文部科学省の茶坊主集団と 視覚障害者の扱いの巻
(出典)写真でつづる北大職祖50年

文部科学省の茶坊主集団と視覚障害者の扱いの巻
石川栄一 2018/09/25 23:19

 1969年11月8日、機動隊を導入し、事務局・図書館などの封鎖解除後、台頭したのは、北大事務局である。
 「文部科学省北海道出張所」と呼ぶ人も居るくらい、北大は文部科学省の言いなりの大学に変身したのである。まず、北大事務局がやったことは、教職員組合つぶしと、学生団体(北大学連など)つぶしである。

 北大紛争の最中、北大事務局を中心とする大学管理機構は、何もできなかった。北大事務局の職員は、書類を学外へ持ち出すことと、封鎖されていない学部を逃げ回ることしか能がなかったのである。
 また、北大事務局は、警察との繋がりを綿密とした。文部科学省と北警察署への詳細な報告である。
 ある北大教職員組合員(以降、組合員)は、北大事務局が最も力を入れたのは、文部科学省の指導に基づき国家権力(警察)の導入を、学長や評議会へ「進言」することであったという。
 北大教職員組合は、文部科学省からの干渉に反対し、北大自治の拡大を求めてきたが、安井という庶務課長が文部科学省から派遣され、文部科学省の支配が一層強まった。

 北大事務局による「教職員組合つぶし」では、労働者の生活と権利を守るためのストライキに対し、文部科学省や政府関係者等は「公務員の争議行為は違法だ」とする不当な攻撃をかけ、北大でも、事務長以下、庶務や人事関係の職員などが総出で「現認」と称して、組合潰しに奔走したのであった。

 ストライキに参加した職員よりも「教職員組合つぶし」のために「現認」行動に参加した北大事務局や学部職員の方が多かった事もある。
 札幌市中央区の理美容会館で行った集会では、会館を取り巻くように、北大事務局や学部事務の現認隊が取り囲み、集会参加者の写真を撮っていた。

 教職員組合の集会場所や時間は、組合員しか分からないはずだが、北大事務局は、組合内に内通者を配置して、組合の情報をつかんでいたのである。
 こんなこともある。行二の整備員が、学科事務の主任にまで上り詰めたという、本来なら有り得ない例もある。

 また、30分程度のストライキに参加した職員を、賃金カットするのであるが、北大事務局は「孫子の兵法」のごとく、用務員のおばさんなど、まず、弱いところから切り崩したのである。
 30分程度の賃金カットは、当時は、150円程度であるが、用務員のおばさんにしてみれば、気分が良いことではない。この事で、用務員室は、二つに分断された。
(出典)写真でつづる北大職祖50年

 北大事務局や学部職員が、集会の参加者を「現認」したといっても、参加をしていないのに「現認」されたという職員も多いので、如何に、いい加減な調査であったかが分かる。
 私も、一度だけ、集会に参加をしていないのに「現認」された事がある。
 つまり、北大事務局や学部職員の現認隊が、「あいつは集会に参加したに違いない」と決めつければ、「現認」したことになったのである。

 一方、工学部事務部の現認隊の隊長であった三浦事務長は、工学部全教職員に「ガン保険」の文書を配布し加入を勧めていた。これは、事務長という立場を利用し、一部の民間企業に便宜を図った行為であり、国家公務員法違反ではないだろうか。
 当時(1974年頃)は、まだガン保険の出始めだった。これは、アメリカンファミリー生命保険会社代理店の場合だが、ガン保険の勧誘にきた担当者は、「三浦事務部長からの要望です」と言うので、仕方なくガン保険に入った。当時、三浦事務部長の要請で、ガン保険に加入した教職員は相当いたと思う。

 三浦事務長のあだ名は『片眼のジャック』とか『ノモンハンの生き残り』など色々あったが、良い評判は一度も聞いたことがない。
 また、事務長第一補佐のO氏は、創価学会員、第二補佐のT氏は、共産党員であったため、バランスがとれていたのかも知れない。
 そのため、北大事務局の情報は、各方面に筒抜けであった。文部科学省の茶坊主集団である北大事務局や学部職員が「公務員の争議行為は違法だ」と言う前に、身内の身体検査をした方が良いと思う。

 昭和43年当時は、給料日になると、学科事務の職員が、学科教職員全員の給料袋を持って、配って歩いていた。私は事務職員を給料配達員だと思ったこともあり、給料日が来るのが楽しみであった。

北工祭レコードコンサートの立て看板 (工学部玄関ロビー)

 また、北工会に「レコード鑑賞会」というサークルがあった。そこでも事務職員G氏の手助けを受けて、なり手のない会長をすることになった。
 自慢話になるかも知れないが、毎週水曜日、昼休みにレコードコンサートを行い、会長を退任するまでの七年間で、274回ものコンサートを開催した。

北工祭レコードコンサートの準備風景
(中央の偉そうに座っているのが私)

 文化祭には、毎年、大会議室にてレコードコンサートを行い、500名以上の入場者を数えた(来場者へのパンフレット配布枚数)。
 北大祭には工学部前庭でプロムナードコンサート、12月にはクラーク会館でダンスパーティを開催した。
 会員の中には、現在、札幌トヨタ自動車会長の相茶俊介氏もいた。彼は、私がレコード鑑賞会の会長を辞めるとき、惜しんでくれた。レコード鑑賞会はぜひ続けて欲しいとも言われた。

北工祭レコードコンサートの準備完了(北大工学部大会議室)

 これらも、すべて、事務職員G氏の支援があって成功したのである。「組合潰し」に奔走した北大事務局とは一把ひとからげにはできない。

 特に、事務職員のG氏には、並々ならぬお世話になった。しかし、そのG氏は不慮の事故で失明してしまった。そのため私は、視覚障害者になったG氏のパソコンのサポートを、10年くらい行ってきたが、あることを切欠として、それをやめた。
 そもそも、G氏が所属する事務部が、もっと責任を持って視覚障害者に対応しなければならないのに、私にはほったらかしにしているように思えた。
 彼が、交通事故で視覚障害者になった当初は、周りの事務職員が支援をしていたようだが、いつのまにかG氏を放置するようになっていった。

 しかし、私のような工学部の技術職員が、他部署の視覚障害者の支援をして良いものか疑問を感じてはいたが、放っても置けないので、出来る限りのことはしたと思っている。
 そのG氏は、札幌の私立大学を(法学部と経済学部)二学部卒業し、更に国家公務員採用試験Ⅰ種に合格しており、部長クラスまで昇進できる実力があったと言われている。

 さて、視覚障害者になった、G氏のサポートをやめる事にしたその理由は、残念なことに、私のG氏への支援が当たり前になってしまったという事だ。
 例えば、G氏の職場や自宅のパソコンに音声装置を備え付けたり、ソフトの使い方の説明や、インターネットのセッティング、パソコンのサポート等は、私の好意で行ったが、いつの間にか、それが当たり前になり、最終的には事務部からではなく、G氏からの要求になってしまった。

 G氏は、もともと技術職員だったので、私との意思の疎通は円滑だった。
 しかし、G氏は、あのガン保険の宣伝で有名な三浦事務長の推薦で、北大事務局に異動することになった。当時、学部から北大事務局に異動すると言うことは、事務職員にとって、立身出世のための第一段階だったそうだ。
 最終的には、文部科学省に異動し、キャリア官僚の仲間入りをする事が夢だったようだが、東大卒の文部科学省採用でなければその願いは無理だと思った。

 それよりも問題は、G氏が北大事務局に異動したときも、教職員組合に所属していたため、三浦事務長から「俺の顔に泥を塗るつもりか!」と怒鳴られたという。つまり、三浦事務長は「組合をやめろ!」と言うと、何かと問題になるため、「俺の顔に泥を塗るつもりか!」と言って、組合をやめさせたのである。

 私にも、同じような経験がある。
 北大事務局の叔父(私の父と叔父の妻が兄弟)である前田清一北大事務局経理部長(当時、後に旭川医大初代事務局長に就任)から「施設部の方に来ないか」と誘われたことがある。と同時に「組合に入っているとダメだ」とも言われた。
 やはり、北大が「文部科学省北海道出張所」と呼ばれるだけあって、文部科学省の茶坊主集団である北大事務局の組合嫌いには、一段と磨きがかかっていたようだ。
 「公務員の争議行為は違法だ」などと不当な攻撃をかけ、組合潰しに奔走した現認隊の中心的存在であった、木元氏や岩沢氏らは早死にした。おそらく「組合潰し」に躍起になり過ぎて、寿命を縮めたせいだろう。

 そもそも、北大事務局や事務部職員と、研究室の教職員とは昇進のための条件が大きく異なっている。
 例えば、研究室の助教授(現在は准教授)や助手(現在は助教)そして、技術職員は、研究論文や講演などで、実績が認められれば、博士号を取得することもでき、昇進の道が開ける。

 一方、事務系職員は、文部科学省の指示通り動かなければ、出世ができないだけではなく、地方に左遷される可能性もある。
 従って、文部科学省が「右向けば右、左を向けば左」と、いいなりにならざるを得ないのである。当然の事ながら、文部科学省は、時の政府である自民党の悪政のために動くため、教職員としてはたまったものではない。

マイクで組合の集会を妨害したこの方も早死に。色即是空!

 北大事務局や事務部職員は、「善悪」ではなく、「損得」で動いているようにも思える。現認隊の中心的存在であった、木元氏や岩沢氏らは、組合潰しの成果が認められ、それぞれ事務長や事務部長へと栄華栄達を果たしたように見えたが、早死にした。天は人の行為の善悪を見ているのかも知れない。

 教職員組合は、教職員の生活と権利を守る闘いを中心に、日米安保反対、沖縄基地問題、ベトナム反戦運動、消費税導入反対、スト権奪還、文科省検定教科書問題、年金改悪問題など、諸問題の解決を訴えた。
 それに対して、文部科学省の茶坊主集団は、「現認」と称して「組合潰しに奔走」したことは、絶対に許される事ではない。

 時代劇のセリフではないが、『弱き職員を弾圧した「現認隊」には、もはや見る夢はないのである。地獄の果てまで追い詰め「弱き職員の生き血をすすり、不埒な現認行動、醜い茶坊主集団は、迷わず地獄に堕ちるがよい」』とでも言ってやりたい。

最後に一言。
 私は、教職員組合の執行委員などの経験は、一度もないことを述べておく。
 また私は、「事務部主導による技術部の創設に一部の組合員が協力」したことに対し、異議を唱え、1990年代に教職員組合を脱退した。

 では、本日はここまでとします。


 戯け話とむかし話「文部科学省の茶坊主集団と視覚障害者の扱いの巻」おわり
 2018/09/25 23:19 石川栄一


過激派による理学部襲撃、抗議デモ、封鎖解除、機動隊導入の記録映像
北大紛争と封鎖阻止行動委員会の巻
教職員・学生に襲いかかる過激派集団(当時は「五派連合」と呼んでいた)

「北大紛争と封鎖阻止行動委員会の巻」 - 石川栄一  2018/04/23 12:38

 私が北大に勤めてから翌年、昭和44年(1969年)の4月から、本州では既に下火になっていた大学紛争が北大で始まりました。
 全共闘(中核派、社学同、反帝学評など)・革マル派などの過激派は、まず教養部を封鎖。その結果、一般学生の勉学の場と教職員の職場が、失われてしまいました。

 工学部では、職員や学生・院生を中心とする封鎖阻止行動委員会(自警団)が組織され、毎日のように泊まり込みを行い、工学部を防衛することになりました。
 時々、大野学部長が「陣中見舞い」として、自ら日本酒をぶら下げて持ってきました。それについては、私たちは大歓迎でしたね。それは学部民主化や学部防衛などについて、学部長団交を開催しても、一向に前向きの回答がなかったからです。
 まあ、それよりも学部内でタダの酒を、しかも「学部長公認」で飲めると言うことが嬉しかったですね。
 一方、過激派の学生は、真夜中から早朝にかけて攻撃を仕掛け、工学部の窓ガラスを割ったり、火炎瓶を投げつけたりしました。

 ある日、工学部の自警団、約50人が過激派を迎え撃つために、工学部前庭の北側と南側に分かれて待機しました。
 そして、午前3時頃、自警団の偵察員(レポ)から、過激派が工学部に向かったという連絡が入りました。
 数分後、過激派の学生、約30名が隊列を組んで「帝大解体!民青殺せ!」などと叫びながら、工学部玄関までやってきました。
 前庭の樹木の陰に隠れている私たちには気づいていないようでした。まさか、過激派の学生は、私たちに挟み撃ちにされるとは思ってもいなかったでしょう。

 そして、過激派が工学部の玄関ガラスを割り始めたとき、前庭南側で待機していた自警団の一隊が「ワァー!」という気勢を上げて、過激派めがけて突撃しました。それと同時に、北側の私たちも突撃しました。
 この作戦により過激派は総崩れになり、慌てふためき、鉄パイプを投げ捨てて尻尾を巻いて、散り散りばらばらになって逃げ出しました。
”クモの子を散らすように逃げる”とはこういう光景なんですね。

 どういう訳か、彼らは自動発火式の火炎瓶は投げ捨てなかったですね。おそらく、作るのにカネがかかっているせいでしょう。逃げ切れずに、数人の過激派の学生が投降しました。

 自警団はその過激派の名前と住所、所属を厳しく追及したところ、ある過激派の学生は北大生ではなく、明治大学生だと自白しました。
 その明治大学生は、両親の氏名や電話番号も話したため、早速、電話をしたところ、まだ朝の5時だというのに、家族全員(学生の両親と妹か姉の3人)がタクシーで駆けつけました。しかし両親は「自分の息子ではありません」と述べたのです。

 どうやら、明治大学生と名乗る過激派の学生は、自分の氏名ではなく、友人の氏名を述べたと思われます。まさか家族に電話されるとは思ってもいなかったのでしょう。
 当時、私は学生と同年代の21歳。しかし、このような学生が、いくら世直しだとか、正義を主張したとしても、全く説得力がないと思いました。

 自警団は、その明治大学生と名乗った過激派の学生に、本人が持参した自動発火式の火炎瓶を持たせて、証拠写真を撮影した後、解放しました。
 その後の紛争は、北大以外からも多くの過激派が参加し、北大を混乱に陥れました。中には高校生や社会人の過激派もいました。

 過激派から、連日のように襲われたのは理学部でした。
 その理由は、堀内学長が理学部の出身であったことと、「過激派はナチスドイツの突撃隊と同じようなものだ」と述べたことが、過激派から反感を買ったらしいのですが、過激派としては、目的が達成できれば、理由はどうでも良かったのかも知れませんね。

