2018/6/8
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借金まみれの芸能人一覧(故人含む)

<借金まみれの芸能人一覧(故人含む)>

 五木ひろし(推定20億円) アントニオ猪木(推定20億円) 加山雄三(推定23億円) 藤田まこと(推定30億円) 矢沢永吉(推定35億円) さだまさし(推定35億円) 坂口良子(推定40億円)江川卓(推定50億円) 小林旭(推定51億円) 千昌夫(推定2853億円) 大場久美子(推定1億400万円) 田代まさし(推定1億1000万円) ムツゴロウ(推定3億円) 岸部四郎(推定4億2000万円) 明石家さんま(推定5億円) 島田陽子(推定5億円) 酒井法子(推定5億円) ジャンボ尾崎(推定16億円) 小室哲哉(推定16億円) 桑田真澄(推定17億円) 市川海老蔵(推定19億円) ほか
『出典』芸能ステーション 2018/05/11 に公開
    https://youtu.be/TlPAfxrDDZw
暗殺された日本の著名人一覧
参考資料:Wikipedia等
はじめに
 最近、日本のマスコミは、金正男氏暗殺以後、未確認報道を連発している。たとえば、
「金正男は毒針を刺されて死亡した」
「女性容疑者2人の死亡の可能性(共同通信が日本政府関係者の話を引用)」
「逮捕女性は韓国旅券を所持(共同通信)」
「金正男はVXガスで死亡した可能性」
「今回の事件が発生したことは、金日成(キム・イルソン)主席の血統を引く人物を擁立し亡命政府を樹立しようとする勢力と金正男氏が接触したためである可能性がある(産経新聞)」
「2012年に金正男が北京で北朝鮮工作員と見られる人に襲撃されたことがある(朝日新聞)」
「北朝鮮偵察総局が起こしたと見られる。“女性”と“毒劇物”を使うのは北朝鮮工作員の手法(読売新聞)」など。
 しかし、マレーシア当局は「金正男氏の身元、死因は未だ調査中」(2017年2月22日現在)とのことである。

 これら日本のマスコミの報道は、伝言の伝言だったり、専門家の発言を通じて「可能性もある」という噂話レベルの情報を真実のように報道している。それは、安倍政権を支持し、北朝鮮に対する日本人の嫌悪感を煽り立てるのが目的である。
 可能性で議論をするならば、私は「米・韓CIAの可能性」もあると考える。
 その理由は、北朝鮮の金正恩体制に対して国際的批判を向けさせ、「米韓による北朝鮮に対する武力行使」を有利にするのが目的である。
 いずれにしても、”全ての拉致被害者の安否確認と生存者の帰還”という「拉致問題」の解決はすべて水の泡と消えたことは、まことに残念である。

 2017年2月22日 石川栄一
安康天皇 (456)

 安康天皇(あんこうてんのう、履中天皇2年? - 安康天皇3年8月9日)は、第20代天皇(在位:允恭天皇42年12月14日 - 安康天皇3年8月9日)。穴穂天皇・穴穂皇子(あなほのみこ)。
 允恭天皇42年1月に允恭天皇が崩御する。皇太子の木梨軽皇子には近親相姦の前科が有ったために群臣は皆従わず、同母弟の穴穂皇子の側に付いた。軽皇子は穴穂皇子を討ち殺そうとして兵を集めるが、群臣が離反していく不利な現況を悲嘆して、物部大前宿禰(もののべのおおまえのすくね)の家に潜んだ。穴穂皇子が率いる兵に包囲され、大前宿禰の計らいで戦は避けられたが、軽皇子は自裁した。こうして、穴穂皇子は12月に践祚した。
 安康天皇元年、根使主の讒言を信じて大草香皇子(仁徳天皇の皇子)を誅殺し、翌年にその妃であった中蒂姫を皇后に立てた。同3年8月9日、天皇は中蒂姫の連れ子眉輪王により暗殺された。『古事記』『旧事紀』に享年56、『帝王編年記』に享年54と伝えられる。
穴穂部皇子 (587)

 穴穂部皇子(あなほべのみこ、生年不詳 - 用明天皇2年6月7日(587年7月17日))は、飛鳥時代の皇族。欽明天皇の皇子。
 欽明天皇の皇子として誕生。母は蘇我稲目の娘・小姉君。兄に敏達天皇などがいる。聖徳太子の叔父でもある。
 皇位を望み物部守屋と結託したが、蘇我馬子に殺された。
崇峻天皇 (592)

 崇峻天皇(すしゅんてんのう、欽明天皇14年(553年?) - 崇峻天皇5年11月3日(ユリウス暦592年12月12日?))は、第32代天皇(在位:用明天皇2年8月2日(587年9月9日?) - 崇峻天皇5年11月3日(592年12月12日?))。
 諱は泊瀬部(はつせべ)、即位前は泊瀬部皇子(はつせべのみこ)と称した。『古事記』には長谷部若雀天皇(はつせべのわかささぎのすめらみこと)とある。
 592年10月4日に、猪を献上する者があった。天皇は笄刀(こうがい)を抜いてその猪の目を刺し、「いつかこの猪の首を斬るように、自分が憎いと思っている者を斬りたいものだ」と発言。そのことを聞きつけた馬子が「天皇は自分を嫌っている」と警戒し、部下に暗殺命令を下した。そして東国の調を進めると偽って天皇を儀式に臨席させ、その席で東漢駒に暗殺をさせた。臣下により天皇が殺害されたのは、確定している例では唯一である。
蘇我入鹿 (645)

 蘇我 入鹿(そが の いるか、推古天皇18年(610年)? - 皇極天皇4年(645年)6月12日)は、飛鳥時代の豪族。
 大臣として大和朝廷の有力者であったが、大化の改新の前夜乙巳の変において討たれ、その後蘇我氏が凋落するきっかけとなった。
 古人大兄皇子の異母弟で、皇位継承のライバルだった中大兄皇子(後の天智天皇)・中臣鎌足らのいわゆる乙巳の変によって、飛鳥板蓋宮の大極殿において皇極天皇の御前で殺害された。
 享年は一説に35とも。天皇に無罪を訴えるも、あえなく止めを刺され、雨が降る外に遺体を打ち捨てられたという。
藤原種継 (785)

 藤原 種継(ふじわら の たねつぐ、天平9年(737年) - 延暦4年9月24日(785年10月31日))は、奈良時代末期の公卿。藤原式家、参議・藤原宇合の孫。無位・藤原清成の長男。官位は正三位・中納言、贈正一位・太政大臣。 
 遷都後間もない延暦4年(785年)9月23日夜、種継は造宮監督中に矢で射られ、翌日薨去。
 桓武天皇が大和国に出かけた留守の間の事件だった。暗殺犯として大伴竹良らがまず捕縛され、取調べの末大伴継人・佐伯高成ら十数名が捕縛されて斬首となった。
 事件直前の8月28日に死去した大伴家持は首謀者として官籍から除名された。事件に連座して流罪となった者も五百枝王・藤原雄依・紀白麻呂・大伴永主など複数にのぼった。
源義忠 (1109)

 源 義忠(みなもと の よしただ)は平安時代後期の武将。清和源氏の中の河内源氏四代目棟梁。
 源義家の死後河内源氏の家督を相続、伊勢平氏と和合して勢力の維持を図ったが、同族に暗殺された。
 義忠の暗殺は当初、従弟で叔父(義光の兄)源義綱の子・源義明とその家人・藤原季方の犯行とされたため、義忠の甥(弟という説もある)・源為義は義綱の一族を甲賀山に攻め、義綱の子らは自決し、義綱も捕らえられ佐渡へ流された。しかしその後になって義光の犯行であったことがわかった。
 これにより河内源氏は義忠・義綱という2人の実力者を失い、義光も暗殺事件の黒幕であることが発覚したため常陸に逃亡。
源義朝 (1160)

 源 義朝(みなもと の よしとも)は、平安時代末期の河内源氏の武将。源為義の長男。母は白河院近臣である藤原忠清の娘。源頼朝・源義経らの父。
 源義家の死後、河内源氏は内紛によって都での地位を凋落させていた。都から東国へ下向した義朝は、在地豪族を組織して勢力を伸ばし、再び都へ戻って下野守に任じられる。
 東国武士団を率いて保元の乱で戦功を挙げ、左馬頭に任じられて名を挙げるが、3年後の平治の乱で藤原信頼方に与して敗北し、都を落ち延びる道中尾張国で家人に裏切られ謀殺された。
上総広常 (1184)

