昭和18年頃) 母17歳の頃
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戦時中の葬儀にも旭日旗
親族(父方)の葬儀(昭和18年頃)自宅前  札幌市北4条西20丁目(電停 西高校前)
『私が産まれる4年前』
左から4人目:祖父(喪主) 5人目:叔父 6人目:私の父、右端の方に軍人が数人、 旭日旗を持って参列しています。
「僧侶」龍興寺 曹洞宗(禅宗)
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北支へ出征(父)
父・手前 (後ろは中隊長) 北支那方面軍 (北支派遣軍)総司令部  昭和18年 北京城内  
「日本は負けたが父の部隊は連戦連勝」と 父が語っていました。
北支派遣軍
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結婚(父母)
復員 帰国
北支那方面軍(北支派遣軍) 2354部隊・第三中隊・陸軍伍長 昭和20年12月31日 復員 『北京〜西南〜青島〜佐世保(本土)〜札幌』
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昭和22年 私、栄一誕生 0歳
結婚 昭和21年   父 23歳・鉄道公安官         母 18歳・専業主婦                             (母 独身時 地方公務員)
母は疲れ切ったような顔ですね。 もう79年前のことですが、私は、この時の 母の母乳の味を、はっきりと覚えています。 母は、私を産む時、難産だったらしく、もう 死んだほうがいいと思ったそうです。 父25歳 母20歳 私0歳
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日新小学校入学
私(栄一) 日新小学校入学記念(昭和29年) 五列目右から4人目(顔半分)
最後列左から「校長」「(1年3組)担任」「教頭」

入学式の目出度い日ですが、どういうわけか 皆、深刻な顔をしております。現在、存命なら 私と同じ今年で79歳になります。
札幌市立日新小学校 1952年(昭和27年) 5月。私、栄一6歳の頃。一位のように見 えますが最下位です。 それを相棒(女の子)から私のせいにさ れて、あとから喧嘩になりました。
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70年以上前の写真のため傷や汚れがあります。
拡大写真差し替え (2026/6/25)
日新小学校入学記念 拡大写真更新
日新小学校入学記念 オリジナル白黒写真
むかし話「小学校入学」
春の『大運動会(遊戯)』
私・栄一(手前、後姿・6歳) 札幌市立日新小学校  昭和27年5月
私の小学生時代 春の『大運動会(二人三脚)』
自宅前の風景 ★ 写真をクリックすると拡大します。
札幌市北四条西二十丁目電停(西高校前)付近
白いジープは当時のパトカー(昭和20年代) 後部のスペア タイヤのホイールに大きく (110番)と書いてありました。 当時はまだ戦後の混乱期で、パトカーは占領軍(米軍)の払下 げだったそうです。米国製で左ハンドルだとしたら運転しにく かったでしょうね。そういえば、父が軍隊で運転していた軍用 トラックも米国製だったようです。
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家族写真(昭和28年頃)
札幌市北四条西二十丁目電停(西高校前)付近  春、雪解けの頃(昭和20年代)
 
札幌駅1番ホーム 6歳の頃(昭和20年代) 札幌市北4条西20丁目(自宅内縁側)
 
国鉄人事課に提出する家族写真の撮影。管理局職員が撮影。 この時の父の言葉が耳に焼き付いています。 「お前は俺の位牌持ちだから真ん中に立て」と言われて、その 意味も良く分からずに撮られた写真です。 私、栄一:後ろ中央 6歳の頃(背景は入れ替えております。) 
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蒸気機関車C57「貴婦人」 札幌駅ホーム(昭和20年代) 札幌祭
 神輿渡御と天狗
札幌神社(現 北海道神宮)例大祭 「神輿渡御と勤王隊」(昭和20年代) 札幌市北4条西20丁目
神輿渡御
札幌神社(現 北海道神宮)例大祭 (昭和20年代) 札幌市北4条西20丁目
赤の衣は天狗様。一本歯の高下駄で練り歩いていました。 子供の頃の私には、神輿よりもこの天狗の方に興味がありました。
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子供神輿
札幌神社(現 北海道神宮)例大祭 「神輿渡御と勤王隊」(昭和20年代) 札幌市北4条西20丁目
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 札幌神社(現 北海道神宮)例大祭 「子供神輿」自宅前(昭和20年代) 札幌市北4条西20丁目
 
自宅前の風景
チャンバラ遊び
チャンバラ遊び 「左下が私」(昭和20年代) 札幌市北4条西20丁目
札幌市北4条西20丁目電停(西高校前)付近 自宅の屋根の上から(昭和20年代)
 
オタモイ「唐門」
オタモイ遊園地
小樽オタモイ「弁天閣」母と私 (昭和30年頃)
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小樽オタモイ「唐門」 母と兄弟三人 (昭和30年頃)
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札幌市北区に移転
札幌市北区に移住(自宅) (昭和32年から昭和52年まで居住)
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 札幌市北32条西5丁目付近の風景「市営バス」 自宅2階から撮影(昭和32年頃) 手前左側はお向かいさんの鳩小屋です。
中学校入学
札幌市北32条西5丁目付近の風景 バス停付近から撮影(昭和32年頃)
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蘭島駅
新琴似中学校入学記念 2列目右から5人目が私(昭和35年)
海水浴
蘭島海水浴場にて (右が私15歳、左が弟) 昭和30年代 中学生の頃
蒸気機関車の二重連 蘭島駅構内(昭和20年代)
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Night view of Sapporo city from Mt. Moiwa
ページの先頭へ※住所は区制施行前の札幌市の住所です。 ※札幌神社は昭和39年に北海道神宮に改名。
札幌市 <1998.5.5>
札幌市営地下鉄 南北線 1971年12月16日開業
南北線(なんぼくせん)は、札幌市北区の「麻生駅」から同市南区の「真駒内駅」までを結ぶ札幌市営地下鉄の路線。札幌オリンピック(1972年)の1か月半前に開業。開業当時から有人改札はおかず、全駅が自動改札であった。
札幌市電 昭和三十年代の路線図(緑色の線)

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札幌市の公式ホームページ
札幌市電「路線の歴史」
昭和35年(営業キロ22.87Km)現在

電車が走り初め43年、この年は電車すべてが ボギー車となり、ディーゼル車も登場また、昭 和33年には藻岩山ロープウェイも営業開始し ました。

これまでの路線変更

昭和7年 鉄北連絡線開通
(北4条西4丁目〜北5条西5丁目間)
昭和9年 苗穂線複線化
昭和11年 豊平線複線化
昭和23年 中島公園線撤去
昭和25,26年 山鼻西線一部複線化
昭和27年 鉄北線延長
(北18条西5丁目〜北24条西5丁目間)
昭和34年 鉄北線延長
(北24条西5丁目〜北27条西5丁目間)
昭和35年 桑園線撤去



昭和41年(営業キロ24.95Km)現在

電車が走り初め49年、この年は連接車 「A830型」がローレル賞を受賞しました。

これまでの路線変更

昭和38年 鉄北線延長
(北27条西5丁目〜麻生間)
昭和39年 鉄北線延長(麻生〜新琴似駅間)

札幌市電【路線の歴史】
初版 2012年8月8日 更新 2026年6月7日 
 
Night view of Sapporo
 
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Last updated date 2026/7/13
主催 元北海道大学 文部科学技官 石川栄一
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