 こんな事がありました。
 工学部の学部長室で、堀内学長が、大野工学部長と大学紛争の収拾について、相談したことがあったらしいのです。
 その会談後の夜10時頃、自警団長から私に、工学部から理学部までの護衛を依頼されました。その時、誰を護衛するのか全く聞かされませんでした。
 そして午後10時が近づき、工学部の裏玄関(職員食堂の前)で、待っていたら、頭がすっぽりと入るくらいの大きな帽子をかぶった人物が現れました。

 裏玄関から外に出たとき、顔がチラッと見え、その人物は写真でよく見る堀内学長でした。私は、もう一人の学生と共に、工学部の裏を通り、学長を理学部まで送りました。当時の北大は、学長が正面玄関から出入りできないくらい異常な状態でありました。
 このような状態を打開するために、北大から全共闘や革マル派などの過激派を一掃する必要がありました。

 そのために、まず、教職員組合と院生協議会や北大学連を中心とする全学共闘会議(過激派の「全共闘」ではありません)は、過激派に占拠されている法文経の建物の封鎖を解除することだでした。
 そして封鎖解除の日、1969年10月30日(木曜日)、法文経の封鎖解除を決行することになりましたが、この事は自警団にも秘密にされました。当然、幹部の方は知っていたと思います。

 当日は、風もなく、空は湖水のように澄んで、「理性の府」は、誠に平和そのものでした。
 昼休み、工学部前にて「過激派による大学封鎖に抗議する全北大集会」が行われ、集会の参加者は、理学部付近をデモ行進。教官団は、過激派に対し封鎖自主解除を要請しましたが、それに対し過激派は放水で応えました。

 午後2時、別働隊の工学部自警団は、プラカードを掲げながら教育学部の裏に回りました。その時、過激派は、教育学部の裏階段から投石を開始しました。
 私が持っていたプラカードに拳大の石が命中したとき、板が吹っ飛び、うまい具合に棒だけが残りました。その棒を持って教育学部の2階から突入したところ、過激派は、法文経の建物内を逃げ回りました。

 法文経の学部内において、劣勢に陥った過激派は、小瓶に詰めた塩酸や硫酸を投げつけてきました。
 工学部自警団が法文経の2階から3階に上がろうとしたとき、階段からジューという音を立てて白いガスのようなものが上がりました。自警団は危険を察知して、しばらく留まりました。

  法文経教舎の中はメチャクチャで、中には、竹を割って作った手製の弓矢が、山ほど積んである教室もありました。
 私は、過激派が作った「矢」を見て笑ってしまいました。それは、ほとんどの矢が反っていたからです。これでは矢を放っても、まっすぐに飛ばずに、ブーメランのように戻って来ると思いました。

 封鎖を解除した経済学部の窓からそとを見たら、デモ隊本隊と過激派が投石合戦をしていました。屋外では大学構内のほぼ全域で、過激派集団と教職員学生が激突し、双方で負傷者が続出しました。

 私も負傷者の一人になりました。
 封鎖解除の最中、法学部の屋上から飛んできた石が、私の足の甲に命中したのです。しかし、石が当たったときは、それほど痛くありませんでした。
 午後5時頃、北大事務局の隣にあった教職員組合の書記局が、過激派に攻撃されているという連絡を受けたため救援に向かいました。

 その途中、書記局前の道路(現在の「百年記念会館」前)で、立て看板を並べたバリケードを挟んで、投石合戦が繰り広げられ、大きな鉄製のボルトがベニヤ板で作ったバリケードを突き破って飛んできました。周りはもう薄暗くなっていました。
 工学部自警団は、書記局にいた職員を救出し、午後7時頃、工学部に引き上げました。自警団は、夕方までに法文経教舎の殆どを封鎖解除しました。
 それから翌朝まで、再封鎖そして封鎖解除が繰り返されました。

 足の甲に負傷した私ですが、次第に痛みが増してきました。
 その日の午後11時頃、過激派が法文経教舎を再封鎖したという連絡が入ったため、再封鎖解除のため、工学部自警団は理学部に行き、そこで待機しました。
 そして、夜中の午前0時頃、私たち工学部自警団は、教養部方面からの過激派援軍阻止のため、北大の中央通り(当時は「ゲバルト街道」と呼んだ)にバリケードを築きました。

 深夜の午前1時、私は足が痛むため、第三分隊長の助手のTさんの肩を借りながら、工学部に戻りました。足が燃えるように熱くなり、痛かったですね。床中で「見通し暗いでや」とか「封鎖を解除したぞ」という仲間の声が聞こえました。
 その朝、病院に行くよう組合班役員のHさんに命令され、足を引きづりながら北大病院の整形外科に行くと、教職員と一般学生の患者入り口と、過激派の患者入り口が分かれていたのには驚きました。

 教職員の患者は個室で待たされました。これは、病院内で争いになったら、収拾がつかなくなるため、その対策なんでしょうね。
 治療費は自己負担(自己責任)でした。
 そして、1969年11月8日、機動隊の導入で、過激派による北大封鎖は解除され、一応、北大紛争が終結しました。


映画「激動の北大史1969」(ダブルクリックで全画面に拡大)
http://www.geocities.jp/mmkan2004/ViolentlyHokudaiA.html
(過激派の理学部襲撃、抗議デモ、封鎖解除、機動隊導入の記録映像)
■ Video production by Eiichi Ishikawa.
(ブラウザが Microsoft edgeの場合は、右上の設定 […]をクリックして、その中から[Internet Explorerで開く]を選択して下さい)


 その後、工学部封鎖阻止行動委員会(自警団)は解散しました。
 そして、工学部学生自治会はリコールされ、過激派の「闘う集団」による学生自治会が発足することになります。

 そのメンバーの中には、私と小中高時代の同級生も複数おりました。
 ついでに述べておきますが、同じく私と同級生だった自民党衆議院議員秘書のS君は中核派でした。事務所で彼と面談したとき、S君ご本人が述べていましたので、間違いないでしょう。

 過激派も出世した人が多いですね。
 では、本日はここまでとします。


 戯け話とむかし話「北大紛争と封鎖阻止行動委員会の巻」おわり
 2018/04/23 12:38 石川栄一


東京大空襲と戦犯マスコミとIQの巻
旧中川東京大空襲犠牲者慰霊灯籠流し
http://nippon-meguri.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-a924.html

「東京大空襲と戦犯マスコミとIQの巻」 - 石川栄一  2018/04/03 7:45

 大本営発表で、戦争を煽った軍部とNHK、マスコミの犯罪!
 1945年3月10日 は、一夜にして10万人以上が命を落とした東京大空襲の日。
■ 犠牲者の山「写真集」
 http://www.mk2010.net/AirRaid.html


■ ディズニーが「東京大空襲」をけしかけていた!
戦後は原発の旗振り役に…日本に災厄もたらすディズニーの黒い顔-原文『LITERA 2016.11.05』

 日本でも大人気のディズニーだが、実はかつて、日本人の大量殺戮を煽る映画をつくっていたのをご存知だろうか。
 その作品とは第二次大戦中の1943年にアメリカで公開された『空軍力による勝利(原題:Victory Through Air Power)』。

 米空軍による日本本土への戦略爆撃、空襲が本格化するのは、この映画公開の翌年、1944年からである。この日本本土空襲は200以上の都市で行われ、軍事施設だけでなく、多くの一般市民が被災。東京大空襲では11万人、合計では30万人以上が死亡した。

 ようするに、ディズニーはこうした一般市民も含む大量殺戮行為を正当化し、推進するためのプロパガンダ映画をつくっていた。ウォルト・ディズニー自身が、長距離爆撃機による敵国本土への戦略爆撃の必要性を伝えたいと率先して製作した映画なのだ。

 ウォルト・ディズニー、戦後は原発の旗振り役に…
 原爆投下から十数年しか経っていない日本でも大々的にテレビ放映され、日本の原発導入の世論作りに大きな役割を果たしたのだ。
 大空襲に、原発。ディズニーが日本にもたらしたものを考えると、ディズニーランドがとても「夢の国」などと、はしゃぐ気分にはなれなくなる。

※ 以上『LITERA 2016.11.05』原文(全文)
 http://lite-ra.com/2016/11/post-2672.html


『戦争を推奨した新聞社の公募歌の一部』
 ・肉弾三勇士の歌 (朝日新聞)
 ・アッツ島血戦勇士顕彰国民歌 (朝日新聞)
 ・みんな兵士だ弾丸だ (毎日新聞)
 ・爆弾三勇士の歌 (毎日新聞)
 ・大東亜決戦の歌 (毎日新聞)
 ・空襲なんぞ恐るべき (毎日新聞)

『対外強硬論を煽った戦犯マスコミ』
 マスコミは、言論統制の「被害者」という主張がある一方で、政府の外交政策を「弱腰」「軟弱外交」という形で糾弾し、対外強硬論を煽り、開戦を主張するなど、国民を開戦支持に導く役割も果たしました。

 政府の決断が間違うと膨大な人命が犠牲になります。
 戦時中、沖縄戦、東京大空襲、広島、長崎原爆投下、すべて政府の状況判断と決断が甘かったために、100万人以上の無防備の一般市民が犠牲になりました。
 
『愚かな国民には愚かな政府』 
 評論家の小出裕章氏が言っています。「安倍晋三さんはバカだ。しかもただのバカではなく病気である。…しかし、彼が首相の座にいるのは、私たち自身が病気だからである。」と。この愚かな宰相とその仲間たちによって、日本という国が破壊されてしまいます。

 その安倍晋三総理のIQは84という噂があり、あの子ブッシュのIQ91より低いんだとか。ちなみに父ブッシュのIQは97。

 平均的な人間のIQが100くらいで、東大生は120くらいらしい。ビートたけしのIQ132 、J・F・ケネディのIQは119 、画家の山下清のIQは68、あのアインシュタインのIQは173 。
 IQが高いから優れた人物というわけではありませんが、IQが20以上離れていると会話が成立しなくなるといわれています。

『IQ173のアインシュタインの予言』
 「第二次世界大戦では原子爆弾が兵器として利用されましたが、第三次世界大戦が起こったら、どのような兵器が使われると思いますか?」という質問に対し、
 アインシュタインは「第三次世界大戦についてはわかりませんが、第四次大戦ならわかります。石と棍棒でしょう。」と答えたそうです。

■ 1945年3月10日 東京大空襲 スライド写真集
 http://www.mk2010.net/AirRaid.html


 戯け話とむかし話「東京大空襲と戦犯マスコミとIQの巻」おわり
 2018/04/03 7:42 石川栄一


森友文書書き換えと嘘吐きの巻
北区に住んでいた頃の自宅付近の風景(1958年)
現在の風景(2018年)

「森友文書書き換えと嘘吐きの巻」 - 石川栄一  2018/03/15 10:23

 もし、私たちの戸籍謄本が書き換えられたらどうなるのでしょうね。
「名前が知らないうちに変えられた」あるいは「妻と離婚していた」「いつの間にか自分がこの世にいなくなった」ということになるかも知れません。

 現在、国会が紛糾している「森友文書書き換え問題」は、権力者にとって都合の悪い公文書を書き換えたのではないかという問題なんですね。公文書の改ざんは犯罪です。

 この件に対して、安倍総理は調査するとか言っていますが、どうせ毎度のように嘘に決まっているでしょう。そもそも、犯人が犯人を調査すると言っているのと同様と思います。


■ 千三つ屋(せんみつや)
 ゲッベルス(ドイツ・ナチ党の宣伝相の言)
 「もしあなたが十分に大きな嘘を頻繁に繰り返せば、人々は最後にはその嘘を信じるだろう。」
→日本では「嘘も百回言えば真実になる」。
 安倍さんの場合は「千三つ屋」(噓言家。本当のことは千に三つ)



 「天知る、地知る、我知る、人知る」 ウソにウソを重ね過ぎて、安倍サマの取り巻きたちも一体、何が真実なのか分からなくなっているに違いありませんね。
 精神科医の和田秀樹氏は、文化放送のラジオ番組で、安倍の人間性をこう分析していました。
「安倍首相は一般家庭ではなく政治家の家庭に生まれたので、子どものころから『ウソをついてもかまわない』という教育を受けていたのだと思います。」
 つまり、良心の呵責を感じるマトモな神経の持ち主であれば、とてもじゃありませんが、あれほど多くのウソはつけないそうです。
 そして、今やそんなウソつき安倍を守るためのウソが、霞が関や永田町で常態化していると言ってもよさそうです。

 評論家の森田実氏はこう言います。
 「政治の目的は人間的善の追求にあるということです。正反対なのが国民にウソばかりついて不誠実極まりない安倍政権です。ウソがバレても平気の平左。責任を役人に押し付け、自分たちだけは甘い汁を吸い続けている。」

 さすがに評論家の分析は鋭いですね。
 これまで数々のウソ、二枚舌、詭弁、論点スリカエ、捏造、デマで「印象操作」を繰り返してきたのは、安倍首相のほうです。
 まさに“息するように嘘をつく”その大嘘つきぶりは、もはや病的と言わざるをえない。

【安倍はこれだけウソをついてきた】
 http://beautiful2015.web.fc2.com/Remarks.html#Liar
 私のホームページ『美しい日本と天下一品の馬鹿』へ


 「道徳教育の教科化」よりも問題は「嘘つきの安倍」の方です。
 道徳で一番大事なことは、嘘をつかないと言うことです。
 道徳教育は大事だと言っている人間が、結構、あんまり信用できない人が、いるんではないでしょうか。安倍首相のほうに根本的問題があります。

 子供でも知っている「嘘吐きは泥棒の始まり」ということわざがありますが、その泥棒の巣窟は永田町で、その親玉は安倍総理でしょうね。つまり「嘘吐きは安倍の始まり」ということです。
 安倍の発言は、極めてたちが悪く、嘘まみれで、国の未来を危うくしています。


 戯け話とむかし話「森友文書書き換えと嘘吐きの巻」おわり
 2018/03/15 10:23 石川 栄一



<<最近のツイッターより>>
■ いま、モリカケの追及を野党がやめたら、それはこれまでの安倍の手法、嘘と隠蔽、国家・国政の私物化、身内びいき・縁故主義の政治を認めたことになります。前例になり、次の総理も似たようなことをやるでしょう。国会と野党の存在理由はなくなり、日本はドロボウ国家になります。諦めたらダメです。

■ 安倍晋三、もうお辞めなさい。あなたは政治家に向いていない。政治家を勘違いしている。国家も国民も、あなたとオトモダチのドロボウのためにあるのではない。もともと日本も国民も嫌いなのだから、政治家になるべきではなかった。はやく辞めなさい。

■ 現在、起きている事態は、与党、官僚、メディアの死だ。安倍政権によって、三者とも殺害された。抜け殻が、オトモダチになって、墓場で酒盛りをやっている。その死の実態が森友文書の改ざんで明らかになった。死者たちをあるべき場所に戻さねばならない。そうしなければ、次は国民が殺害される。

■【ボンボンなら何でも通る?】また麻生財務相が捜査中を理由に森友文書を確認できないと答弁。これまで「文書はない」「消去した」「記憶にない」を繰り返してきたが、今度は「確認できない」だ。ボンボンなら、それで何でも通ってきたのかしら?