 上総 広常(かずさ ひろつね)は平安時代末期の武将、豪族。上総権介上総常澄の八男(嫡男)。
 寿永2年(1183年)12月、頼朝は広常が謀反を企てたとして、梶原景時・天野遠景に命じ、景時と双六に興じていた最中に広常を謀殺させた。
 嫡男・上総能常は自害し、上総氏は所領を没収された。
一条忠頼 (1184)

 一条 忠頼(いちじょう ただより)は、平安時代末期の甲斐国の武将。甲斐源氏の武田信義の嫡男。
 平氏の屋島への撤退により軍事的脅威はひとまず去り、一部の残留兵力を残して遠征軍の大半は東国に帰還した。
 忠頼もこの時に東国に戻ったと思われる。それからまもなくの6月16日(『延慶本平家物語』では4月26日)、鎌倉に招かれた忠頼は酒宴の最中に、頼朝の命を受けた天野遠景によって暗殺された。
藤原泰衡 (1189)

 藤原 泰衡(ふじわら の やすひら)は、平安時代末期、鎌倉時代初期の武将。奥州藤原氏第4代(最後)の当主。
 父の後を継ぎ、奥州藤原氏の当主となるが、父ほどの力量も才覚もなく、日に日に強まっていった源頼朝の圧力に屈し、「判官贔屓」で有名な悲劇の英雄・源義経を自害に追いやり、それに前後して義経派であった忠衡をはじめとする弟3人(高衡は生き残った)をも殺害した。
 しかし、その後の奥州合戦で頼朝に敗れ、最終的には部下に裏切られて非業の最期を遂げてしまい、奥州藤原氏は滅亡した。
源頼家 (1204)

 源 頼家(みなもと の よりいえ)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第2代将軍(鎌倉殿)。
 鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡男で母は北条政子(頼朝の子としては第3子で次男、政子の子としては第2子で長男)。合議制成立の3年後に頼家が重病に陥ると、頼家の後ろ盾である比企氏と、弟の実朝を担ぐ北条氏との対立が起こり、北条氏一派の攻撃により比企氏は滅亡する。
 頼家は将軍職を剥奪され、伊豆国修禅寺に幽閉されたのち、北条氏の手により暗殺された。
源実朝 (1219)

 源 実朝(みなもと の さねとも、實朝)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍。
 鎌倉幕府を開いた源頼朝の四男(頼朝の子としては第6子で四男、政子の子としては第4子で次男)として生まれ、兄の頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就く。政治は始め執権を務める北条氏などが主に執ったが、成長するにつれ関与を深めた。
 官位の昇進も早く武士として初めて右大臣に任ぜられるが、その翌年に鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に暗殺され、わずか28年の生涯をとじた。これにより鎌倉幕府の源氏将軍は断絶した。
源仲章 (1219)

 源 仲章(みなもと の なかあきら、生年不詳 - 建保7年1月27日(1219年2月13日))は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての貴族・儒学者。宇多源氏、左大臣・源雅信の後裔で、河内守・源光遠の子。
 官位は従四位上・文章博士。建保7年(1219年)実朝の右大臣任官の祝賀の拝賀の日、鶴岡八幡宮において実朝の甥の公暁によって実朝とともに殺害された
日野義資 (1434)

 日野 義資(ひのよしすけ、応永4年(1397年) - 永享6年6月9日(1434年7月15日))は室町時代の公家。藤原北家日野流の一家裏松家当主。裏松重光の三男。正三位権大納言。
 永享6年(1434年)6月9日、義資は自邸で就寝中、侵入した何者かに殺害され、首を持ち去られた。犯人は捕まらず、当時から義教の指示であるという噂が流れていた。
足利義教 (1441)

 足利 義教(あしかが よしのり、異体字:足利義敎)は、室町時代中期の室町幕府の第6代将軍(在職:1428年 - 1441年)。第3代将軍・足利義満の五男。
 義教は少数の側近を伴って赤松邸に出かけたが、猿楽を観賞していた時、突如屋敷に馬が放たれ門がいっせいに閉じられた音がした。義教は「何事であるか」と叫ぶが、傍らに座していた義教の義兄(正室・尹子の兄)・正親町三条実雅(正親町三条公治の父)は「雷鳴でありましょう」と答えた。
 その直後、障子が開け放たれ甲冑を着た武者たちが宴の座敷に乱入、赤松氏随一の武士安積行秀(あさか ゆきひで)が義教の首をはねた。享年48(満47歳没)。
上杉憲忠 (1455)

 上杉 憲忠(うえすぎ のりただ)は、室町時代中期の武将、守護大名。享徳3年12月27日(1455年1月15日)に鎌倉にある成氏の西御門邸に招かれた憲忠は、成氏の命を受けた結城成朝の家臣多賀谷氏家・高経兄弟によって謀殺された。享年22。法号は興雲院長釣道洪。直後、岩松持国率いる別働隊が管領屋敷を襲撃し、長尾実景・景住父子も殺害した。
 憲忠殺害の翌年の康正2年(1456年)、成氏は憲忠殺害に対する弁明の書状を幕府に対して提出している。しかし、その内容は謝罪ではなく開き直りに近いものであった。この弁明書の他にも、成氏は何回か幕府へ弁明書を送ったが、幕府はそれを黙殺した。憲忠の死を契機として、憲忠の遺臣と上杉持朝は連合軍を結成、足利成氏と合戦を始め、泥沼の抗争が幕を開くこととなる。
太田道灌 (1486)

 太田 道灌(おおた どうかん)は、室町時代後期の武将。武蔵守護代・扇谷上杉家の家宰。
 江戸城を築城したことで有名である。
 文明18年7月26日(1486年8月25日)、扇谷定正の糟屋館(神奈川県伊勢原市)に招かれ、道灌はここで暗殺された。享年55。
 『太田資武状』によると、道灌は入浴後に風呂場の小口から出たところを曽我兵庫に襲われ、斬り倒された。死に際に「当方滅亡」と言い残したという。自分がいなくなれば扇谷上杉家に未来はないという予言である。
細川政元 (1507)

 細川 政元(ほそかわ まさもと)は、室町時代後期から戦国時代前期の武将、守護大名。
 将軍を挿げ替え(明応の政変)、管領として幕政を牛耳り、細川京兆家の全盛期を築いて最大勢力に広げたが、3人の養子を迎えたことで家督争いが起こり、自らもその争いに巻き込まれて家臣に暗殺された(永正の錯乱)。
 実力者政元の登場によって小康状態にあった畿内周辺は、その死と澄元・高国両派の争いによって再び長期混迷していくこととなる。
穴山信懸(1512)

 穴山 信懸(あなやま のぶとお、生年不詳 - 永正10年5月21日(1513年6月30日))は、戦国時代の武将。
 甲斐国南部河内領の国衆。戦国期の甲斐国では守護武田家の当主信昌・信昌次男の油川信恵と信昌嫡男信縄が対立。
 乱は甲斐の国衆勢力を巻き込んで継続し、永正2年(1505年)には信昌・信縄が相次いで死去すると、家督を継承した信直(信虎)と信恵・国衆の間で抗争が展開される。
 穴山氏では信直との対応を巡り内訌が発生していたと考えられており、永正10年(1513年)に信懸は息子清五郎により暗殺されている。
松平清康 (1535)

 松平 清康(まつだいら きよやす)は、戦国時代の武将。徳川家康の祖父にあたる。
 三河統一の勢いに乗った清康は、斎藤道三と織田を挟撃するため、1万余りの大軍で尾張に進軍。天文4年(1535年)12月、清康は尾張に侵入し織田信秀の弟の信光の守る守山城を攻めた。
 この守山の陣の最中の12月5日(12月29日)、清康は大手門付近で突如、家臣の阿部正豊(弥七郎)に斬られ即死した。これを「森山崩れ(守山崩れとも)」という。享年25。
 これは松平信定の策略であったといわれている。
松平広忠 (1549)