■ 安倍政権のやり方はあまりにもひどい。
都合の悪い文書は廃棄し、隠し改ざんする。こんな政治がまかり通ると民主主義の根幹が崩れる。一日も早く安倍を退陣させないとこの国は滅ぶ。
1964東京オリンピックと国勢調査の巻
18歳の頃 日光にて(修学旅行)

「1964東京オリンピックと国勢調査の巻」 - 石川栄一  2018/03/02 11:01

 平昌オリンピックを閉幕しましたね。しかし2月11日まで、日本はあらゆる種目でメダル獲得数がゼロでしたが、2月25日に終わってみて、冬季最多メダル13個とは、驚きましたね。特に、スピードスケートやカーリング女子など、北海道出身選手が圧倒的でした。

 それにしても、民放では、韓国や北朝鮮に対する悪口雑言のオンパレード。よく恥ずかしげもなく、UHFやBSに乗せられるものですね。貴重な電波がもったいないと思います。
 
 1964年10月、東京オリンピックが開催されました。
 当時私は17歳。叔父のコネで、北海道教育庁の総務部施設課の助成係でアルバイトをしておりました。私の他にも女子大の学生アルバイトが数人おり、美人揃いでした。道庁では、容姿端麗でなければアルバイトを採用しないのかな、と思ったりもしました。

 施設課には、地方の公立高校から、校舎の増築や修繕などを陳情しに、毎日のように校長先生や教頭先生が訪れていました。
 私は、その光景を見て、施設課の職員は、校長や教頭よりもエラいのだと思いました。特に、製図室で作業をしているエラそうな技師の姿を見て憧れましたね。
 私の仕事のほとんどは、文章の校正やコピー取りでしたね。また当時は電卓もなく、計算は、ソロバンとタイガー手回し計算機で、事務室に入ると計算機の音で「ガラガラガラ、チーン」とパチンコ屋やチンドン屋でもやっているように賑やかでしたね。

【タイガー手回し計算器の実演】(YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=cQlfd7XqkrE


 ゼロックスも無い時代で、ガリ版で原稿を作り、謄写版や輪転機で印刷しました。コピー機もまだ出始めで、ジアゾ式複写機(いわゆる青焼き)でした。

 ある日、主任が1時間以上かけて作成した原稿を持ってきて「100枚コピーして下さい」と頼まれたので、作業を始めた途端、原稿がローラーに巻き付き、一瞬にしてパーにしてしまいました。

 私は、怒られると思いましたが、そこは寛容といいましょうか、主任は、同じ原稿をまた1時間以上もかけて作り直し、今度は主任自らコピーしていました。私にやらせるとまた原稿がパーになると思ったからでしょうね。

 東京オリンピック開会式の前日(10月9日)、係長から「課長の家のテレビ修理に行ってくれませんか」とお願い(命令)されました。当時、土曜日は半ドンで、午後から修理に行くことにしました。
 そして、開会式の当日、係長は私が家に帰ってしまうんでないかとビクビクしているようでした。

 いちいち「石川君もう帰っちゃうの」と聞いたり、そんなに私が信用できないのなら、電気屋に頼めば良いのに、とは思いませんでしたが、係長の態度が、17歳の私でも気にくわなかったですね。

 10月10日(土曜日)の午後、課長の官舎まで、工具とパーツを持った私を運転手付の公用車で送ってくれました。当時はなんとも思いませんでしたが、今思えばテレビ修理のために公用車を使うのは、なんだか変ですね。
 課長の官舎だから、さぞかし広い家なんだと思いきや、居間は6畳間で、そこに家族全員がいらしたので、すごく狭く感じましたね。

 故障の症状は、ラスター(白い画面)が出ない。画面は真っ暗。
 修理の方は、水平出力管(6BQ6)を交換して完了。
 所要時間は約5分でした。6BQ6は高価な球で、当時1本、1000円位だったと思います。私は真空管代のみを頂いて帰りました。

 道庁職員の寛容さといえば、勤務時間中でもテレビでオリンピック中継を見ていましたね。まあこれは寛容という問題ではなく、単なるサボりでしょうね。
 特に、東京オリンピック、柔道の無差別級のヘーシンクと神永昭夫の試合。「東洋の魔女(日本)VS ソ連」女子バレーなど、事務室はその話題で盛り上がっていました。

 東京オリンピックが終わった1964年10月下旬の夕方、道庁前の広場で、学生の団体が集会をしていました。警察は解散を呼びかけていましたが、学生は反発して集会を決行しました。
 私はそれを見て、警察に逆らうとは、とんでもない連中だと思いました。
 

「国勢調査」

 東京オリンピックの翌年、1965年に国勢調査がありました。今回も叔父のコネで国勢調査のアルバイトをすることになりました。

 当時、北海道庁の国勢調査の本部である企画部は、中島公園の池の畔にありました。12月も下旬だったので、公園の池は、良いスケートリンクになっており、若い職員は昼休みスケートを楽しんでいました。

 1月に入ってから、若くて可愛い女の子(当時、アイドルだった由美かおるにそっくりな女性)がアルバイトとして採用され、私と同じ係で仕事をすることになったのです。

 国勢調査の調査票は、各市町村から企画部に集められました。
 私達はそこで、必要事項が、調査票にきちんと記入されているかを確認し、誤記やマークシートなどを修正後、段ボール箱に詰め、総理府統計局(当時)に送る準備をしました。

 箱詰めされた調査票は、段ボール箱で数百個にもなり、倉庫の中に高く積み上げられました。最後は、荷札に差出人である「北海道庁企画部の住所のゴム印」を押す仕事でした。

 1日がかりで、私と女の子で荷札にゴム印を押して、ようやく終わった頃、主任が、深刻な顔をしながらやってきて、私たちに、ゴム印に誤りがあると言うのです。
 そこで私は、ゴム印を押した荷札をよ~く見ると、差出人の都道府県名が「北海道」ではなく「北道道」となっていたのです。
 私と女の子は呆気にとられました。

 主任は「何百枚もゴム印を押していて、何故気が付かなかったの?」と言いましたが、私は「まさか、ゴム印の都道府県名が間違っているとは知りませんでした」と答えるしかありませんでした。

 そして私は「ゴム印を押し直しますか」と聞きましたが、主任は「ゴム印を作り直さなければならないため、もう締め切りに間に合わないから良いです」と残念そうに言い残して自分の席に戻って行きました。

 後から聞いた話ですが、都道府県名が「北道道」になっていても、総理府統計局に問題なく届いたようです。そもそも、これは誰の責任なんでしょうね。


 1.ゴム印を発注した主任の責任か?
 2.ゴム印を造ったハンコ屋の責任か?
 3.ゴム印を押した私と女の子の責任か?

 ....それは今でも疑問です。

 やがて、冬休みも終わり、アルバイトの女の子とも別れなければならなかったので、多少残念でした。

 藤の女子大生もアルバイトに来ていたのですが、その子の昼食は、な、なんと牛乳1本でしたね。これでは、まともに仕事が出来ないだろうと思いました。
 また、その女子大生から「可愛い女の子と別れて寂しいでしょ?」などと、言われ、からかわれました。

 道庁で、アルバイトをしていて驚いたのは、どこかの宝石商のおばさんが、職員が勤務中であるなしに関わらず、堂々と事務室に入ってきて、宝石のセールスをしていたことでした。やはりここでも道庁職員は、寛容だったんですね。

 1965年の国勢調査によると、当時の札幌市の人口は約80万人でしたが、それから半世紀以上が経過した現在、人口はその倍以上の190万人を突破しました。これは、1965年当時から110万人以上も人口が増えたことになります。
 北海道では過疎化が進み、道民の多くは、生活に便利な札幌経済圏に集中しています。統計学者の調査によりますと、今後、20年以内に、道民の70%以上は、札幌経済圏に集中し、また、その70%以上が65歳以上の高齢者になるとのことです。
 札幌市は将来、人口200万人の「巨大老人都市」になるようですね。私もその中の一人になりました。



 戯け話とむかし話「1964東京オリンピックと国勢調査の巻」おわり
 2018/03/02 11:01 石川 栄一


出会いと別れの巻
日新小学校入学記念 1年3組(昭和29年4月)

「出会いと別れの巻」 - 石川栄一  2018/02/17 16:29

 出会いがあれば、必ず別れがやってきます。
 私くらいの古希を過ぎた年齢になりますと、出会いよりも別れ(特に死別)が多くなるものです。古希は、元々は「古稀」と書き、中国唐代の詩人・社甫の曲江詩の中の「人生七十古來稀」の一節によるもの、と言われています。

 70才を迎えられるというのは、非常に稀(まれ)だという意味から、古稀がお祝いされるようになったと言われています。
 皆さんの中には、古希を通り越し、喜寿や米寿を迎えた、あるいはそれに向かって邁進している方々も多いのではないかと思います。

 誠に、おめでたいことですが、歳を重ねるにつれて、性格が悪くなり「昔はあんな奴じゃなかった」と陰口を叩かれたり、あるいは、命根性が汚くなり「もっと長生きしたい」と儚い夢を抱いたりもします。
 まあ、人それぞれですから、そんなことはどうでも良いことです。

 私は、喪中の葉書が来るたびに「今度は俺の番かも知れない」と思います。
 北大工学部の秀岳会では一昨年、OBのK君がお亡くなりになり、昨年は、北工会レコード鑑賞会で運営に協力してくれた学部学生だったH君がお亡くなりになり、死が身近になってまいりました。

 私は「人は一代、名は末代(人の肉体は一代限りで滅びるが、善行や悪行によるその名は長く後世にまで残る)」といわれていることもあり、未来永劫、正しく生きようと思っています。
 「正しく生きる」には、まず、金銭欲、物欲、色欲、権力欲、名誉欲などの人間の「欲」をコントロールしなければなりませんね。コントロールできなければ、安倍晋三さんや麻生太郎さんのようになってしまいます。

 現在は、エンゲル係数(食費の支出に占める割合が大きければ大きいほど生活に余裕がないという指標)も上昇し、国民はギリギリの生活をしています。
 安倍さんは、国会で「エンゲル係数上昇は食生活の変化」などと珍言を吹聴しましたが、安倍さんや麻生さんのような、1万円を超えるステーキを食べに行く大金持には、国民生活の実態は分からないと思います。

 また、安倍さんは「有効求人倍率が全都道府県で1倍を超えた」とか「パートの時給が統計開始以来最高」などと予算委でアピールしましたが、そもそも、「有効求人倍率の求職者というのはハローワークに行った人だけ」の集計であって、ハローワークに行かない失業者は含まれません。

 安倍さんは、賃金が上がっていると言いますが、財務省の『法人企業統計』によれば、企業の人件費は、2012年と2017年は同じ44兆円のままです。たとえパートの時給が上がっても「勤務時間を減らしているので賃金は同じまま」です。
 これを、安倍さんは「有効求人倍率が上がった」とか「パートの時給が統計開始以来最高」などと大ホラを吹きまくっているホラ吹き男なのです。
 まあね、言論の自由は、安倍さんのためにあるようなものです。

 しかし、憲法改正で言論の自由や結社の自由が抑圧されるから反対だと申しても、それは、言論や結社を必要としている人が問題にしていることであって、それ以外の国民の方々には、どうでも良いことなのかも知れません。

 権力者に飼い慣らされた多くの国民は、安保法制に反対なのに安保法制に賛成した政党に投票し、被曝を怖がるのに原発再稼働の政党に投票し、消費税増税に反対なのに増税する政党に投票し、戦争に行きたくないのに、憲法を変え、徴兵制を導入し、核武装の軍事国家を目指す政党に投票しています。

 政治を馬鹿にし棄権しても、結果的に自分で自分の首を絞めているようなものです。いくら幸せを願っても、選挙結果は多数決なので、安倍政権の広報機関である御用新聞・テレビの言うとおりに決められてしまいます。

 政府による、日本国民への洗脳は、北朝鮮と同等かそれ以上なんじゃないでしょうか。憲法改正の国民投票は『自民党の憲法改正』に賛成した有権者にも責任があると思います。
 しかし、仮に『自民党の憲法』に改正されて、言論や結社の自由が奪われて一番困るのは、宦官・去勢ジャーナリストや御用マスコミ”以外”のメディアのみかも知れませんね。

 安倍政権がホラを吹き、デタラメをやっても、暴動やクーデターが起こらないのは、長年に渡って行ってきた御用マスコミによる日本人ひつじ化(あるいは奴隷化)の成果であるとも言えます。

 物を言わない国民は、平和時にも戦争時(有事)にも永久に物を言わないでしょう。戦後、アメリカから与えられた民主主義は、物を言わない国民によって簡単に葬られ、物を言うホラ吹き安倍政権による圧政が続きます。
 1%の富裕層は大喜び。99%は棄民の対象。メデタシメデタシ!

 日本人の命は、もはや風前の灯火になっています。

 ■ 石破「戦争に行かない者は死刑!戦わないなら死ね」
    かわばた洋平『オフィシャルブログ』

  https://ameblo.jp/takumiuna/entry-11573563380.html

 ■ 東電「福島第一原発”放射能”浴びて死ね」 
 ■ NHK「死んで応援!”汚染食品”食べて死ね」 
 ■ ワタミ「365日働いて死ね」
 ■ 自民党「国防軍!戦って死ね」


 彼らはどうしても私たち一般人を殺したいらしい。〔色即是空〕

 < CIAにコントロールされてきた自民党 >
  http://beautiful2015.web.fc2.com/AbeFamily.html#CIA

 安倍さんと自民党は、ワシントンのクローバル・エリートたち(無政府主義のワン・ワールド主義者)にとっては、単に「使える馬鹿」と「その使える馬鹿を利用して政権の座にしがみつく妄執」に過ぎません。
 そして「戦後レジームから脱却」するために憲法改正や愛国心教育の実践を掲げ、挙句の果ては統一教会のコンセプトをパクッた「美しい国」をつくるなどという迷言を吐く始末です。



 安倍さんが何と言おうと、言いたいことを言って「正しく生きる」ことが、自分の生活を守ることだと思っています。
 まだまだ書きたいことが山ほどありますが、本日はここまでとします。



 戯け話とむかし話「出会いと別れの巻」おわり
 2018/02/17 16:29 石川 栄一


勝共連合と賽銭と短足の巻

「勝共連合と賽銭と短足の巻」 - 石川栄一  2018/02/05 8:37

 子供の頃は、両親に連れられて、よく狸小路を歩き、買い物をしたり、食堂でラーメンを食べたものです。当時の狸小路は、現在とは比べものにならないほど、どこもかしこも大混雑でした。

 今でも目に焼き付いているのは、戦闘帽に白装束の傷痍軍人のグループがアコーディオンを弾きながら寄付を集めていた光景です。
 聞くところによると、戦争で負傷した軍人よりも、事故で手足を負傷した者が傷痍軍人の服装をして寄付を集めている場合が多かったそうです。

 安保闘争以降の1970年代は高度成長期。沖縄返還運動とベトナム反戦運動真っ最中でした。
 そうした情勢の中、狸小路の梅沢無線に、公務で学生実験の装置製作のパーツ(主にトランジスタや抵抗、コンデンサーなど)を買いに行く途中のことです。

 昔、傷痍軍人が寄付を集めていた狸小路の入り口付近で、どこからともなく、作業服のような地味な服装をした私と同年代の若い女性がスタスタと寄ってきて「北方領土返還運動のための協力をお願いします」と訴えるのです。

 北方領土返還運動は大切な運動なので署名をし、募金として10円を差し出したら、若い女性は「10円じゃ少なすぎます」というので、私は100円を募金箱に入れてあげました。
 募金箱には「北方領土・・・」と書いてありました。
 ところが、数日後の新聞には「でたらめ街頭募金追及。“本家{北方領土問題連絡協議会)”が厳重抗議と題した記事がありました。

■ 1971年2月13日『読売新聞』記事より

「でたらめ街頭募金追及。“本家{北方領土問題連絡協議会)”が厳重抗議、「北方領土」のでっち上げ団体(北方領土復帰推進連盟)、金の使い方も不明」との記事が出る。
 国際勝共連合が母体となった「北方領土復帰推進連盟」という団体で、募金運動を行っていることに対し、51団体が加盟している全国組織の「北方領土問題連絡協議会」が、募金で集まった金の使途を明らかにせよと迫ったが、国際勝共連合側は明確な回答をせず。



 私は、”まあ、賽銭だと思えば良いか・・”、とは思いませんでしたが、100円の賽銭で懐かしい思い出があります。

 娘がまだ5歳位の時、家族で「日光」に旅行をしたことがあります。
 東照宮周辺には、多数の神社仏閣があり、私と妻はその都度、賽銭箱に金銭を投入するのですが、毎回100円硬貨を投入するので、娘は「もったいないからこれからは10円だよ」と言うのです。子供ながら「かまど餅がいい(北海道弁)」と思いましたね。それとも我が家の経済事情を考えたのかな。

 ところで、寒い日が続きますね。
 連日のように除雪が大変です。テレビでは、道路の真ん中でツルッと滑って転倒する女性の姿が撮影されていました。
 北海道の女性は、足が短いので安定性があると思っていましたが、そうでもないらしいですね。

 豪雪寒冷地に住む人間は脚が短くなる理由として、 氷の世界で育つため、膝から下は安定性を保つため伸びないと思うわけです。そして膝から上は太くなります。 北海道からミスユニバースやミスワールドが出ない原因は、そこにあるのかも知れません。もし、脚が長くなるように成長したい、あるいはさせたいときは、雪や氷のない地方で暮らすことをおすすめします。

 ついでに言いますと、寒冷地に住む人間は、暖かいところに行くと、玉のような汗を流します。そのわけは、寒冷地では、生まれたころから保温のため 汗腺の穴が閉じてしまうのが原因という説があります。

 一方、暖かいところに住む本州や四国、九州の人間の場合は、まんべんなく汗をかくため、玉のような 汗をかく人は少ないのです。
 したがって、東京のような大都会に住んでいたとしても「脚の長さ」や 「汗のかき具合」から出身地の察しがつき、カッペがバレるというわけです。

 北海道の春は遅く、豪雪も昔と変わりません。おそらく未来も変わらないでしょう。

 戯け話とむかし話「勝共連合と賽銭と短足の巻」おわり
 2018/02/05 8:39 石川 栄一




※【資料】国際勝共連合「共産主義に勝利するための国際連盟」

 ■ 設立年:1967年
 ■ 設立者:文鮮明
 ■ 種類:政治団体
 ■ 目的:共産主義思想の誤りを啓蒙し代案を示し打倒を目指す。
 ■ 位置:親米保守、親韓、親台派,中国国民党、反共主義
 ■ 公用語:日本語
 ■ 会長:太田洪量(代表)
 ■ 重要人物: 笹川良一(名誉会長)、 児玉誉士夫(支援者)
   久保木修己(元会長)、梶栗玄太郎(元会長)
   岸信介(日本国内閣総理大臣:安倍晋三総理の祖父)
   蒋介石(中国国民党總裁)
   朴正熙(韓国大統領)
 ■ 関連組織 世界基督教統一神霊協会(統一教会)
   世界日報(日本)、世界自由民主連盟(WLDL)
   スパイ防止法制定促進国民会議

【背景】 国際勝共連合は韓国の「勝共運動」の影響を強く受けている。「勝共運動」は、韓国においては、「反共法」まで制定して共産主義に対抗していた朴正煕政権の庇護を受けたと言われる。
【活動】 世界各国の反共・保守派要人と交流を持つ。「新しい憲法を作る国民大会」に賛同的であるなど、日本の「憲法改正」や核武装化を主張する。
 堀幸雄の『右翼辞典』によれば、国際勝共連合は統一教会(霊感商法)と事実上一体のものとみなされている。


※ 国際勝共連合(ウィキペディア)
※ 霊感商法(ウィキペディア)
通信簿と組合と大学紛争の巻

「通信簿と組合と大学紛争の巻」 - 石川栄一  2018/01/31 9:27

 私は子供の頃から文章が下手くそで、物事をうまく表現ができません。
 通信簿の国語の成績はアヒルの行列でした。当然、この掲示板で、一連の私のメッセージを読まれた方はすでにお分かりかと思います。

 文章が下手なのは、読書をしないことが大きな原因かと思いますが、家が貧乏で、本を買うお金がないというのも理由にはならないと思います。それは、学校の図書室で読めば良いことですからね。

 文章が下手なのは、外で友達と遊んでばかりいたからでしょう。
 昭和20年代、当時はゲーム機などなく、電化製品と言えば真空管式のラジオと白熱電球くらいでした。テレビも冷蔵庫も洗濯機もありません。いま考えれば、そうとうなエコ家族でしたね。

 黒松内の祖父の家なんか、そもそも電気が来ていないので、電化製品はゼロ。ガスも水道もなく、水はポンプでくみ上げて生活をしていました。当時は、それが普通でした。それを貧困だとか不便だとかは、感じられなかったみたいですね。
 文章が下手でも、職員組合の班役員に抜擢されたこともありました。それも教育宣伝部。恐らく、なり手がいなかったからでしょう。班役員と申しましても、私は理論家でも雄弁家でもないので、立て看板作りとビラまき要員でしたね。
 工学部の前で、約半年に渡って毎日のようにビラ(主に学部民主化の内容)をまいていたので、一躍有名になり、学内では、私が知らない相手でも、相手方が私の名前を知るほど有名になっていたようです。

 こんなことがありました。私の妻が、Kちゃん(秀岳会OB)の紹介で、歯学部付属病院の事務にアルバイトとして勤めた時、そこの職員が、妻の顔を見に数人やってきて「あの人が石川さんの奥さんだよ」と興味深げに見られたそうです。それに対して、Kちゃんが私の妻をかばったといいます。

 妻は数ヶ月後に子供ができて退職することになりますが、その時も、歯病の職員が盛大な歓送会をしてくれたようで、私の名前は歯病まで知れ渡ったと、妙な気分になりました。というのは、私は歯病の職員の名前など、Kちゃんしか知らなかったからです。

 私が組合に入ったのは、昭和43年の春、先輩のNさんの紹介からでした。その時、先輩に組合の組織率を聞いたところ、80%という答えでした。
 それを信用して組合に入ったのですが、組織率の80%というのは、技官のみの組織率であって、事務官や教官(教授・助教授・助手)を含めた全体の組織率は、当時50%以下でした。それでも私は、組合の活動が正義であると信じました。
 当時、大学紛争真っ最中でしたが、北大にはまだ飛び火しておらず、テレビで放送された全共闘と機動隊との東大安田講堂攻防戦を、対岸の火事のように眺めておりました。

 しかし翌年の春、北大教養部が全共闘に封鎖され、工学部の封鎖も時間の問題の状態でした。
 ある日、私は、親戚のテレビ修理に行っている時、組合のGさん(秀岳会OB)から「工学部が封鎖されそうだから来て欲しい」という連絡が入ったので、取り急ぎ、工学部の書記局に駆けつけると、数人の組合員が集合していましたが、その夜は何も起きませんでした。

 そうした中、後に過激派の『闘う集団・創造』を結成する、同じ電気工学科の治さんにススキノのスナックバーに誘われました。
 私は何が何だか分からずまま、Oさんの話を黙って聞いていましたが、最後に「一緒に闘おう」と言われたので、私は「ハイ分かりました」と答えておき、そのまま、工学部に泊まり込みに行きました。

 翌日、Oさんから「昨夜、工学部に泊まり込んだのですか」と言われたので、私は「ハイ」とだけ答えると、Oさんは、残念そうな顔をしていましたね。
 当時、電気工学科には私と同じ名字の職員が3名在籍していましたので、一部の事務職員は過激派「闘う集団」の幹部は、私(石川栄一)だと勘違いしていた人もいたようです。

 それから、一ヶ月も経たないうちに、全共闘(中核派、社学同、反帝学評など)・革マル派などの過激派は、教養部や図書館などを封鎖しました。その結果、一般学生の勉学の場と教職員の職場が、失われてしまいました。


■ 第6回北海道大学史研究会「北大紛争1969-70年」映像資料上映会(資料)
 https://www.hokudai.ac.jp/events-2006-2010/2009/09/event-645.html
(第6回北海道大学史研究会のご案内)

■ 激動の北大史1969「第一部」
http://www.geocities.jp/mmkan2004/ViolentlyHokudaiA.html
「撮影」北海道大学教職員  「制作・編集・音楽」石川栄一
(注)ブラウザは、Internet Explorerでご視聴下さい。

■ 「部局ニュース」「北大紛争1969-70年」映像資料上映会を大学文書館で開催(資料)
https://www.hokudai.ac.jp/bureau/news/jihou/jihou0910/667_34.htm


 工学部では、職員や学生・院生を中心とする封鎖阻止行動委員会(自警団)が組織され、毎日のように泊まり込みを行い、工学部を防衛しました。

 過激派は、真夜中から早朝にかけて、攻撃を仕掛け、工学部の窓ガラスを割ったり、火炎瓶を投げつけたりしました。そのとき、玄関の守衛室から守衛長が出てきて、自警団の私に対し「負ける喧嘩はやめなさいよ」と叫びました。

 当時、工学部の玄関は、鉄扉で防御されていたため、過激派の進入を阻止できましたが、守衛長は、玄関ロビーを大型の懐中電灯で、サーチライトのように照らしながら意味不明な言葉で叫ぶ、過激派に怯え、恐れおののいているようでしたね。私は、守衛長に後ろに隠れるよう指示しました(何となくアベコベのように思う)。

 その後の大学紛争については、後日述べたいと思います。


 戯け話とむかし話「通信簿と組合と大学紛争の巻」おわり
 2018/01/31 9:27 石川 栄一


憲法と国防の巻
母の母校・札幌市立高等女学校「卒業記念アルバム」より 昭和18年

「憲法と国防の巻」 - 石川栄一  2018/01/21 7:24

 自民党は、安倍首相が提案した「自衛隊の明記」と併せて、教育の無償化・充実強化、緊急事態対応、参議院の合区解消をあわせた4項目を中心に「初の憲法改正」を目指しています。
 
 しかし、改憲に意欲的な首相は、昨年の衆院解散を表明した記者会見で、改憲には一切ふれませんでした。
 街頭演説でも、自ら招いた「国難」と位置づけた北朝鮮情勢への対応や、少子高齢化対策の重要性を主に訴えましたが、モリカケ問題と同様に、改憲については語らず逃避行を続けています。

 安倍首相のこのような選挙活動は、自民党が圧勝した過去の衆参両院選挙でも同様でした。選挙前は「経済優先」を強調し、選挙で得た「数の力」で憲法改正などの「安倍カラー」の政策を強引に進めてきたわけです。
 例えば「特定秘密保護法」、「安全保障関連法」、「共謀罪」法を成立させたのは、いずれもアベノミクスなどの経済政策を前面にたてた選挙の後でしたね。

 これは、「憲法改正」を選挙の争点にすると、自民党が大きく議席を減らすからに他なりません。逆の見方をすれば、多くの国民は「憲法改正」を望んでいないということを、安倍首相は意識しているのでしょう。
 それでも、安倍首相が改憲に意欲的な理由としては、祖父・岸信介の〝私怨〟でしかないという見方もあります。
 昔、フランスで、「朕は国家なり」と言った皇帝がいましたが、安倍首相の場合は「朕は憲法なり」と言いたいのでしょう。


■「朕は国家なり」:私は国家そのものである。
 ルイ14世の言葉で17世紀フランスの絶対主義を象徴する。

■「朕は憲法なり」:私は憲法そのものである。
 日本国を私物化し、公金をアベ友にバラマキ、国有財産を極端に安く払い下げているモリカケなどやりたい放題。国会では『私は立法府の長』と繰り返した。
(注:立法府の長は形式的には議長であり、総理大臣は行政府の長である。)


『私は立法府の長』 この安倍の発言について、「言い間違い」だと自民党側は主張したが、過去(2007年5月11日)にも同様の間違いをしており、行政(内閣)、立法(国会)、司法(裁判所)という『三権分立を理解していない』ことは明らかだ。


 一方、国民は憲法改正についてどう考えているのでしょう。
 これですが、NHKが昨年実施した世論調査によりますと、自衛隊は「憲法で認められたもの」とする回答が62.0%を占め、「憲法で認められないもの」(11.2%)を大きく上回りました。
 しかし、同じ調査で「優先的に取り組んでもらいたいこと」を聞いたところ、

(1)社会保障や福祉政策(61.5%)
(2)景気・雇用対策(55.3%)――の順で、


「憲法改正」は、僅か6.1%しかなく、改憲には結びついていなかったわけです。
 このような状況でも、実際に、”自民党の憲法案”が国民投票で過半数の賛成が得られたら、憲法が改正されます。
 投票率の過半数ですから、例えば、投票率が100%でも、30%でもその過半数の賛成で、憲法が改正されます。
 極端な話、NHKの世論調査「憲法改正」に期待するが僅か6.1%程度の投票率でも、憲法が改正されることになります。