 松平 広忠(まつだいら ひろただ)は、戦国時代の武将。三河国額田郡岡崎城主。松平宗家8代当主。松平清康の子。
徳川家康の父。死因に関しても諸説がある。
 病死とするもの→「三河物語」(69頁)「松平記」(107頁)など。
 岩松八弥(片目弥八)によって殺害されたと記すもの→「岡崎領主古記」
 一揆により殺害されたとするもの→「三河東泉記」。天文18年3月、鷹狩の際に「岡崎領分 渡利村の一揆生害なし奉る」と記す(下記所蔵本15丁左)。またこれを「尾州織田弾正忠の武略」としている。『岡崎市史別巻』上巻206頁に採録されている。
大友義鑑 (1550)

 大友 義鑑(おおとも よしあき、異体字:大友義鑒)は、戦国時代の武将・戦国大名。
 豊後国大友氏の20代当主。天文19年(1550年)、義鑑は病弱な嫡男義鎮より、溺愛している三男塩市丸に家督を譲ろうとした。そのため寵臣の入田親誠と共謀して義鎮派の家臣を次々と殺害していく暴挙に至った。
 しかし、一連の殺害で身の危険を感じた義鎮派家臣の逆襲を受けることになる。そして2月10日、義鎮派家臣の津久見美作守、田口鑑親らが、義鑑の居館を襲撃、居館の2階にいた塩市丸とその母を殺害し、義鑑も瀕死の重傷を負い、2日後の2月12日に死亡した(二階崩れの変)。享年49。
宗像菊姫 (1551)

 菊姫(きくひめ、生年不詳 - 天文21年3月23日(1552年4月16日)は、戦国時代宗像氏一族の女性。
 宗像氏の家督を巡る争いに巻き込まれ、悲劇的な最期を遂げたことで知られる。その死後の数々の伝説が残された。天文21年3月23日の夜、山田の館で鍋寿丸側から命を受けた家臣により山田夫人、菊姫、四人の侍女が惨殺された。
 館内は血の海と化し、館に乱入した雑兵により財宝を奪われたという。菊姫ら6人の遺体は館の裏側の崖下に穴を掘って埋められた。
斯波義統 (1554)

 斯波 義統(しば よしむね)は戦国時代の守護大名。斯波氏(武衛家)14代当主。
 織田 信友(尾張下四郡の守護代)は小守護代・坂井大膳をはじめとして、腹心の織田三位、河尻左馬助、川原兵助らとともに守護邸に攻め入った。義統は、城に火を懸けて、弟の統雅や従叔父の義虎(斯波義雄の子)ら一族30余名と共に自害した。享年42。
 義統自害の報せを受けた義銀は、川狩りを切り上げて湯帷子姿のまま那古野の信長の元へ救いを求めると、信長は義銀に二百人扶持を献じて津島神社に住まわせた。なお、もう一人の義統子息(後の毛利秀頼か?)は毛利十郎によって保護され、那古野へ送り届けられている。
 義統自害からわずか6日後の7月18日、信長は義統の敵討ちという大義を以って清洲へ攻め入り、清洲城から迎撃してきた大和守方を安食村にて打ち破って先日義統を襲った織田三位や河尻左馬助ら多くの大和守方の武将を討ち果たした(安食の戦い)。
織田信行 (1557)

 織田 信行(おだ のぶゆき)は、戦国時代の武将。なお信行の名以外では信勝で呼ばれる方が多い。
 父は織田信秀、母は土田御前で織田信長の同母弟にあたる。
 弘治3年(1557年)11月2日に清洲城へ信長の見舞いに行ったが、清洲城北櫓天主次の間で信長の命を受けた河尻秀隆ら、あるいは池田恒興らによって暗殺された。
 子の坊丸(後の津田信澄)は土田御前の助命嘆願もあり事なきを得たが、のち本能寺の変に際して信長の三男・信孝に討たれている。
 『甫庵信長記』によると、山口飛騨守・長谷川橋介・川尻青貝(この場合は1人の人物)の3人がまず斬り付け、土田御前のいる方へ逃げようとしたところを、池田恒興が取り押さえて殺害したとされる。
足利 義輝 (1565)

 足利 義輝(あしかが よしてる)は、室町時代後期(戦国時代)の室町幕府第13代征夷大将軍(在職:1546年 - 1565年)。
 永禄8年(1565年)5月19日、久通と三好三人衆は主君・三好義継(長慶の養嗣子)とともに清水寺参詣を名目に集めた約1万の軍勢を率い二条御所に押し寄せ、将軍に訴訟(要求)ありと偽り取次ぎを求めた(永禄の変)。
 義輝は自ら薙刀を振るって奮戦したが衆寡敵せず、最期は寄せ手の兵たちが四方から畳を盾として同時に突きかかり、殺害された(または、槍で足を払われ、倒れたところに上から刺し殺されたともいう)。享年30(満29歳没)。
 この時、摂津晴門の嫡子・糸千代丸も一緒に討ち死にした。また、義輝の生母である慶寿院も殉死している。
三村家親 (1566)

 三村 家親(みむら いえちか)は、戦国時代の備中国の大名。備中松山城主。
 勢力を拡大すべく、備前国や美作国に侵攻し、勇猛をもって宇喜多直家を打ち破ること数度に及んだが、永禄9年(1566年)2月5日、美作国の興善寺に滞在して重臣一同と評議中、直家の命を受けた遠藤秀清、俊通兄弟に短筒の火縄銃で撃たれて死亡した。享年50。当時としては珍しい鉄砲による暗殺である。
北畠具教 (1576)

 北畠 具教(きたばたけ とものり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての大名・公家。伊勢国司北畠家の第8代当主。
 天正4年(1576年)11月25日に信長と信雄の命を受けた旧臣(長野左京亮、加留左京進(藤方朝成の名代)ら)たちの襲撃を受けて、子の徳松丸・亀松丸、および家臣の大橋長時・松田之信・上杉頼義ら(名が判明しているだけで14名の武士)共々殺害された。享年49。
 同時に長野具藤はじめ北畠一門の主な者が信雄の居城・田丸城において殺害され、これにより戦国大名としての北畠氏は完全に織田氏に乗っ取られた(三瀬の変)。
山中幸盛 (1578)

 山中 幸盛(やまなか ゆきもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての山陰地方の武将。尼子氏の家臣。通称は鹿介(しかのすけ)。
 巷間では山中鹿介の名でよく知られる。幼名は甚次郎(じんじろう)。優れた武勇の持ち主で「山陰の麒麟児」の異名を取る。人質となった幸盛は、備中松山城に在陣する毛利輝元の下へと連行されることとなる。
 しかし、途上の備中国合(阿井)の渡(現在の岡山県高梁市)にて、毛利氏の刺客により謀殺された。
蘆名盛隆 (1584)

 蘆名 盛隆(あしな もりたか)は、戦国時代の陸奥の戦国大名。蘆名氏第18代当主。
 天正12年(1584年)10月6日、黒川城内で寵臣であった大庭三左衛門に襲われて死亡した。享年23。
 家督は生後1ヶ月の息子・亀王丸が継ぎ、亀王丸の母・彦姫が隠居した兄・伊達輝宗の後見を受けて蘆名氏をまとめることになった。
 しかし、輝宗の跡を継いだ政宗は同盟関係を破棄して蘆名氏を攻め(関柴合戦)、亀王丸も天正14年(1586年)に疱瘡を患って夭逝するなどの不幸が重なり、蘆名家中は混迷した。この盛隆の早すぎる死が、蘆名氏滅亡を早めた原因といえる。
水野忠重 (1600)

 水野 忠重(みずの ただしげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。水野忠政の九男。母は華陽院。子に水野勝成、水野忠清、清浄院(加藤清正継室)。
 徳川家康の叔父にあたり、徳川二十将の一人に数えられている。法名は賢忠。道号は勇心。
 慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは東軍に与したが、本戦直前の7月、三河池鯉鮒(現・愛知県知立市)において堀尾吉晴を歓待して酒宴を催した際、西軍方の加賀井重望に暗殺された。
伊集院忠真(1602)

 伊集院 忠真(いじゅういん ただざね)は、安土桃山時代の武将。島津氏の家臣。伊集院忠棟の嫡男。
 慶長7年(1602年)、関ヶ原の戦いでの謝罪のために忠恒は伏見へ上洛することになり、忠真もこれに従ったが、日向野尻での狩りの最中に忠恒の命により討たれた。
 なお、庄内の乱後にそれぞれ別の島津家家臣の屋敷に身柄を預けられていた弟の小伝次・三郎五郎・千次・忠真の母は、忠真が討たれた日に全員が殺害され、伊集院一族は皆ことごとく粛清された。
幡随院長兵衛 (1657)

 幡随院 長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ、元和8年(1622年) - 慶安3年4月13日(1650年5月13日)あるいは、明暦3年7月18日(1657年8月27日)とも)は、江戸時代前期の町人。町奴の頭領で、日本の侠客の元祖ともいわれる。『極付幡随長兵衛』など歌舞伎や講談の題材となった。本名は塚本 伊太郎(つかもと いたろう)
 慶安3年4月13日(1650年5月13日)あるいは、明暦3年7月18日(1657年8月27日)とも)は、江戸時代前期の町人。町奴の頭領で、日本の侠客の元祖ともいわれる。
 旗本奴と男伊達を競いあう町奴の頭領として名を売り、『武江年表』やその墓碑によれば慶安3年4月13日に死去したと伝えられる。
 フィクションでは明暦3年7月18日(1657年8月27日)、若い者の揉め事の手打ちを口実に、旗本奴の頭領・水野十郎左衛門(水野成之)に呼び出され殺害されたとされる。 享年36(満34-35歳没)。
シャクシャイン (1669)

 シャクシャイン(沙牟奢允、アイヌ語:サクサイヌ saksaynu または サムクサイヌ Samkusaynu、1606年(慶長11年)? - 1669年11月16日(寛文9年10月23日))は、江戸時代前期のシベチャリ(北海道日高管内新ひだか町静内)のアイヌの首長。
 シャクシャインは蝦夷地全域のアイヌ民族へ松前藩への戦いを呼びかけた。
 1669年6月、シャクシャインの指導するアイヌ軍は松前藩へ蜂起を起こした。これがシャクシャインの戦いである。シャクシャインは松前を目指し進軍、7月末には現在の山越郡長万部町のクンヌイまで攻め進んだ。
 シャクシャインは10月23日に現在の新冠町にあたるピポクの松前藩陣営で謀殺され、指導者を失った蜂起者たちは松前軍に降伏した。
永井尚長 (1680)

 永井 尚長(ながい なおなが)は、丹後宮津藩の第2代藩主。永井家宗家4代。
 延宝8年(1680年)5月に第4代将軍徳川家綱が死去すると、6月26日に芝の増上寺で法会が行われ、尚長はその奉行に任じられた。ところが法要の最中、志摩鳥羽藩主で方丈口勤番を務めていた内藤忠勝に刺殺された。享年27。
堀田正俊 (1684)

 堀田 正俊(ほった まさとし)は、江戸時代前期から中期の大名。江戸幕府の老中・大老。上野安中藩主。
 貞享元年(1684年)8月28日、従叔父で若年寄の美濃青野藩主・稲葉正休に江戸城内で刺殺された(即死ではなく、医師に手当をされた後、重体のまま自邸に運ばれ息を引き取る)。享年51。
 幕府の記録によれば発狂のためとされているが、事件は様々な憶測を呼び、大坂の淀川の治水事業に関する意見対立や、正休もその場で殺害されていることから、将軍綱吉の関与も囁かれた。
吉良義央 (1703)

 吉良 義央(きら よしひさ/よしなか)は、江戸時代前期の高家旗本。吉良上野介と呼ばれることが多い。本姓は源氏。
 元禄14年(1701年)3月14日午前10時過ぎ、松之大廊下において、義央は浅野長矩から背中と額を斬りつけられた。
 長矩は、即日切腹を命ぜられた。元禄15年(1702年)12月15日未明、大石を始めとする赤穂浪士四十七士が吉良邸に討ち入った。義央は脇差で抵抗しようとするも、武林隆重に斬り捨てられ、首を討たれた。享年62(満61歳)。
 義央の首は泉岳寺の浅野長矩の墓前に捧げられたあと、箱に詰めて同寺に預けられた。先の刃傷時に治療にあたった栗崎道有が首と胴体を縫って繋ぎ合わせたあと、菩提寺の万昌寺に葬られた。
細川宗孝 (1747)

 細川 宗孝(ほそかわ むねたか、正徳6年4月27日(1716年6月16日) - 延享4年8月15日(1747年9月19日))は、肥後熊本藩の第5代藩主。
 熊本藩細川家6代当主。延享4年8月15日、月例拝賀式に在府の諸大名が総登城した際、宗孝が大広間脇の厠に立つと、そこで旗本寄合席7,000石の板倉勝該に突然背後から斬りつけられ絶命するという椿事が出来した。
 事件後、細川家では「九曜」の星を小さめに変更した(細川九曜)。さらに、通常は裃の両胸・両袖表・背中の5ヵ所に家紋をつける礼服のことを「五つ紋」というが、その「五つ紋」に両袖の裏側にも1つずつ付け加えて、後方からでも一目でわかるようにした。
 この細川家独特の裃は「細川の七つ紋」と呼ばれて、氏素性を明示する際にはよく引き合いに出される例えとなった。
相良頼央 (1759)

 相良 頼央(さがら よりひさ)は、肥後人吉藩の第8代藩主。
 宝暦9年(1759年)6月から人吉に入って藩政を執るが、同年閏7月15日に薩摩瀬屋敷(現熊本県人吉市下薩摩瀬町近辺)観欄亭で休養していたところ何者かに鉄砲で撃たれて負傷し、その傷がもとで1か月後の8月3日に死去した。享年23。
田沼意知 (1784)

 田沼 意知(たぬま おきとも、1749年(寛延2年) - 1784年5月20日(天明4年4月2日))は、江戸幕府の若年寄。老中を務めた遠江国相良藩主田沼意次の嫡男。
 老中である父が奥詰めも同時に果たしたように、若年寄でありながら奥詰めもした。
 その翌年に江戸城内において佐野政言に襲撃され、治療が遅れたために8日後に死亡した。享年35。
井伊直弼 (1860)

 井伊 直弼(いい なおすけ)は、幕末の譜代大名。近江彦根藩の第15代藩主(16代藩主、13代当主という数え方もある)。
 幕末期の江戸幕府にて大老を務め、日米修好通商条約に調印し、日本の開国近代化を断行した。
 また、強権をもって国内の反対勢力を粛清したが(安政の大獄)、それらの反動を受けて暗殺された(桜田門外の変)。
 混乱を恐れた幕府によって暗殺は秘密裡とされ、表向きには直弼は負傷によりしばらく休養とされた。
 そのため墓所に記された没日も実際の3月3日とは異なり、表向きは3月28日を命日としている。直弼は3月晦日に大老職を正式に免じられ、閏3月晦日にその死を公表された。
吉田東洋 (1862)

 吉田 東洋(よしだ とうよう、1816年(文化13年) - 1862年5月6日(文久2年4月8日)は、江戸時代幕末期の土佐藩士。
 1857年(安政4年)12月に赦免された吉田は、新知150石役高300石を給され、翌年1月には参政として藩政に復帰する。
 法律書『海南政典』を定め、門閥打破・殖産興業・軍制改革・開国貿易等、富国強兵を目的とした改革を遂行する。
 然し、このような革新的な改革は、保守的な門閥勢力や尊皇攘夷を唱える土佐勤王党との政治的対立を生じさせる結果となり、1862年5月6日(文久2年4月8日)、帰邸途次の帯屋町にて武市半平太の指令を受けた土佐勤王党の那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助によって暗殺された。享年47。
清河八郎 (1863)

 清河 八郎(きよかわ はちろう、天保元年10月10日(1830年11月24日) - 文久3年4月13日(1863年5月30日))は、江戸時代末期(幕末)の庄内藩出身の志士。
 田中河内介とともに九州遊説をして尊王攘夷派の志士を京都に呼び寄せ、一方で浪士組を結成し新選組・新徴組への流れを作り、虎尾の会を率いて明治維新の火付け役となった。
 文久3年(1863年)4月13日、幕府の刺客、佐々木只三郎・窪田泉太郎など6名によって麻布一ノ橋(現麻布十番商店街そば)で首を討たれた。享年34。
 『女士道』(山岡英子 1903年)の記述によると首は石坂周造が取り戻し、山岡英子(山岡鉄舟の妻)が保管し伝通院に葬ったが後に遺族に渡したという。
芹沢鴨 (1863)