■「自民党の憲法に改正」されたらどうなるか、
(1)表現の自由が制限される:「交益」や「公の秩序」に反しない場合は自由ですが、反すれば制限されたり処罰されるようです。しかし「交益」や「公の秩序」に反するか反しないかを誰が判断するのかが分かりにくいですね。

 実際は、アベ友やアベヨイショの時事通信社・田崎スシローやNエッチK解説委員の島田ら『宦官・去勢ジャーナリスト』以外のジャーナリストは監視され、些細なことで逮捕される可能性もあります。

 安倍首相は、国民から集めた血税を、自公政権の私有財産にしているようなものです。
 多額の血税を使って、御用ジャーナリストらを飲食接待しています。その御用ジャーナリストらを「宦官・去勢ジャーナリスト」とも呼んでいます。
 これら政治記者や、政治記者上がりの政治評論家は、「官房機密費」をシコタマ貰い、せっせと安倍援護に精出す情報宣伝工作員(スパイ)です。
 思想も良心も、そして独立国日本の国民としての自覚も、何も持ち合わせてはいません。
 彼らは、「時の総理と食事を共にして何が悪い」と居直るでしょうが、特定秘密保護法、集団的自衛権などに安倍を援護し、その結果、憲法が破壊され国民の声が軽視され、着々と戦争への道が開かれています。


田崎史郎とケント・ギルバートに自民党からカネが支払われていた! 政治資金収支報告書で発覚 LITERA 2017.12.04
http://lite-ra.com/2017/12/post-3627.html


(2)戦争ができる国へ変貌:現在の『平和主義(戦争の放棄)』をやめ、国防軍を創設します。
 戦後、73年間、専守防衛を貫き、国民や外国人を一人も殺さなかった自衛隊が、国防軍と名を改め、海外に派遣され、日米軍事同盟の下で、米軍の支援部隊として、行動を共にして日本が戦争に巻き込まれる可能性が大となります。
 そして、多数の外国人を殺すこともあるし、自衛隊・国防軍にも戦死者が出るでしょう。

 そのような事態のために、各市町村は戦没者(国防軍、自衛隊員)の慰霊碑予算を組みましょう。また、自衛隊員は、犬死にしたくなければ即刻除隊したほうが良いと思います。
 第二次大戦中、NHKは、軍部の大本営発表で「国民に勝っていることしか伝えなかった」のです。撤退を転進と言い換え、全滅を玉砕などと勇ましい言葉で報道し、最後は敗戦を終戦と締めくくりました。

 そしてNHKは今も、安倍政権の広報部隊として大活躍。更に、自衛隊「日報」疑惑と隠蔽体質は、旧皇軍からのお家芸。これからの国防軍・自衛隊は安倍首相に殺されることになります。
 また国内では国防軍・自衛隊の「治安維持活動」として、デモ行進や大規模集会などに対し、国民の行動を制限することもできる強大な権限を持ちます。

(3)緊急事態宣言:戦争や大規模な災害などの際、内閣総理大臣が『緊急事態宣言』をすると、内閣は国会で話合うことなく法律と同じ力を持つルールを定めることができ、国民はこれに従わなければなりません。
 つまり、国会は不要になり、安倍首相は「朕は憲法なり」から、ルイ14世の如く「朕は国家なり」へと一躍、大出世となるわけです。

(4)社会保障制度の後退:「自民党の憲法に改正」では、「家族」の扶養義務が強調されて、生活の扶助の多くが家庭の負担とされる可能性があります。
 それにより、医療費や介護費の重圧で家計が圧迫され、安倍首相が強調する「家族は助け合わなくてはならない」はずの家族が、「崩壊」することになりかねません。

 さて、憲法改正の最大の目的としているのは、国防でしょうか。そもそも、赤字国債と地方債を併せて千兆円以上もある国家が、はたして国の防衛など出来るのでしょうか。予算があるの?。
 まして、このような大赤字借金国家を侵略する物好きな外敵などどこにも存在しないでしょう。
 よく米軍が、借金大国の我が国から逃げ出さないものだと不思議です。

 侵略は、その国に価値があるからするのです。
 我が国のような資源のない大赤字借金大国や福島第一原発事故で放射能汚染され、汚染水を大量に流し続けている国を侵略してどのような利益があるのでしょうか。
 私たちができることは、国防にお金をかけることよりも、まず、全ての原発の停止と廃炉であると思います。

 安倍首相の国防の目的は、国民を守るためではなく、アメリカのポチになり、国連を無視して戦争を起こします。
 日本はアメリカの戦争に巻き込まれないように行動しなければなりません。その為には、アメリカのポチである自公政権を倒す必要があります。


 巨匠オリバー・ストーン氏の言:「日本より軍事費が多いのは米国、英国、中国だけだ。日本をそういうふうにした共犯者はアメリカにほかならない。日本は米国の武器の最大の得意客なだけでなく、アメリカの行なったクウェートやイラクでの戦争の戦費の支払をしてくれた」


 米ポチの安倍首相は生活保護など福祉予算を削り軍事費拡大し続けています。それでも、「ものを言わない国民」は、安倍首相のポチになりつつあり、言論や表現の自由など必要ないと思います。
 しかし、平和の時にはものは言えなくても、戦時(有事)には立ち上がる国民が多いかも知れないという希望的観測で、今回はこれまでとします。



 戯け話とむかし話「憲法と国防の巻」おわり
 2018/01/21 7:24 石川 栄一


神様とリンゴと宗教の巻

「神様とリンゴと宗教の巻」 - 石川栄一  2018/01/15 17:42

 お正月気分でいたら、早いものでもう半月、今年も初詣には行きませんでした。そもそも、神様に願いをかけて叶ったことはありませんね。他の方々も同じでしょう。
 「幸せになりますように」「お金が儲かりますように」「彼女ができますように」・・・などなど。これらは、神頼みでかなうものではありませんね。

 仮に願いが叶ったとしましょう。そうなると、一生神様に恩返しをしなければならないまでも、必ずついて回ります。相手が人間であれば、忘れることも可能かも知れませんが、相手が神様となると縁など切りようがありません。
 昔の皇帝や王様は、都合の良い神を利用して人間を支配しました。

 20年ほど前、私の家の隣のご主人が、不治の病にかかり医者からも見放された状態でした。
 その奥さんが毎日のように、お百度参りのように、近所のお寺にお参りに行っていました。
 すると、ご主人はみるみるうちに病が快復し元気になり、今でもご主人と奥さんのご夫婦は、お寺参りを日課としています。

 そのお寺の住職は、女性なのですが、それだけの法力があるのなら、早死にした元住職だったご主人を、なぜ治せなかったのかと思いたくなります。

 ふと思ったのはニュートンのリンゴの話です。
 ニュートンは、リンゴが落ちるのを見て「万有引力を発見」したそうですが、幼児の頃からトイレで用を足して、なぜ万有引力を発見できなかったのか、という話と何となく似ているように思います。
 ニュートンは大人になるまで寝たきりで、トイレに行かなかったのかな。

 いえいえ実際は、ニュートンが、リンゴが落ちるのを見て「万有引力を発見」したというのは作り話で、いろいろな現象の観察結果と微積分を使って「F=GmM/r^2 としか思えない」という理由をいくつもいくつも上げています。
 それらは、ユークリッドの公理論の形でかかれていて、リンゴの話などどこにも出てこないのです。

 さて、宗教の話ですが、宗教は、縄文時代以前の部族単位の共同生活で発生しました。それは、人間の能力では解明できない現象を、全て神の業にしたのです。たとえば風の神、火の神、太陽の神、海の神、月の神、雷の神、川の神などです。
 宗教の起こりは、人間が精神の働きや、自然の様々な現象について、科学的な解明ができなかった有史以前の未開状態にあります。
 しかし、2500年前頃、日本列島に大陸などから渡来人がやって来たころから、縄文人と渡来人が交わり、弥生時代に移行します。

 弥生時代には、稲作のための領地獲得のために、日本中で戦乱が起きました。その頃から、富を貯えた豪族が領地を拡大していき、奴隷制が根付きます。
 邪馬台国の卑弥呼の時代には、多数の奴隷が、中国「魏」王朝への献上物として送られたのです。

 やがて、中国から仏教が伝来します。
 階級社会では、不平等な社会から生み出される不幸や悩みが根源になり、宗教が存在し続けます。特に強権政権が強ければ強いほど、不平等が痛烈に感じるような状態になり、宗教はますます力をつけることになるのです。
 21世紀の今でも、強権政権の国家は、宗教の力も強いですね。

 世界の歴史を見ても、奴隷制だった古代には、様々な宗教が発生しました。
 しかし中世になると、支配階級が宗教を利用するようになります。
 つまり、国王や皇帝は神(教会)やローマ法王庁からの信認を受けなければ、王冠をかぶれなかったのです。

 このように国王や皇帝は、神の名の基に国を治め、他国を侵略して植民地を広げ、帝国を築いていったのです。
 中世におけるキリスト教などの宗教は、もともと庶民(被支配者階級)のために発生したにも関わらず、庶民を抑圧するための強力な武器と化した時代だったのです。

 日本のマスコミがよく使う「華麗なる王朝文化」は、庶民が抑圧された時代なのです。その時代のことをマスコミは「大航海時代」と呼んでいますが、正確には「帝国主義時代」であり、征服された国から見れば「植民地時代」だったわけです。物は言い様ですね。例えば、否定的な意味を有する言葉を、受け入れ易い言葉に置き換えるマスコミの婉曲的手法でよく使われる「テロリスト」は「レジスタンス」となり、「略奪行為」は「抗議デモ」と報道されます。

 最近の北朝鮮兵士の「脱走」を、日本のマスコミは「亡命」と報道しています。戦時中のマスコミは、大本営発表で「戦争を事変」「撤退を転進」「全滅を玉砕」「避難を疎開」「敗戦を終戦」などと報道しました。
 そして今も、防衛省は「墜落」を「不時着」というように、都合の悪いことは詭弁で逃げます。

 日本は、大日本帝国の時代(第二次世界大戦敗戦)まで、天皇を現人神として「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス(大日本帝国憲法第3条)」と定め、神格化された天皇を国民統合の精神的中核とする国家体制を形成しました。

 第二次世界大戦敗戦後、天皇の「人間宣言」によってその神格性が「架空のもの」であると念押し的な意味合いで言及されたため、公の場で「現人神」と言う呼称を用いられる事は無くなりました。

 しかし安倍政権を始め、日本会議を中心とした右翼・保守派・宗教者の一部は疑義を抱き、現在でも天皇を「現人神」として神聖視している者もいます。
 倭国~邪馬台国の未開時代からの長い年月で、養い育てられた宗教は、現代のような民主主義の時代になったとしても消えません。

 将来、人々の間から、不平等感や差別意識がなくなり、不幸や悩み、戦争や災害などの恐怖、貧富の差が消え去れば、宗教は自然消滅するものと思います。
 数多くの新興宗教には、宗教の名を借りた、単なるビジネス団体が多く存在します。
 人の弱みにつけ込み、信者に借金までさせて、お金を巻き上げる「宗教ビジネス」は、絶対に許せませんね。



 戯け話とむかし話「神様とリンゴと宗教の巻」おわり
 2018/01/15 17:42 石川 栄一


新年の抱負とお正月映画の巻

「新年の抱負と映画の巻」 - 石川栄一
 2018/01/08 8:26


 皆様、新年明けましておめでとうございます。
 今年も、残り少ない余生を楽しみながら、元気に生き抜こうと思っています。
 今年の抱負としましては、まず「太陽光発電」に加え、「風力発電」を試みようと計画しています。

 ついでに「水力発電」も検討中で、水源に近くの発寒川を利用しようかなどと、大それた事を考えていますが、管理者である札幌市は許可などしないでしょうね。
 そこで考えたのは「永久機関」であります。
 まず、自宅の屋根の上に、水を貯める大型のプールを作り、そこからパイプを経由した水に高圧をかけて小型タービンを回転させる。
 使った水は電動ポンプで屋根の上のプールに戻す。タービンやポンプなどの電源は、この「永久機関」で発電された電力を使用するので、北電からもサヨナラできるというわけです。
 うまくいくかどうかですが、問題は経費です。国の復興資金という手もありますが、モリカケ(森友・加計)のようなアベ友なら何とかなると思うのですが。

 次に、計画しているのは「自家用エレベーター」です。
 理由は、私も妻も高齢のため足腰が弱り、2階に上がるのが大変なので、それを解消するひとつの方法です。
 もう一つの理由は、屋根の上のソーラーパネルや無線のアンテナを整備するために今は新築時に付けてもらったタラップ(金属製のハシゴ)を使っているのですが、手が滑ったら、一気に来世行きになってしまいます。


そこで考えたのが「自家用エレベーター」というわけです。
概念図 構造図

  専門業者に頼むにしましても、年金生活では絶対に無理なので、自家製でやろうと思います。
 まず、枠組みは大工仕事になりますが、これは何とかなるでしょう。ガイドレールは、DIYショップで売られている単管金属パイプを利用する。
 人が乗る「かご」は家族2~3人乗れれば良いので自作する。巻上機のモーターは、AMAZONなどで売っている調速機付の大型ウインチで何とかなるでしょう。釣合重りは省略。

 構造的には簡単なんですが、問題はやはり費用です。さらに、母屋にも手を加えなければなりませんので、経費は更にかかります。
 しかし、仮に出来たとしても「建築基準法」というもので規制されているんじゃないかと思い、ちょっと調べてみました。
 エレベーターの種類には「乗用エレベーター」や「荷物用エレベーター」など各種あり、建築基準法に規定されるエレベーターは、前記に規定されるもの以外に以下のものが規定されています。

 私が検討しているエレベーターは「ホームエレベーター」という部類に属すようです。

【ホームエレベーター】
 かご(人が乗る部分)が住戸内のみを昇降する昇降行程が10m以下のエレベーターで、かごの床面積が1.1m2以下のもの。
 通常の乗用エレベーターと比較して、安全装置の一部が緩和されている。また、建築基準法第12条に規定される定期報告が義務付けられていない。



 「建築基準法第12条に規定される定期報告が義務付けられていない」とはありますが、やはり規定がありそうですね。
 もし仮に、自家用エレベーターで人身事故でも起きたら「違法設置エレベーター」による事故として扱われますね。やはり建築屋と相談しなければダメですかな。夢のような計画に終わるかもしれません。

 さて、子供の頃の正月には、お正月映画として封切られた映画を見にいきました。しかもタダで。
 主に、札幌劇場(現スガイディノスで父の後輩が経営)、帝国座(父の知人が経営)、東宝公楽(父の知人が経営)など。
 特に東宝公楽には、よく弟と二人で怪獣映画を見に行きました。私たちは、東宝公楽の裏口から、タダで入館するので「裏口入館」でした。