 芹沢 鴨(せりざわ かも、芹澤鴨は、幕末の水戸藩浪士、新選組(壬生浪士)の初代筆頭局長(頭取)。前名は下村嗣次と推定されている。諱は光幹。本姓は桓武平氏。
 翌文久3(1863年)9月16日あるいは18日、大雨が降る深夜、突然数人の男たちが芹沢の寝ている部屋に押し入り、同室で寝ていた平山を殺害し、芹沢に斬りつけた。
 『新選組遺聞』では、八木源之丞の妻・まさが土方歳三が夜中にしきりに様子をうかがっているのを目撃しており、現場には沖田総司と原田左之助は確かにおり、山南敬助もいたのではないかと記している。
 永倉の『浪士文久報国記事』によると暗殺は土方歳三・沖田総司・藤堂平助・御倉伊勢武らが実行したとある。
 西村兼文(新選組が屯所を置いた西本願寺の寺侍)の『新撰組始末記』では実行者は土方・沖田・山南・原田になっている。
 事件は長州藩士の仕業とされ、9月18日(18日暗殺説によれば20日)に芹沢と平山の葬儀が神式に則り盛大に執り行われた。
佐久間象山 (1864)

 佐久間 象山(さくま しょうざん/ぞうざん)は、江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家。
 元治元年(1864年)、象山は一橋慶喜に招かれて上洛し、慶喜に公武合体論と開国論を説いた。しかし当時の京都は尊皇攘夷派の志士の潜伏拠点となっており、「西洋かぶれ」という印象を持たれていた象山には危険な行動であった(しかも京都の街を移動する時に供も連れなかった)。
 7月11日、三条木屋町で前田伊右衛門、河上彦斎等の手にかかり暗殺される。享年54。
 象山は自信過剰で傲慢なところがあり、それ故に敵が多かった。数々の業績を残したにも関わらず現在に至るまで彼の評価が低いのもその性格に由来するところが大きいとも言われる。しかし当時の日本において象山は紛れもない洋学の第一人者だった。彼を暗殺した河上彦斎は後に象山の事歴を知って愕然とし、以後暗殺をやめてしまったという。
中山忠光 (1864)

 中山 忠光(なかやま ただみつ、弘化2年4月13日(1845年5月18日)- 元治元年11月15日(1864年12月13日))は、江戸時代末期(幕末期)の公家。
 元治元年(1864年)の禁門の変、下関戦争、第一次長州征伐によって藩内俗論派が台頭すると、同年11月9日の夜に長府藩の豊浦郡田耕村で5人の刺客によって暗殺された。
 中山神社内の愛新覚羅社の由緒書きによると、長府藩潜伏中に寵愛した侍妾恩地トミは、忠光が暗殺された後に遺児仲子を産んだ。忠光の正室・富子が仲子を引き取り養育する事になり、公家の姫として育てるために、忠光が暗殺された長府藩の藩主家・毛利氏の養女となり公家・中山家に引き取られた。
 富子は亡き夫の忘れ形見の仲子を大事に育て上げ、維新後に仲子は嵯峨公勝夫人となった。また、清朝最後の皇帝で後に満州国皇帝となった愛新覚羅溥儀の弟である溥傑に嫁いだ正親町三条家(嵯峨家)出身の浩は、忠光の曾孫にあたる。
坂本龍馬 (1867)

 坂本 龍馬(さかもと りょうま、天保6年11月15日〈新暦・1836年1月3日〉 - 慶応3年11月15日〈新暦・1867年12月10日〉)は、江戸時代末期の志士、土佐藩郷士。
 土佐郷士株を持つ裕福な商家に生まれ、脱藩した後は志士として活動し、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中(後の海援隊)を結成した。薩長同盟の斡旋、大政奉還の成立に尽力するなど倒幕および明治維新に影響を与えるなど、重要な働きをした。
 慶応3年11月15日(12月10日)大政奉還成立の1ヶ月後に近江屋事件で暗殺された。享年33(満31歳没)。
 明治3年(1870年)、箱館戦争で降伏し捕虜になった元見廻組の今井信郎が、取り調べ最中に、与頭・佐々木只三郎とその部下6人(今井信郎・渡辺吉太郎・高橋安次郎・桂隼之助・土肥伴蔵・桜井大三郎)が坂本龍馬を殺害したと供述し、これが現在では定説になっている。
中岡慎太郎 (1867)

 中岡 慎太郎(なかおか しんたろう、天保9年4月13日(新暦・1838年5月6日) - 慶応3年11月17日(新暦・1867年12月12日))は、日本の志士(活動家)。陸援隊隊長。
 慶応3年11月15日(12月10日)、京都四条の近江屋に坂本龍馬を訪問中、何者かに襲撃され瀕死となる(近江屋事件)。龍馬は即死ないし翌日未明に息絶えたが、慎太郎は二日間生き延び、暗殺犯の襲撃の様子について谷干城などに詳細に語ったという。11月17日に死去。享年30。
 死後、海援隊士らはいろは丸沈没事故で多額の賠償金を支払わされた紀州藩の報復であると考え、紀州藩士・三浦休太郎を襲撃し、警護に当たっていた新選組と戦った(天満屋事件)。
大村益次郎 (1869)

 大村 益次郎(おおむら ますじろう、 文政8年5月3日(1824年5月30日) - 明治2年11月5日(1869年12月7日)は、幕末期の長州藩の医師、西洋学者、兵学者である。
 維新の十傑の一人に数えられる。
 明治2年(1869年)9月4日、大村は京都三条木屋町上ルの旅館で、長州藩大隊指令の静間彦太郎、大村の鳩居堂時代の教え子で伏見兵学寮教師の安達幸之助らと会食中、元長州藩士の団伸二郎、同じく神代直人ら8人の刺客に襲われる。静間と安達は死亡、大村は重傷を負った。
 10月27日手術を受けるも、翌11月1日に敗血症による高熱を発して容態が悪化し、5日の夜に死去した。享年46。
横井小楠 (1869)

 横井 小楠(よこい しょうなん)は、日本の武士(熊本藩士)、儒学者。
 熊本藩において藩政改革を試みるが、反対派による攻撃により失敗。その後、福井藩の松平春嶽に招かれ政治顧問となり、幕政改革や公武合体の推進などにおいて活躍する。
 明治2年(1869年)1月5日午後、参内の帰途、京都寺町通丸太町下ル東側(現在の京都市中京区)で十津川郷士ら6人組(上田立夫、中井刀禰尾、津下四郎左衛門、前岡力雄、柳田直蔵、鹿島又之允)の襲撃を受けた。
 護衛役などが応戦し、小楠も短刀1本で攻撃を防ごうとするが、暗殺された。享年61。
 小楠の首は鹿島によって切断され持ち去られたが、現場に駆け付けた若党が追跡し、奪い取った。
大久保利通 (1878)

 大久保 利通(おおくぼ としみち、文政13年8月10日(1830年9月26日) - 明治11年(1878年)5月14日)は、日本の武士(薩摩藩士)、政治家。位階勲等は贈従一位勲一等。
 明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称される。また「維新の十傑」の1人でもある。
 明治11年(1878年)5月14日、石川県士族の島田一郎、長連豪、杉本乙菊、杉村文一、脇田巧一および島根県士族・浅井寿篤により紀尾井坂(東京都千代田区紀尾井町)にて殺害された(紀尾井坂の変)。
 孫の大久保利謙は日本近代史家、国立国会図書館憲政資料室の成立に寄与した。もう一人の孫・大久保利春は丸紅専務で、ロッキード事件に際しては贈賄側の一人として逮捕・起訴され有罪判決を受けた。「じいさんにあわせる顔がない」が口癖だったという。
 曾孫に吉田健一(作家)、大久保利晃(放射線影響研究所理事長、元産業医科大学学長)、玄孫に寛仁親王妃信子、牧野力(通産事務次官)、麻生太郎(第92代内閣総理大臣)、武見敬三(参議院議員)がいる。
森有礼 (1889)

 森 有礼(もり ありのり、正字体:森有禮、弘化4年7月13日(1847年8月23日) - 明治22年(1889年)2月12日)は、日本の武士(薩摩藩士)、外交官、政治家。
 初代文部大臣を務めた他、一橋大学を創設し、明六社会長、東京学士会院初代会員、大日本教育会名誉会員を務め、明治六大教育家に数えられる。正二位子爵。通称は助五郎、金之丞。
 明治22年(1889年)2月11日の大日本帝国憲法発布式典の日、それに参加するため官邸を出た所で国粋主義者・西野文太郎に短刀で脇腹を刺された。
 応急手当を受けるが傷が深く、翌日午前5時に死去。43歳だった。
星亨 (1901)

 星 亨(ほし とおる、嘉永3年4月8日(1850年5月19日) - 明治34年(1901年)6月21日)は、日本の政治家。元衆議院議員。
 明治15年(1882年)自由党に入り「自由新聞」により藩閥政府を批判した。 明治16年(1883年)には福島事件で河野広中を弁護した。明治17年(1884年)に官吏侮辱の罪に問われ明治20年(1887年)保安条例発布で東京を追われた。
 明治21年(1888年)出版条例違反で入獄した。
 明治25年(1892年)第2回総選挙に当選して衆議院議長となった。 第4次伊藤内閣で逓信相となったが東京市疑獄事件で辞職した。明治34年(1901年)、伊庭想太郎に刺殺された。
伊藤博文 (1909)

 伊藤 博文(いとう ひろぶみ/ひろふみ、天保12年9月2日(1841年10月16日) - 明治42年(1909年)10月26日)は、日本の武士(長州藩士)、政治家。
 文久2年(1862年)には公武合体論を主張する長井雅楽の暗殺を画策し、8月に自害した来原の葬式に参加、12月に品川御殿山の英国公使館焼き討ちに参加し、山尾庸三と共に塙忠宝・加藤甲次郎を暗殺するなど、尊王攘夷の志士として活動した。
 明治42年(1909年)10月26日、ロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフ(ココフツォフ)と満州・朝鮮問題について非公式に話し合うため訪れたハルビン駅で、大韓帝国の民族運動家・安重根によって射殺された。
 ハルビンで暗殺される前の歓迎会でのスピーチで「戦争が国家の利益になることはない」と語っている。
安田善次郎 (1919)

 安田 善次郎(やすだ ぜんじろう、天保9年10月9日〈1838年11月25日〉 - 大正10年〈1921年〉9月28日)は、富山県富山市出身の実業家。幼名は岩次郎。安田財閥の祖。
 1921年(大正10年)9月27日、神奈川県大磯町字北浜496にある別邸・寿楽庵に、弁護士・風間力衛を名乗る男が現れ、労働ホテル建設について談合したいと申し入れたが、面会を断られた。翌日、門前で4時間ほどねばったところ、面会が許された。
 午前9時20分ごろ、善次郎は別邸の十二畳の応接間で朝日に短刀で切り付けられ、逃げようとしたが廊下から庭先に転落したところを咽頭部に止めを刺されて死亡した。
 その後朝日は応接間に戻り、所持していた短刀と西洋刀で咽喉を突いて自殺した。
原敬 (1921)

 原 敬(はら たかし、安政3年2月9日(1856年3月15日) - 大正10年(1921年)11月4日)は、日本の外交官、政治家。位階勲等は正二位大勲位。
 爵位の受け取りを固辞し続けたため「平民宰相」と渾名された。帝国議会の施政方針演説などにおける首相の一人称として、それまでの「本官」や「本大臣」に変わり「私」を使用したのは原敬が最初である。それ以後、現在に至るまで途絶えることなく引き継がれている。
 大正10年(1921年)11月4日、東京駅丸の内南口コンコースにて、大塚駅の駅員であった右翼青年・中岡艮一に襲撃され、殺害された。満65歳没。
山本宣治 (1929)

 山本 宣治(やまもと せんじ、1889年(明治22年)5月28日 - 1929年(昭和4年)3月5日)は、日本の戦前の政治家、生物学者。京都府出身。
 1927年12月、労農党京都府連合会委員長に就任する。
 翌1928年の第1回普通選挙(第16回衆議院議員総選挙)に京都2区から立候補し、1万4412票で当選した。
 労農党からは水谷長三郎と2人の当選したが、山本は共産党推薦(当時は非合法のため非公式)候補であり、反共主義者の水谷とは一線を画した。
 同年、三・一五事件では事件を事前に察知していた谷口善太郎からの忠告を受け共産党関連の書類を全て処分していたため、事無きを得る。
 しかしこの頃から、山本への右翼による攻撃が始まる。 
 第55・56回帝国議会では治安維持法改正に反対した。1929年3月5日、衆議院で反対討論を行う予定だったが、与党政友会の動議により強行採決され、討論できないまま可決された。
 その夜、右翼団体である「七生義団」の黒田保久二に刺殺された。
濱口雄幸 (1931) 死亡したのは、襲撃の5か月後。

 濱口 雄幸(はまぐち おさち、1870年5月1日(明治3年4月1日) - 1931年(昭和6年)8月26日)は、日本の大蔵官僚、政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。号は空谷。
 1930年(昭和5年)11月14日、濱口は現在の岡山県浅口市で行われる陸軍の演習の視察と、昭和天皇の行幸への付き添い及び自身の国帰りも兼ねて、午前9時発の神戸行き特急「燕」に乗車するため東京駅を訪れる。
 午前8時58分、「燕」の1号車に向かって第4ホームを移動中、愛国社社員の佐郷屋留雄に至近距離から銃撃された。
 官僚出身でありながら、その風貌から「ライオン宰相」と呼ばれ、謹厳実直さも相まって強烈な存在感を示しつつも大衆に親しまれた首相である。濱口が政治家として過ごした大正から昭和初期は、まさに激動の時代だった。
 この激動を乗り切って首相に上り詰めたのは、濱口の実直さや正義感、頑固さを高く評価して彼を押し上げていった周囲の政治家・財界人たちの期待の結果である。
白川義則 (1932)

 白川 義則(しらかわ よしのり、1869年1月24日(明治元年12月12日) - 1932年(昭和7年)5月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、栄典は勲一等功二級男爵。
 関東軍司令官・陸軍大臣を歴任する。
 1932年(昭和7年)4月29日、上海の虹口公園(現在の魯迅公園)で行われた天長節祝賀会の際に朝鮮人テロリスト尹奉吉が放った弁当箱爆弾により重傷を負う(上海天長節爆弾事件)。
 犯人の尹はその場で検挙され軍法会議を経て銃殺刑となるが、後年韓国政府は尹を独立運動の義士として勲章を贈っている。
 重傷の白川は手術を受け、一旦は小康を得るが、同年5月23日に容態が急変し危篤となる。
井上準之助 (1932)

 井上 準之助(いのうえ じゅんのすけ、明治2年3月25日(1869年5月6日) - 昭和7年(1932年)2月9日)は、日本の政治家、財政家。日本銀行第9、11代総裁。
 満州事変が勃発すると、井上は同郷(大分)の南次郎陸相と親しいこともあって若槻首相に不拡大対応について期待されていた。若槻内閣が内部分裂で倒れると井上財政は終焉し、高橋是清蔵相の元で積極財政を推進する政友会の犬養内閣が成立した。
 野党に転落した民政党を井上はあくまでも支えた。
 民政党の総務を任され、第18回衆議院議員総選挙の選挙委員長も引き受けた。
 しかし、蔵相時代の経済の悪化などを理由に血盟団の暗殺の標的となっており、昭和7年(1932年)2月9日、選挙への応援演説に向かう途中の道で小沼正により暗殺された(血盟団事件)。
団琢磨 (1932)

 團 琢磨(だん たくま 安政5年8月1日(1858年9月7日) - 1932年(昭和7年)3月5日)は、日本の工学者、実業家。爵位は男爵。アメリカで鉱山学を学び、三井三池炭鉱の経営を行う。経営を成功させ、三井財閥の総帥となった。三井合名会社理事長、日本工業倶楽部初代理事長などを歴任した。
 1909年(明治42年)、三井鉱山会長となる。この頃、團の手腕により三井鉱山の利益は三井銀行を追い抜いて三井物産と肩を並べるようになり、「三井のドル箱」と言われた三池が三井財閥形成の原動力となった。
 昭和金融恐慌の際、三井がドルを買い占めたことを批判され、財閥に対する非難の矢面に立つことになった。
 1932年(昭和7年)3月5日、東京日本橋の三越本店寄り三井本館入り口で血盟団の菱沼五郎に狙撃され、暗殺された(血盟団事件)
犬養毅 (1932)