 中学生の頃まで、父親の顔パスで映画を見に行きましたね。
 その頃からベンハーやエルシドなど、70ミリ大スペクタクル映画が隆盛をきわめ、それと同時に主題曲も流行しました。

70ミリ映画【ベンハー】(1959年) サウンドトラック
「ベンハー序曲」

 https://www.youtube.com/watch?time_continue=2&v=mjfgmyEvZ_g
「戦車競走のシーン」
 https://www.youtube.com/watch?time_continue=6&v=YtfRbE51EdA
 (作曲)ミクロス・ローザ  カルロ・サヴィーナ指揮 / ローマ交響楽団

70ミリ映画【エルシド】(1961年)  ラストシーン
 https://www.youtube.com/watch?v=nqFWBNB2xfI
 (作曲) ミクロス・ローザ  ミクロス・ローザ指揮 / ミュンヘン交響楽団


 70ミリ映画が誕生する遥か昔、エジソンが発した「35ミリ方式」の映画は、現在も映画の標準になっています。これは35ミリフィルム幅で1コマにつき4つのパーフォレーション送りという基本構造になっています。
 その後出現した、シネマスコープ方式も、35ミリフィルム幅で、これはカメラのレンズの前に、アナモフィックレンズを付けて、水平方向に画像を圧縮して撮影し、映写の際も、このレンズを通して投影します。

 こうすることにより、水平方向に延伸させて、もとの画面に戻し縦横比、1:2.35を得るのです。 やがて、シネマスコープ時代から70ミリ映画全盛時代に突入します。
 1950年代から1960年代にかけての「ベン・ハー」や「エル・シド」などのスペクタクル70ミリ映画には、トッド・AO方式やスーパーパナビジョン70方式、そしてMGM65方式、ウルトラパナビジョン70方式がありました。
 前者のトッド・AO方式やスーパーパナビジョン70方式は、非圧縮型のプリントで、トッド・AO方式の映写画面の縦横比は、1:2.21で6チャンネルの立体音響方式を持っておりました。

 映画「ベンハー」などのMGM65方式やウルトラパナビジョン70方式は、圧縮型プリントで縦横比1:2.5の映写画面を得ています。
 他に、撮影は35ミリで行い、これを拡大プリントして70ミリフィルムにした準70ミリ映画方式にスーパーテクニラマ70方式がありました。

 そのほかに、パラマウント社のビスタビジョン方式がありますが、これは35ミリフィルムを横方向に走行させ、35ミリ方式の2倍の面積のパーフォレーション8個分を1画面として、映写画面の縦横比を1:1.85を得ています。
 その後、家庭にテレビやビデオ、レーザーディスク、そしてDVDが普及していくにつれ、70ミリ映画フィルムは、それらの原盤として甦えり、新しい道を歩むことになるのです。

 映画は多くの人々に夢と感動を与えてきましたが、テレビ番組はあまりにもつまらないと思います。
 今年の正月番組にしましても、これ以上つまらなくなりようがないくらい、つまらない番組ばかりです。
 バカ騒ぎのクイズやバラエティ番組と、コマーシャル番組の連発。バカ番組であれば、内容はどうでも良いのでしょうか。
 そして、NHKは安倍政権の広報部隊として、読売、産経新聞と同様にアベヨイショするでしょう。
 国民総愚民化を推進する日本のテレビ局らマスコミは、いまや世界のマスコミから報道機関としては相手にされなくなっています。


 戯け話とむかし話「新年の抱負とお正月映画の巻」おわり
 2018/01/08 8:26 石川 栄一


日本神話と粛正の巻

「日本神話と粛正の巻」 - 石川栄一
 2018/01/03 11:35


 先日スカパーで、三船敏郎主演の映画「日本誕生(1959年東宝)」を見ました。上映時間3時間の大作です。見どころとして、日本武尊(やまとたける-三船敏郎)の熊襲征討(くまそせいばつ)。
 これはあの三船敏郎が女装して熊襲兄弟の宮殿に潜り込み騙し討ちをするというシーン。厳つい顔した三船の女装はちょっといただけないですね。

 それを熊襲兄(志村喬)が「美しい」というのだから笑えます。映画「七人の侍」の主人公同士が敵と味方に分かれて争うような感じです。


【東宝映画「日本誕生」予告編】
https://www.youtube.com/watch?v=K2t4aogM2Dc&t=37s


 次に、高天原(たかまがはら)の天照大神(あまてらすおおみかみ-原節子)が弟の須佐之男(すさのお-三船敏郎二役)が悪戯を繰り返したため、怒って天岩戸(あまのいわど)に隠れてしまったっため真っ暗闇になります。そこで八百万神(やおよろずのかみ-柳家金語楼ほか大勢の神々)が歌えや踊れのドンチャン騒ぎをして「天照大神より貴い神が表れた」と大嘘を吐いて誘い出します。

 天手力男命(あめのたじからお-大相撲力士の朝潮太郎)の怪力で天岩戸を開けた時、再び光が差し明るくなるシーン。これは、最初から天手力男命が天岩戸を開けてやれば、八百万神らがドンチャン騒ぎなどしなくて済んだのにね。まあ、それじゃ単純すぎて八百万神の活躍する場がなくなるかな。

 天岩戸から現れた天照大神が「私より貴い神が表れたとは誰のことです?」と尋ねると、天児屋命と太玉命が「鏡に映った天照大神、あなたです」と言って天照大神に鏡(八咫鏡-やたのかがみ)を差し出しました。この鏡は、三種の神器(歴代の天皇が皇位のしるしとして受け継いだ)になります。

 須佐之男の八岐大蛇退治で手に入れた天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)も三種の神器ですね。このオロチ退治の話でも、八岐大蛇をアルコールの強い酒で酔わせてからの騙し討ちです。このように日本神話も騙し討ちだらけです。

 熊襲を征伐し、西国から大和に凱旋した日本武尊ですが、すぐさま東国の制圧に出陣させられます。
 日本武尊が相模国に入り、焼津でだまし討ちにあって猛火に囲まれたとき、天叢雲剣によって、敵が放火した草をなぎ払って難を免れたため命拾いします。そして、天叢雲剣は「草薙(くさなぎ)の剣」と呼ばれるようになります。

 これは、大和王朝で権力を握りたい大伴建日連(おおとものたけひのむらじ-東野英治郎)が、一族出身で景行天皇(けいこうてんのう-中村鴈治郎)の後添いの子である若帯日子命(わかたらしひこのみこと-宝田明)を皇位につけようと画策していたため、日本武尊が最も邪魔な存在であり、暗殺を企てたのでした。
 この東野英治郎はテレビの「水戸黄門の黄門様役」でも有名ですが、あの映画「七人の侍」では、野武士の頭領で悪役でした。

 日本武尊は、東国から父親である景行天皇の悪意と、征伐の無意味さを知り、大和に引き返すことにします。しかし、途上の船で、大嵐で遭難しそうになり、この時、弟橘姫(おとたちばなひめ-司葉子)が自ら人身御供となって海の中に飛び込みむと、暴風と荒波が収まり、日本武尊の軍は助かります。

 やがて、もうすぐ大和というところまで来た時、また大伴建日連の軍勢の騙し討ちに遭い、日本武尊は戦死します。
 そして日本武尊の魂が一羽の白鳥となって空に向かい、大伴建日連の軍勢は神罰により洪水と溶岩流に飲まれて全滅します。すごいスペクタクルが展開されます。
 白鳥は倭姫(やまとひめ-田中絹代)の館である伊勢神宮を旋回した後、高天原に向かって飛んでいくシーンで、この映画は終わります。

 悪は滅びるのは良いことですが、日本神話は騙し討ちの連続でしたね。また、日本武尊の伝説のような映画ですので、題名が「日本誕生」ではなく「日本武尊」のほうが良かったのではないかと思います。

 このように、日本神話を題材にした映画「日本誕生」では、大和王朝に逆らう熊襲兄弟を日本武尊が制圧し、次に日本武尊を大伴一族が粛正しましたが、正義が勝つとは言い切れないですね。最後まで生き残った者が正義であるのかもしれません。
 神話に限らず、国家の権力機構が出来上がると、必ず目障りな一族が粛正されます。権力は非情なんですね。
 日本を一つの組織とすると、安倍自公政権にとって一番目障りな一族は、やはり野党、特に共産党や社民党でしょうか。もし現在が大和時代だったら、必ず粛正されてしまうでしょうね。
 もしこれが現在の企業であったら、会社にとって目障りな社員は左遷されるのと同じようなものです。

 私の知人である大病院の院長と、江戸時代末期の新選組や長州藩士の暗殺の話をしたことがあるのですが(院長は)「安倍総理は暗殺されるような価値はないでしょう」と述べていました。
 私は、暗殺されるような価値のある人間になりたくはありませんが、日本を何とかしなければならないと思っています。
 しかし、植木等の歌にもあるように「そのうち何とかなるだろう」と思っている人が多いと思います。
 国勢選挙に行かない国民が、半数近くもいることが、それを裏付けていますね。


 戯け話とむかし話「日本神話と粛正の巻」おわり
 2018/01/03 11:35 石川 栄一


好きな映画と洗脳の巻
子供の頃の自宅前(札幌市中央区北4条西20丁目、昭和20年~30年代)

「好きな映画と洗脳の巻」 - 石川栄一
2017/12/20 (Wed) 00:48:07


 私が子供の頃は、よく父親に連れられて映画を見に行きました。
 映画と申しましても、そのほとんどは、ゲーリークーパーやジョンウェイン主演の西部劇でしたので、幼児の私には、英語は分からず、字幕も読めず、まったく内容が分かりません。

 何が楽しかったかと言えば、映画が始まる前や休憩時間に館内を走り回ることでした。他のお客さんはうっとうしかったと思いますが、両親は私や兄弟を他人の子供のように、知らないふりをしていましたね。
 もっと積極的な子供は、館内の舞台に上がったり降りたりして遊んでいました。
 始まる前の数十分間、父親に「映画はまだ始まらないの?」と何回も聞いた記憶が残っています。上映中は何が何だか分からないので、眠ったりお菓子を食べたりしながら3時間近くをじっと耐えました。弟がトイレに行ったまま、いなくなり、母親が探していたら、知らないおばさんに抱かれながら戻ってきた事がありました。昔は皆ノンビリしていたのですね。

 さて、映画は個々人によって好き嫌いがありますので、面白いから見にいけなどと無理強いはできないのは当然です。
 私は、ハリウッド映画のスペクタクル史劇が好きです。 特に70ミリスペクタクル映画は、レーザーディスクやDVDを購入して、いつでも飽きることなく鑑賞しております。

 日本映画では、大映の70ミリ映画「釈迦」や「日蓮と蒙古大襲来」などの特撮映画。「太平洋の嵐」や「山本五十六」などの戦争映画も好みます。
 怪獣映画では、「ゴジラ」「モスラ」「ラドン」など。アニメでは、永井豪原作「新キューティ・ハニー」が面白いです。

 俳優では、チャールトン・ヘストンのファンでした。
 主演映画「ベンハー」、「エル・シド」、「十戒」、それからアーノルド・シュワルツェネッガー主演「コナン・ザ・グレート」、「コマンドー」、「プレデター」など観ているだけで、ストレスが吹っ飛んでしまいます。
 アクション映画では「ターミネーター」や「インディージョーンズ」シリーズなどをよく観ます。

 ミュージックでは「中島みゆき」の大ファンです。特に「夜会」シリーズは、レーザーディスクやDVDで楽しんでいます。
 テレビでも毎日のように映画を放送していますが、コマーシャルがうっとうしいため、最近、CSのスカパー時代劇専門チャンネルに加入して楽しんでいます。
 番組の途中にコマーシャルが入らないので、もっと早くスカパーに加入しておけば良かったと思っています。
 地デジやBSの民放とNHKの番組はほとんど見なくなりました。


【鵜呑み度と洗脳に関する資料】

■ マスコミ報道鵜呑度 日本人70%、 英国人14% 
  青山貞一 
E-wave
 https://www.youtube.com/watch?v=ypPqsWUC6Vo

テレビコマーシャルだらけの民放連会長の名言     井上 弘 TBS会長 民放連会長

「テレビは洗脳装置。嘘でも放送しちゃえばそれが真実。」
    (1998年 TBS副社長時代 入社式にて)
「社会を支配しているのはテレビ。これからは私が日本を支配するわけ
    です。」(2002年 社長就任時 入社式にて)
「日本人はバカばかりだから、我々テレビ人が指導監督してやっと-るん
    です。」(2003年 入社式にて)
「NHK受信料を値上げして、その一部を民放にも分配するべき。」
    (2005年)
「通告と一緒に弾が来た。」
    株主を暴力団呼ばわり。(2007年4月東京新聞)
「君たちは選ばれた人間だ。 君たちは報道によって世の中を動かす側の
    人間。対して一般国民は我々の情報によって動かされる人間だ。 日本は
    選ばれた人間である我々によって白にも黒にもなる。」
    (2012年 民間放送連盟会長就任 入社式にて)



 こんな人物が、民放連会長とは呆れて物が言えませんね。
 マスコミが洗脳機関であることは、周知の事実だろうと思いますが、このように放送連盟のトップまでが堂々と発言しています。

 日本人は、先進諸国で飛び抜けてマスコミ報道を鵜呑みにし信じやすいことが実証されています。「全面的に信頼している」を100点とした場合、 NHKが73・5点、新聞が70・9点、民放は63・6点、インターネットは58・2点であったという統計もあります。

 また、民放の平均年収も飛び抜けています。
 在京キー局では、フジテレビジョン1,572万円、TBS1,570万円、日本テレビ放送網1,427万円、テレビ朝日1,355万円、テレビ 東京1,231万円。
 一方、国民の視聴料で生活しているNHKの平均給与1,041万円+α(実質1500万円以上)。

 大学教授並みかそれ以上の年収ですね。
 これじゃ、報道機関の人間が偉そうなことを言っても、一般庶民の生活実態など分かるはずがありません。
 悔しかったら、来世は民放かNHKにでも就職しましょう。


 戯け話とむかし話「好きな映画と洗脳の巻」おわり
 2017/12/20 0:57 石川 栄一

イワシの頭も信心から・・・祟りの巻
映画「陰陽師」などのロケ地となった「えさし藤原の里」

「イワシの頭も信心から・・・祟りの巻」 - 石川栄一
2017/12/14 (Thu) 17:34:27


 最近の富岡八幡宮事件、宮司の後目争いと思われる事件がありました。
 後目争いは、古今東西どこでも起こることですが、日本では古代から後目争いの為に暗殺や戦乱が起こりました。これらは、むかし学校で習ったことです。