 犬養 毅(いぬかい つよし、1855年6月4日(安政2年4月20日) - 1932年(昭和7年)5月15日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。通称は仙次郎。号は木堂、子遠。
 1932年(昭和7年)5月15日(五・一五事件)。夕方5時半ごろ、警備も手薄の中、海軍の青年将校と陸軍の士官候補生の一団が、ピストルをふりかざして乱入してきた。
 犬養は少しも慌てず、有名な文句「話せば分かる」と共に将校たちを応接室に案内した。
 悠々と煙草を勧める犬養に先陣の5名は狼狽えるが、業を煮やした後続の将校4名が駆け込むや否や「問答無用、撃て」という叫びと共に犬養に乱射。最期まで言論で説得しようとする犬養らしい姿だった。
武藤山治 (1934)

 武藤 山治(むとう さんじ、1867年4月5日(慶応3年3月1日) - 1934年(昭和9年)3月10日)は、明治・大正・昭和前期の経営者、労務管理思想家、言論人、衆議院議員(3期)。
 『博聞雑誌』を創刊した後、三井財閥に聘され、日本の紡績王として34年間会社経営に携わり、「経営家族主義」と「温情主義」を提唱・実践して日本的経営論を考案。
 『時事新報』の編集者として渋沢栄一の系譜に繋がる「政商」や、徳富蘇峰などの御用新聞記者を攻撃。
 「政・財・官」の癒着を次々と暴き、連載『番町会を暴く』で「帝人事件」を告発。
 しかし権力者から付け狙われ、(昭和9年)3月9日)福島新吉に北鎌倉の自宅近くで狙撃され、翌10日に亡くなった。
永田鉄山 (1935)

 永田 鉄山(ながた てつざん、1884年(明治17年)1月14日 - 1935年(昭和10年)8月12日)は、日本の陸軍軍人。統制派の中心人物。
 陸軍中央幼年学校を2位、陸軍士官学校を首席、陸軍大学校も2位で卒業、参謀本部第2部長、歩兵第1旅団長などを歴任する。軍務官僚として常に本流を歩み「将来の陸軍大臣」「陸軍に永田あり」「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」と評される秀才だったが、陸軍内部の統制派と皇道派の抗争に関連して相沢三郎陸軍中佐に殺害される。
 永田暗殺によって統制派と皇道派の派閥抗争は一層激化し、皇道派の青年将校たちは、後に二・二六事件を起こすに至る。
 その後、永田が筆頭であった統制派は、東條英機が継承し、石原莞爾らと対決を深め(石原は予備役となり)やがて太平洋戦争(大東亜戦争)に至る。
斎藤実 (1936)

 斎藤 実(さいとう まこと、旧字体:齋藤 實、1858年12月2日(安政5年10月27日) - 1936年(昭和11年)2月26日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将。
 犬養毅首相が海軍将校らによって殺害された五・一五事件のあとの第30代内閣総理大臣として、陸軍関東軍による前年からの満州事変など混迷した政局に対処し、満州国を認めなかった国際連盟を脱退しながらも、2年1か月という当時としては長い政権を保ったが、帝人事件での政府批判の高まりにより内閣総辞職した。
 その後内大臣となって宮中にまわったが、直後に二・二六事件で射殺された。
高橋是清 (1936)

 高橋 是清(たかはし これきよ、1854年9月19日〈嘉永7年閏7月27日〉 - 1936年〈昭和11年〉2月26日)は、日本の幕末の武士(仙台藩士)、明治、大正、昭和時代初期の官僚、政治家。
 五・一五事件で犬養が暗殺された際に総理大臣を臨時兼任している。続いて親友である斎藤実が組閣した際も留任(5度目)。 また1934年(昭和9年)に、共立学校出身に当たる岡田啓介首班の内閣にて6度目の大蔵大臣に就任。
 当時、リフレーション政策はほぼ所期の目的を達していたが、これに伴い高率のインフレーションの発生が予見されたため、これを抑えるべく(出口戦略参照)軍事予算の縮小を図ったところ軍部の恨みを買い、二・二六事件において、赤坂の自宅二階で反乱軍の青年将校らに胸を6発撃たれ、暗殺された。享年82(満81歳没)。
渡辺錠太郎 (1936)

 渡辺 錠太郎(わたなべ じょうたろう、1874年4月16日 - 1936年2月26日)は、日本の昭和初期の陸軍軍人。
 家庭が貧しかったために、小学校を中退している。その後、看護卒を志願して陸軍に入営(当時は、陸軍上等看護長になると医師開業免状を与えられたので、医師を目指して入営している)。
 1936年2月26日に皇道派青年将校により二・二六事件が発生した。
 殺されることを覚悟した渡辺は、傍にいた次女の渡辺和子を近くの物陰に隠し、拳銃を構えむかえうった。父を目の前で殺された和子の証言によると、機銃掃射によって渡辺の足は骨が剥き出しとなり、肉が壁一面に飛び散っていた。
 布団を楯にして応戦したとの記録もあるが、和子によるとこれは事実でなく、銃撃を避けるため畳の上に体を横たえて拳銃を構えていた。
松尾伝蔵 (1936)

 松尾 伝蔵(まつお でんぞう、明治5年8月16日(1872年9月18日) - 昭和11年(1936年)2月26日)は、日本の陸軍軍人。
 二・二六事件が発生した昭和9年(1936年)2月26日にも松尾秘書は総理官邸に居住していた。
 栗原安秀、林八郎、対馬勝雄らに指揮され重機関銃、軽機関銃、小銃、ピストルで武装した歩兵第1連隊の兵300が5時頃に官邸を襲撃し、警備の警官4人を殺害した後、日本間にいた松尾秘書を中庭に据えた重機関銃で銃撃し殺害した。
 松尾秘書は岡田首相と容姿がよく似ており、兵士らは岡田首相を殺害したものと勘違いし引き上げた。押入れに隠れていた岡田首相は翌日に脱出した。
浅沼稲次郎 (1960)

 浅沼 稲次郎(あさぬま いねじろう、旧字体:淺沼 稻次郞、1898年(明治31年)12月27日 - 1960年(昭和35年)10月12日)は、日本の政治家。東京府三宅村(現在の東京都三宅村)出身。日本社会党書記長、委員長を歴任。
 「演説百姓」「人間機関車」の異名を取り、また「ヌマさん」の愛称で親しまれた。
 総選挙の前哨戦として、1960年10月12日に日比谷公会堂で開催された自民・社会・民社3党首立会演説会に参加した浅沼は、演説中に突然壇上に上がって来た17歳の右翼少年・山口二矢に腹部を刺され、非業の最期を遂げた。
永野一男 (1985)

 永野 一男(ながの かずお、1952年8月1日 - 1985年6月18日)は、金のペーパー商法を行った豊田商事の創業者(会長)。
 1985年6月18日午後4時30分過ぎ、大阪市北区の自室マンションの玄関前に「今日逮捕」との情報を聞きつけてマスコミ取材班が集まる中、被害者の元上司に当たる自称右翼の男二人が窓ガラスを破って侵入し、永野の頭部など全身13箇所を銃剣で刺した。
 永野は直ちに病院へ運ばれたが、午後5時15分出血多量のため死亡。永野が殺されたときの所持金はわずか711円だった。
丹羽兵助 (1990)

 丹羽 兵助(にわ ひょうすけ、1911年5月15日 - 1990年11月2日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。俳優の奥田瑛二を私設秘書として雇用していた。
 1990年10月21日、陸上自衛隊守山駐屯地(名古屋市守山区)で行われていた記念式典(一般市民にも公開)に来賓として出席していた際、部外者の男(統合失調症で措置入院中。
 当時は一時退院中であった)に首をナイフで刺された。出血多量により心肺停止状態で近隣の病院に搬送されたが、12日後の11月2日に死去した。享年80(79歳没)。
五十嵐一 (1991)

 五十嵐 一(いからし ひとし、1947年(昭和22年)6月10日 - 1991年(平成3年)7月11日)は、中東・イスラーム学者。東洋思想の大御所井筒俊彦の愛弟子。比較文学の学者である五十嵐雅子は妻。
 1991年(平成3年)7月11日、筑波大学筑波キャンパスの構内で何者かにより刺殺された(悪魔の詩訳者殺人事件)。
 上記の事由により、イラン関係者による犯行であるとする推測がなされたものの、犯人が検挙されることなく時効となった。
村井秀夫(1995)