 邪馬台国の時代からヤマト王権成立(倭国)。
 そして大化の改新を経て律令国家体制の日本国確立(朝廷成立)に至る古代では、葛城氏→物部氏→蘇我氏→中臣氏(藤原氏)は、それぞれ都合の良い後目(皇族)を担ぎ上げて、天皇に据えることで主導権を我が物としてきました。

 力のある豪族は、自分たちに都合の悪い者は、あの小池都知事の言の如く「排除」する。場合によっては天皇であっても「暗殺」する。
 あるいは永遠に葬るために軍勢を使って敵対する相手を滅ぼす。これらは日常茶番でした。

 武士の時代に入り、将軍家や守護大名の後目争いでも大きな戦乱となりました。有名なのは「応仁の乱」ですが、10年以上にわたって荒れ狂った内乱で、京の都が焼け野原になったそうです。その結果、守護大名の力が強くなり、戦国時代へと進んでいきます。

 現在の後目争いで、ニュースになるのは「ヤクザの世界」ですね。
 近年では「六代目山口組」から2015年8月末に分裂した「神戸山口組」、さらに神戸山口組から今年4月末に分裂した「任侠山口組」という3団体の対立関係が続いています。警察も大変でしょう。

 いっその事、構成員全員を逮捕したらどうでしょう。そして、イザという時には、防衛隊893部隊を組織して、自衛隊の前衛部隊として外地に派遣するのです。
 血の気の多いヤクザも本望ではないでしょうか。御国のために戦って名誉の戦死を遂げた暁には、国民栄誉賞を贈呈すると、その家族も喜んでくれるでしょう。
 さて、話を本題に戻します。富岡八幡宮事件の犯人の元宮司の男は、家族間における出来事を詳細に記し、現在の宮司の女性を「永久に富岡八幡宮から追放する事」などと4項目を求め、「要求が実行されなかった時は」として、「私は死後においてもこの世(富岡八幡宮)に残り、”怨霊”となり、永遠に祟り続けます」などと書かれていたそうです。

 ここで、私が気になるのは、”怨霊”という言葉です。
 普通、怨霊というのは「怨み、憎しみをもった人の生霊」や「非業(ひごう)の死を遂げた人の霊」のことで、被害者でなければ、つじつまが合わないと思うのです。しかも、犯人の元宮司の男は、自殺したので、もう「生霊」を飛ばすことは出来ません。

 私が子供の頃から映画やテレビで見てきた(本当は怖くて真面に見られなかった)「四谷怪談のお岩の幽霊)」や「番町皿屋敷のお菊の亡霊」「牡丹灯籠の亡霊との恋愛」など、その大部分が被害者の”怨霊”が主題になっています。

 富岡八幡宮事件では、被害者である女性の”怨霊”が、加害者の元宮司の男に祟るのなら分かりやすいのですが、それがあべこべで、加害者である元宮司の男の”怨霊が、被害者である宮司の女性に祟るという誠に滑稽な話で、意味不明です。

 そもそも、宗教の世界は一般の世界とは違う世界なのかも知れません。
 わが国の宗教人口は、2億人とも3億人ともいわれていますが、実際、どの程度の人々が宗教団体に加入しているのでしょう。
 総人口よりも多いということは、一人が掛け持ちで加入していることになります。
 私は、どの宗教団体にも入っておりませんが、先祖代々禅宗(曹洞宗)で葬式を出しております。私の結婚式は神前でしたが、結婚披露宴は洋式であげております。しかし、父親の葬式は禅宗(曹洞宗)で出しました。私自身の葬式もおそらく禅宗でしょう。

 国民が神道のお世話になるのは、結婚式や住宅などの起工式や竣工式、七五三のお祝い、合格願い、選挙の願掛けでしょうか。
 あとは初詣やお祭りです。これらは冠婚葬祭という行事であり、全ての国民が国家神道の信徒というわけではないと思います。

 宗教団体が、お布施や檀家を集めるのは自然な行為であって、それをしなければ、宗派を維持できませんね。托鉢は修行の一環として、紀元前5世紀頃、インド北部(今の)ネパールのお釈迦様の時代から、おこなっていたようです。
 しかし、統一協会やかつてのオウム真理教のように、人の弱みにつけ込みながらお布施を集めるやり方は、批判されて当然です。

 ところで、統一協会は「産学協同フォーラム」などと公的な組織と紛らわしいな組織を作って、産官学界に進出を図っていたようです。
 そして現在、日本会議にも勢力を拡大し、政権の中枢を操るまでの勢力に拡大しました。


■ 憲法改正を訴える日本会議の「危ない」正体
 「宗教右派の統一戦線」が目指すもの
 (AERA アエラ)
http://toyokeizai.net/articles/-/126794


 いずれにしましても、宗教団体は、様々な団体に形を変えて迫ってきますので、弱みにつけ込まれないように注意すべきと思います。
 これ以上、宗教の悪口を書くと祟られるので、今日はこれまでとしましょう。

 戯け話とむかし話「イワシの頭も信心から・・・祟りの巻」おわり
 2017/12/14 17:43 石川栄一

ダイアナの巻
 エリザベス女王とフィリップ王婿が結婚70周年を迎え、またハリー王子とメーガン・マークルの婚約が発表され、英国ではお祝いムードで包まれました。 しかし、ダイアナ妃が過去の人になり、もう忘れ去られているように思えます。
 私は、まず「ダイアナ」といえば、ポールアンカの唄の題名「Diana」を思い出します。
ポールアンカ「ダイアナ(動画)」
https://www.youtube.com/watch?time_continue=35&v=GwNcnsfeDE4

 次に思い出すのは中学時代の担任の先生です。なんで?と、思われるかも知れませんが、その理由を話します。
 ダイアナというのは、その担任の先生の「あだ名」だったのです。その由来は、鼻の穴がデカかったから「大穴(ダイアナ)」と呼んでいました。

 ある日の昼休み、教室で同級生と「ダイアナ!、ダイ穴!」と、ふざけていましたら、ちょうどその担任の先生が来て「いまダイアナと言った者は前に出なさい!」と言われたので、クラスの半分近くの男子生徒が前に出たのです。

 そして、担任の先生から「何故、ダイアナと言うのか理由を言いなさい」と質問されました。
 私は「ポールアンカの歌の題名かと思いましたが、まさか先生の”名前”とは知りませんでした」と口を滑らせたのです。

 いやあ、私は「先生の”あだ名”」と言うところを「先生の”名前”」と言ってしまったため冷や汗がでました。そして、とうとう私は職員室に呼ばれるハメになってしまい、1時間くらい説教されました。

 1997年8月に、交通事故で亡くなられたダイアナ元英国皇太子妃はお気の毒でしたね。しかし普段から、あまりにも目立ちすぎたのが命取りになったのではないでしょうか。まあね、美人に生まれた宿命かも知れません。
 古くは、クレオパトラや楊貴妃も短命で、いい死に方をしなかったみたいですね。

  戯け話とむかし話「ダイアナの巻」おわり
 2017/12/13 9:22 石川栄一



「Paul Anka - Diana」
 ポール・アンカはカナダ出身のポピュラー・シンガーソングライターであり、ダイアナは1957年の歌。全世界でのシングル売上は1000万枚に達する。日本では山下敬二郎のカバーも大ヒットした。




『お知らせ』

 「戯け話とむかし話」について、皆様のご意見を頂きたいと思います。私が管理している「一般掲示板」ですので、どなたでも参加できます。
掲示板「おもしろ世相」 http://control2011.bbs.fc2.com/

『Twitter』

 ツイッターにも私のアカウントがありますので、いつでもお声がけ下さい。
■ ツイッターの私のアカウント
 ishi2011t
■ 私をフォローしているフォロワー数
  7664人のメンバー(2017/12/13 9:14現在)
■ 以下、私をフォローしている主な政治家と政治団体

 社民党 参議院議員 福島みずほ
 自民党 参議院議員 片山さつき
 公明党 大阪市会議員 辻よしたか
 電機・情報ユニオン大阪支部
 衆議院議員 青山雅幸
 鎌倉市職労
 ジャーナリスト/声楽家/同時通訳 山崎淑子
 社会民主党 熊谷総支部
 自由党 参議院議員 森ゆうこ
 おおさか維新の会 元衆議院議員 田中康夫
 日本古学アカデミー代表 紀瀬美香
 民主党 元広島県議会議員 沖本ゆきこ
 元民主党 衆議院議員 京野きみこ
 ジャーナリスト 石川秀樹
 民主党 元衆議院議員 三宅雪子
 茨城新聞社
 元日本テレビアナウンサー 小山田春樹
 沖縄社会大衆党副書記長 那覇市議会議員 平良識子
 普天間基地撤去を求める高校生の会
 窪田 誠/緑の党
 立憲民主党 衆議院議員 川内 博史
 秋田県議会議員 社民党秋田県連合代表 石田ひろし
 弁護士 山下幸夫
 ほか


 以上、超党派のお歴々

報道関係とNHK受信料の巻

 約60年前、私が小学四年生の頃、報道関係の仕事をしておりました。
 「報道関係」と申しましても「新聞配達」なのですが、仕事の内容が単純すぎて、あまり楽しい仕事ではなかったですね。

 まだ子供と言うことでもあり、配達するのは1日、50~60軒と少なかったのですが、雨降りと大型犬には参りましたね。
 特に大型犬に吠えられるのが怖いので、その家をスキップした事もありました。その都度、新聞販売店に「未配」の苦情が来たようですが、私は「犬を何とかしろ」と言いたかったですね。

 月給は500円くらいだったように記憶しています。
 当時、ラーメン1杯が50円の時代でしたので、良い小遣い稼ぎにはなりました。私の両親も多少は助かったと思います。

 しかし、そのうち飽きが来て、新聞配達をサボり、放課後、小学校のグラウンドで同級生とソフトボールをしていたら、新聞販売店の店主がバイクで迎えに来るのです。30分くらい待たせて配達を行いましたが、私を迎えに来る時間があるのなら「店主が配達すれば良いのに」と思ったりもしました。

 そして小学五年生の秋、中央区から北区に引っ越すことになり、自動的に「新聞配達」をやめることになりました。

 報道関係と言えば、先日、2017年12月6日 「NHKの受信料の仕組み」について、合憲の判決がありました。
 以前、職場の新年会のとき聞いた話ですが、まだNHKの受信料を白黒料金(現在は白黒契約はありません)しか払っていないのに、カラーで見ている視聴者がいましたね。また、BSを見ているのにBS受信料金を支払っていない視聴者も結構いるようですね。

 まじめに、カラー受信料金やBS受信料金を払っている人は、払っていない人達の分も、余分に払わされていたことになります。


<NHK受信料> 徴収の「お墨付き」 同時に重い責任も
12/7(木) 6:09配信 毎日新聞

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171207-00000002-mai-soci

◇最高裁判決 「受信料義務」追い風
 判決は、放送法や受信料制度の成り立ちが表現の自由を掲げる憲法理念と合致すると指摘。放送法がNHKを「民主的・多元的な基盤に基づいて自律的に運営される事業体で、公共の福祉のための放送を行わせる」と位置づけていると解釈し、受信料制度は「公共的性格を財源面から特徴づける」とした。
 一方で、憲法が同様に保障する「契約の自由」を制限するか否かは明確には触れなかった。


『NHK国内唯一の公共放送』

 1926年に社団法人日本放送協会として設立。放送法施行に伴い50年、特殊法人となった。外部の有識者らでつくる最高意思決定機関の経営委員会が、会長人事など重要事項を決定。日常業務は会長や理事が執行する。

 予算は国会の承認が必要。主な財源は受信料で、平成28年度予算の事業収入約7073億円のうち約6769億円を占める。職員数は約1万303人 内(男性)8572人(女性)1731人。
 また、NHKは法人税法上の公共法人とされているため、法人税の納税義務が免除されている。



 私の知人(NHK関係者)の話では、北海道の場合も、NHK受信料の不払い者が多いそうです。
 いっそのこと、NHKもスクランブル放送(音声・映像放送を特定の受信者しか受信できないように電波信号を変調させること。)にしたらいかがでしょう。
 これですと、お金を払っている視聴者だけが、NHKを受信することが出来ます。地震や津波などの緊急放送時のみスクランブルを解除すればよいのです。

 あるいは、NHKだけ映らないテレビを販売するのです。
 昔のテレビは、ターレットチューナーの場合、NHK3番(総合)と12番(教育)のコイルを抜けば、NHKを受信できませんでしたが、現在のように「複合デバイス化」されたテレビでは、不可能になりました。

 我が家のような、年金受給者にとっては、年間25,320 円(衛星契約)の出費は大きいですから、いま直ぐにでも解約したいですね。
 また、安倍政権と同様に、NHKもスキャンダルの固まりで、公共放送ではなく、政府の広報機関に成り下がっています。
 受信料を払うのが馬鹿馬鹿しくなります。

 戯け話とむかし話「報道関係とNHK受信料の巻」おわり
 2017/12/08 11:37 石川栄一


■「関連資料」

<「NHKの不祥事」一覧(最新版)> 

NHKの不祥事 
(ウィキペディア)


<NHK職員のベラボーな給料にはあらためて驚かされた>

  “みなさまの受信料”で運営されるNHKだって国民の税金で生活する公務員と似たような立場だ。
 「昨年度のNHKの収支予算を見ると、『給与』として約1255億円が計上されています。
 この数字を全職員1万人強で割ると、平均給与が1185万円になります。ところが『給与』とは別に、『退職手当・厚生費』という支出があり、約615億円が計上されている。ここから退職金のほかに諸手当、残業代、福利厚生費などが支払われます。
 つまり、NHKには『本給』のほかに、もうひとつ財布があるようなもの。2つを合算した金額がNHK職員の本当の年収といえます」
(元NHK職員でジャーナリストの立花孝志氏)


<NHK『豪華社宅に保養所、諸手当…』>

 そもそも、退職手当と福利厚生費をゴッチャにしていることが不可解なのだが、615億円の半分を厚生費として、全職員1万人で割ると308万円は裏給料。本給に合算すると年収1500万円になる計算だ。
 この“裏給料”で手当てされる福利厚生の代表格が豪華社宅だ。条件によっては、月額3万円程度の家賃で住めるという。周辺の相場は、同じ条件で30万円というから、超破格だ。
 立派な保養所も多い。JR京都駅からタクシーで15分の「洛風荘」は素泊まりで約3000円。近隣のホテルは1泊1万円以上というから、やはり格安だ。こんな保養所が日光、箱根、熱海などにワンサカあるという。NHKは人件費削減と並行して、福利厚生を減らして受信料を下げる努力をすべきじゃないか。
(ゲンダイネット)


<最高裁が受信料「合憲」 金満NHKの超厚遇に拍車がかかる>

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/219040
(日刊ゲンダイ 2017年12月8日)


<★コネ天国★ NHKへ身内を就職させた政治家(当時の役職)>

 ・片山元総務相の息子:社会部記者皇室担当
 ・久間総務会長の娘:PD
 ・松岡利勝の息子:アナ
 ・高村正彦の娘:経理
 ・村田防災相の娘:PD
 ・上杉元自治相の息子:PD
 ・田野瀬良太郎の息子:元PD
 ・石川要三の息子:PD
 ・故:原田昇左右の息子:元衛星番組部長(現国会議員)
 ・柿沢弘治の長男:元記者(現都議会議員)
 ・羽田孜の弟:報道
 ・竹下登元総理の弟:元記者
 ・猪瀬直樹の娘:PD(クローズアップ現代)
 ・NHK橋本会長の娘、会長が就任後に入社

■ PDとは
 PDというと一般的にはプログラム・ディレクターの略で、スタジオのサブにいます。演出担当責任者。


相撲暴力問題と冬将軍の巻

  現在、世間では相撲暴力が話題になっており、毎日のようにテレビのワイドショウなどで放送されています。
 一方、沖縄でおきたアメリカ人軍属による女性殺人事件は、今はすっかり隠蔽されてしまっており、日米地位協定と、どちらが最も深刻な問題か、普通ならわかるはずです。

 しかし、日本のマスメディアは、この日米地位協定問題を完全に消し去るが如く、相撲暴力を全てのテレビ局で集中して報道しております。
 さすがに日本のマスメディアは、欧米から、まともなマスメディアとしては認められず、最近では安倍政権の広報機関、つまり「大本営広報部」として扱われるようになっています。

 相撲暴力という暴力は、格闘技を目的にしている集団では、いつどこでも起こり得る問題であり、普通なら、暴力をふるわれそうになったら、その場から逃げれば良かったのです。
 なぜ逃げられなかったのか、殴られ癖でもついていたのでしょうか。相手に何と言われようと「逃げるが勝ち」「君子危うきに近寄らず」でいきましょう。

 相撲といえば「横綱 北の湖」の時代を思いだします。
 写真は、私の母が知人に頼んで、横綱 北の湖に甥っ子を抱いて頂いた記念写真です。お相撲さんに子供を抱いてもらうと健康で元気に育つという迷信があります。(横綱 北の湖、 太刀持ち 増位山、露払い 吉王山)
 しかし、北の湖自身は、62歳で没しており、苦労したようですね。

 母の知人は、北の湖を相撲界に入れた人物で、北の湖の恩師に当たります。一般的には、お相撲さんに子供を抱いてもらった場合、ご祝儀として数万円差し上げるそうですが、何も知らない母は、ビール券1ダース程度をお礼として渡したようです。

 さて、暴力問題に戻りますが、私が小学校低学年の頃、自宅向かいの市場で、ボヤ騒ぎがあったのですが、その時、野次馬の中に中学生くらいで、ちょっと大きい子供が「ニヤニヤ」と笑っておりました。

 それを見た消防士が怒って「何が可笑しい!」とその中学生にビンタを張ったのです。それでもその中学生は「ニヤニヤ」と笑っておりました。
 それを見た私は、ビックリしましたね。それ以来、消防士って殴るから怖いんだ!、という認識を強く持ちました。
 そのビンタを張られた子供は知恵遅れみたいでしたね。昭和20年代はまだ施設が少なく、そういう子供が周囲に何人かいましたね。

 近年になって、2000年に起きた自宅近くのガス爆発火災では、今度は、消防士が「ニヤニヤ」と笑いながら消火活動をしていました。これは許されますか。
 このガス爆発火災では、住民のご夫婦が爆死しましたが、原因は不明とのことでした。
 しかし、数日前から、住宅周辺にガスの臭いが漂っていたそうです。また、近所の奥さんの話では、最初の消防車が、なんと「梯子」を忘れてきて、周辺の住宅に、梯子を借りにまわっていたそうです。梯子を積んで来ない消防車もあるのですね。
 その後、そのガス爆発火災現場は更地になり、建て売り住宅が建てられましたが、住民夫婦が亡くなった現場であるせいか、事故物件で数年間は買い手が付きませんでした。

 私も殴られた経験は数多く、その殆どは元皇軍兵士の父親からなのですが、父親とは議論の余地は無かったですね。弁解をしようとしても直ぐに殴るのです。まあ、善悪を決する時間の短縮にはなったかも知れません。

 小学校の時は、担任の女性教師からビンタを張られたことがあります。それは昼休み運動場で、駈けっこに入れと貰おうとしましたが、それが叶わなかったので、相手を足で蹴る真似をしたら、運悪く、女の子に当たってしまいました。
 授業開始の時、担任から「女子を蹴ったでしょ」と言われた途端、ビンタを張られたわけです。「駈けっこにいれてくれなかったから」と弁解をしても、ダメでしたね。

 担任から言わせれば、男が女を蹴る「寛一お宮」の寛一は、問答無用でビンタでしょうね。その貫一は、復讐のため高利貸となり成功したようですが、あまり褒められた生き方ではないですね。

 さて、寒い日が続いており、冬将軍も大活躍ですね。
 北海道の冬の暖房は、昔は石炭でしたが、現在は石油ストーブが主流です。 札幌では、FF式(強制給排気式)の石油ストーブを据え付ける家が多いようです。またマンションでは集中暖房よりも、FF式の個別暖房を採用する家屋が多くなっています。
 その理由として、設備費用が安いことと、燃焼に必要な空気を屋外から取り込み、排気ガスは、屋外に排出するので、酸欠事故が起こりにくく、また室内の空気が汚れないという長所があるからです。

 しかし、室内が乾燥しやすいので、加湿を十分に行い、風邪をひかぬよう注意しなければなりません。FF式の石油ストーブが増えた結果、昔のように集合煙突のある家が少なくなっています。屋根の形も、スノーダクト方式が増えているため、三角屋根は少なくなり、外見は陸屋根のように見えます。北海道の家の形は、本州の家と、それほど変わりはありません。

 しかし、まだ煙突のある家が多いですね。ちなみに私の自宅には集合煙突が2本も建っていますし、2階のベランダから住宅街を見渡すと煙突がニョキニョキ建っているのが見えます。FF式の石油ストーブに交換しても、集合煙突の撤去が出来ないからでしょう。

 昔は、カマダ貯炭式ストーブやキングストーブ、ルンペンストーブなどの石炭ストーブを使っていましたが、定期的に煙突掃除をしなければなりません。
 質の悪い石炭を使うと、煙突が詰まりやすく1週間に1度くらいは、煙突掃除をしなければ燃えなくなります。
 煙突掃除と簡単に言いましても、ススで室内や衣服などが汚れるため、難しい作業です。むかし煙突掃除屋という専門業者がいたくらいです。

 そういえば、石炭ストーブの焚き付けも面倒でしたね。やりかたは、焚き付けと新聞紙に、石炭をかぶせてマッチで火を付けるのですが、これがなかなかうまくいきません。新聞紙だけ燃えて、焚き付けと石炭が残ってしまう場合が多かったですね。

 冬将軍の犠牲者は数知れないですね。スリップ事故、一酸化炭素中毒、凍死など、冬将軍は、寒冷地にとって最大の暴力集団ですね。
 皆様も、風邪など引かぬよう注意しましょう。
 高齢者が風邪をこじらすと肺炎にかかり、もう治らないそうです。お大事に。

 戯け話とむかし話「暴力問題と冬将軍の巻」おわり
 2017/12/04 15:25 石川栄一


■スノーダクト■ スノーダクト方式の屋根は三角屋根ではなく、なだらかな逆三角のような形の屋根ですが、外見は平らな陸屋根のように見えます。屋根のほぼ中央にダクトの排水溝があり、雪が融けて下水に流れるように配管されています。
 スノーダクト方式は、雪下ろしの必要がないため、隣接する家に、雪害で迷惑をかけることがないのが大きな特長です。また、三角屋根と比べて、部屋数が多くとれることや、敷地の有効利用ができることも特長です。


寄生虫(回虫)と虫下しの巻

 最近、北朝鮮からの脱走兵が話題になりましたが、軍事境界線から韓国側に逃走する際に、銃弾に撃たれ瀕死の重傷を負い、韓国側の2度の手術で銃弾を取り除く際、体内からは寄生虫数十匹が見つかったといいます。
 撃たれた兵士もお気の毒ですが、残された家族は一体どうなるのでしょうね。

 前代未聞の脱走といいますが、そもそも、一つの国(朝鮮)が、思想信条が異なる理由から、二つ(韓国と北朝鮮)に分かれ争っている事態が異常なのであって、一般国民からみれば、平和で自由であれば、資本主義でも共産主義でもどうでも良いことに思います。

 国民の立場を考えれば、米軍など外国の軍隊を撤退させ、軍事境界線など取っ払ってしまうべきなのです。あとは選挙で、これからの国家体制を決めれば良いのです。やろうと思えば、一ヶ月もあればできます。こんな簡単なことが何故出来ないのか。
 それは、韓国と北朝鮮の利害が絡んでいるのでしょうね。更に、その背後にいる米国と日本、中国とロシアの利害関係もあるのでしょう。

<南北統一に関する動き>

■ 「連邦制統一案(1960年8月)」を 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の金日成(キムイルソン)首相が提唱したが、韓国(大韓民国)では、翌1961年の5・16軍事クーデターが起き、朴正煕少将が実権を握ったためボツ。以降、韓国は、朴正煕が暗殺されるまで軍事独裁政権が続く。

■ 「高麗民主連邦共和国(1980年10月)」 も、北朝鮮の最高指導者であった金日成主席が提唱したが、大韓民国では「ソウルの春」と呼ばれる民主化ムードが高まったものの、1980年5・17非常戒厳令の「拡大措置」で、軍人出身の全斗煥が実権を掌握したためボツ。


 このような状態では、いつまでたっても南北統一は無理でしょうね。

 さて、本題の「寄生虫(回虫)と虫下し」の話ですが、私が5歳くらいの頃(昭和20年代、1952年頃)、母に連れられ、札幌から普通列車で6時間くらいかけて、北海道黒松内村(現在は黒松内町)の母の実家に行ったときの事です。
 私は、母の実家の農耕馬に乗って遊ぶのが楽しみでした。馬には鞍が付いていなかったため、手綱をしっかり握っていなければ落馬してしまいます。
 また走る度に、馬の背骨が股に当たるためゴツゴツして、乗り心地は決して良いとはいえませんでした。

 そのとき、家の玄関のほうから、母が弟を抱いて出てきたのです。何を始めるのか馬に乗りながらじっと見ていたら、弟を抱きかかえながらウンチをさせているのです。私は、トイレでさせれば良いのに~、と思ったとき、母はキャーと悲鳴を上げたのです。

 私は、何が起きたのだろうと近くに寄ったとき、弟の尻からウドンのようなものが出ているのです。母が場所を変えたら、またウドンのようなものが出てきたのです。
 そして、そのウドンのような物をよーく見たら、なんとニョロニョロと動いていたのです。それは回虫でした。
 私が子供の頃は、腹の中に虫が住んでいるものと思っておりました。

 それから数年後、小学校に入学。私が給食当番をしていたときの話です。
 給食室から教室に、給食のけんちん汁を運んでいるとき、ワイワイガヤガヤと、何だか階段付近が騒がしいのです。
 同級生に「何が起こったの?」と聞いたら「同級生が回虫を吐いた」と言うのです。私の隣で、その話を聞いていた給食当番の女の子は、キャー!と叫んで逃げていきました。

 そこで私は、事の真相を究明するために、階段を上がって行きました。そして、踊り場まで来たとき、あっ!と驚きました。それは、長さ10センチくらいの白っぽい回虫が、ぐったりと横たわっているのです。
 私は、黒松内の母の実家で見た時のことを思い出し、回虫は、尻から出る物と思っていましたが、口から吐いたと聞いたのは初めてです。

 寄生虫の話をする度に「検便」のことを思いだします。
 近年は、O-157に関して、よく検便という言葉が出てきましたが、私が子供の頃は、少なくとも1年に1回は、検便がありました。

 いまは、細い棒に検体(便)を付けて、容器に入れるだけですが、当時は、小さいマッチ箱に便を入れて、学校に持っていき、担任の先生に渡しました。
 自宅のトイレは、まだ水洗化されていなかったため、便を採取するときは、一苦労でした。
 そこで、トイレで便(検体)を取るのが難しいので、そとで便を取ったことがあるのですが、飼い犬が寄ってきて、尻を舐められたことがあります。

 私はようやく採取した便(検体)を、マッチ箱に、ギッシリ詰めて持って行き、担任の女性教師に渡したら、突き返された経験があります。
 その検便の箱を家に帰って母親に見せたら、いきなり「そとに捨ててきなさい!」と怒られました。私は、何が何だか分からず、家のそとに捨てました。

 しばらくして、父親が、勤めから帰ってきて「おい、こんな物が落ちていたぞ」と言って、包み紙に包まれた検便の箱を見せるのです。
 それは、さっき、私が母に叱られて捨てた便が入った箱だったのです。
 それを見た母親は、呆れてトイレに捨てに行きました。 私は、初めからトイレに捨てれば良かったのに~、と思いながら笑いました。

 当時、鉄道公安官だった父親は、職業柄のためか、あるいは、単なる貧乏だったためか、よく分かりませんが、落ちている物は、何でも拾ってきたものです。

 次は、1974年7月「日高芽室岳山行」の時の話です。
 山行数日前から胃腸の調子が悪いため、虫下し(市販の駆虫薬)を飲んで、出発しました。
 当時、私が代表を務める北大工学部の山岳会である「秀岳会」では、文明の利器、自家用車で登山口まで行くことが多くなり、今回の芽室岳山行にもマイカーを利用しました。
 すると、クルマを運転中、周りが黄色っぽく見えるのです。信号機も「青」が黄緑になったり、非常に運転しずらかったですね。
 私のクルマには他に3人乗っていたので、途中で交代してもらいました。

 山行中も、まだ秋でもないのに景色が「紅葉」しているように見えてしまいます。また、山行メンバーの顔が皆、黄疸で、肝臓が悪いように見えてしまいます。芽室岳山行では「虫下し」を飲んできたのが失敗だったと思うのでした。
 山行や旅行に限らず、クルマの運転の際には「虫下し」は要注意ですね。

 戯け話とむかし話「寄生虫(回虫)と虫下しの巻」おわり
 2017/12/02 9:46 石川栄一


1974年7月「日高芽室岳山行」の映像
http://shugakukai.yp2e-iskw.waterblue.ws/ShugakukaiMEMURO.html
(ブラウザはInternet Explorerで視聴して下さい。)
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次回もお楽しみに!
 

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