 村井 秀夫(むらい ひでお、1958年12月5日 - 1995年4月24日)は、オウム真理教幹部。大阪府出身。
 1995年4月23日に東京都港区南青山の教団東京総本部前で指定暴力団・山口組系羽根組の構成員の徐裕行に刺され、病院に搬送、手術をしたものの翌24日午前2時33分に出血多量により死亡した。しかし後に羽根組長の証言により、徐は羽根組とは全く無関係な人物と判明。
 実行犯徐の背後関係を警察は徹底捜査するも暴力団の詳細を摑めず組織の特定がされなかった。
石井紘基 (2002)

 石井 紘基(いしい こうき、1940年11月6日 - 2002年10月25日)は、日本の政治家。民主党などで衆議院議員として活動した。
 議員活動としては、主に日本の政府支出の無駄使いに関して、フィールドワークを持っていた。国会議員が持つ権限を使った徹底的な調査で、税の無駄や政府の不正の追及をしていた。そのため、「国会の爆弾発言男」と呼ばれていた。
 1997年11月、衆議院で防衛庁調達実施本部背任事件を追及し、マスコミをリードし、東京地検の強制捜査にまで発展させた。東洋通信機だけでなく、年間約2兆円にのぼる防衛庁の装備品発注予算が長期にわたって不正に使われていたことがわかった。
 2002年10月25日に、世田谷区の自宅駐車場で右翼の男に刺殺された。石井の死に伴う補欠選挙で、選挙区の地盤は同党の小宮山洋子に引き継がれた。
伊藤一長 (2007)

 伊藤 一長(いとう いっちょう、本名の読みは「かずなが」、1945年(昭和20年)8月23日 - 2007年(平成19年)4月18日)は、日本の政治家。前長崎市長。
 4選を目指す市長選期間中の4月17日19時52分頃、遊説先から長崎市大黒町の選挙事務所に戻ったところを山口組系水心会会長代行の男(59)に背後から銃撃された。
 銃撃後すぐに長崎大学医学部・歯学部附属病院に搬送されたが、心臓の右心室を貫かれ、既に心肺停止の状態に陥っており、約4時間に及ぶ緊急手術を受けたが、翌4月18日2時28分、胸部大動脈損傷による大量出血のため搬送先の病院で死去した。61歳没。
山口剛彦・美知子夫妻 (2008)

 山口 剛彦(やまぐち たけひこ、1941年(昭和16年)12月30日 - 2008年(平成20年)11月17日)は、日本の厚生官僚。正四位瑞宝重光章。厚生事務次官、社会福祉・医療事業団理事長、独立行政法人福祉医療機構理事長を歴任した。
 元厚生事務次官宅連続襲撃事件で妻とともに殺害された。殺人罪に問われた小泉毅被告(52)の上告が棄却され、一、二審の死刑判決が確定した。
大東隆行(2013)

 大東 隆行(おおひがし たかゆき、1941年3月8日 - 2013年12月19日)は、株式会社王将フードサービスの元営業本部長・元代表取締役社長。大阪市出身。
 2013年(平成25年)12月19日午前5時40分から45分頃、京都市山科区の王将フードサービス本社前にて何者かに25口径の拳銃で4発撃たれ、病院に搬送された。しかし、同日午前8時10分頃には死亡が確認された。
暗殺された外国の著名人一覧
アメリカ イギリス
ジョセフ・スミス・ジュニア (1844)
チャールズ・ベント (1847)
エイブラハム・リンカーン (1865)
トマス・ハインドマン(1868)
ジェームズ・ガーフィールド(1881)
ウィリアム・マッキンリー(1901)
ヒューイ・ロング(1935)
ジョン・F・ケネディ(1963)
マルコムX(1965)
マーティン・ルーサー・キング(1968)
ロバート・ケネディ(1968)
フレッド・ハンプトン(1969)
ハーヴェイ・ミルク(1978)
レオ・ライアン(1978)
ジョン・レノン(1980)
ヒューイ・P・ニュートン(1989)
ダイムバッグ・ダレル(2004)
ダンカン1世 (スコットランド王) (1040)
トマス・ベケット(1170)
ワット・タイラー(1381)
リチャード2世(1400)
ジェームズ1世 (スコットランド王) (1437)
ウィリアム・ド・ラ・ポール(1450) サフォーク公
ヘンリー6世(1471)
クリストファー・マーロウ(1593)
ジョージ・ヴィリアーズ(1628) バッキンガム公
スペンサー・パーシヴァル(1812)
ウォルター・モイン(1944)
ルイス・マウントバッテン(1979)
アレクサンドル・リトビネンコ(2006)
ジョー・コックス(2016)
イタリア 中国
タルクィニウス(BC579)
セルウィウス(BC534)
ティベリウス・センプロニウス・グラックス(BC132)
ポンペイウス(BC48)
ガイウス・ユリウス・カエサル(BC44)
マルクス・トゥリウス・キケロ(BC38)
小ドルスス(23)
カリグラ(41)
小アグリッピナ(59)
ガルバ(69)
コンモドゥス(192)
ペルティナクス(193)
カラカラ(217)
ヘリオガバルス(222)
アレクサンデル・セウェルス(235)
マクシミヌス・トラクス(238)
トレボニアヌス(253)
アエミリアヌス(253)
ガリエヌス(268)
アウレリアヌス(275)
プロブス(282)
ヌメリアヌス(284)
カリヌス(285)
ベルナボ・ヴィスコンティ(1385)
ジュリアーノ・デ・メディチ(1478) ロレンツォ・デ・メディチの弟。
フアン・ボルジア(1497)
サレルノ公アルフォンソ(1500) ナポリ王アルフォンソ2世の息子
ボルジャ枢機卿(1500)
アレッサンドロ・デ・メディチ(1537)
ピエール・ルイージ・ファルネーゼ (1547)
カルロ3世(1854) パルマ公
ウンベルト1世(1900)
ジャコモ・マッテオッティ (1924)
アルド・モーロ(1978)
ロベルト・カルヴィ(1982)
ジョヴァンニ・ファルコーネ(1992)
パオロ・ボルセリーノ(1992)
春申君 (BC238)
胡亥 (BC207)
義帝 (BC206)
少帝恭 (BC184)
少帝弘 (BC180)
何進 (189)
董卓 (192)
孫策 (200)
孫翊 (204)
張飛 (221)
諸葛恪 (253)
費禕 (253)
孫綝 (258)
鄧艾 (264)
司馬遹 (300)
道武帝 (409)
太武帝 (452)
文帝 (南朝宋) (453)
孝明帝 (528)
爾朱栄 (530)
李建成 (626)
中宗 (唐) (710)
安禄山 (757)
敬宗 (826)
昭宗 (唐) (904)
朱全忠 (912)
宋教仁 (1913)
張作霖 (1928)
林彪 (1971) 公式発表は事故死
アフガニスタン イスラエル
ハビーブッラー・ハーン(1919) - 国王(アミール)
ムハンマド・ナーディル・シャー(1933) - 国王
ムハンマド・ダーウード(1978) - 大統領
Adolph Dubs, (1979), U.S. ambassador to Afghanistan.
ヌール・ムハンマド・タラキー(1979) - 革命評議会議長
ハフィーズッラー・アミーン(1979) - 革命評議会議長
ムハンマド・ナジーブッラー(1996) - 革命評議会議長(のち大統領)(ノートを参照して下さい。)
アフマド・シャー・マスード(2001) - 北部同盟リーダー
アブドル・ハク(2001) - 北部同盟指揮官
アブドル・カディル(2002) - 副大統領
アブドゥール・ラフマン(2002) - 民間航空・観光相(アフガン航空相撲の元ネタ)
ブルハーヌッディーン・ラッバーニー(2011) - 高等和平評議会議長、元大統領
メイル・カハネ(1990)
イツハク・ラビン (1995)
ビニャミン・ゼエヴ・カハネ (2000)
アブ・アリ・ムスタファ(2001)
レハバム・ゼエビ(2001)
アフマド・ヤースィーン(2004)
アブドゥルアズィーズ・アッ=ランティ-スィ-(2004)
ニザール・ラヤーン(2009)
サイード・シヤーム(2009)
アフマド・アル=ジャアバリー(2012)
ムハンマド・アブー・シャンマラ(2014)
ラアド・アッタール(2014)
ムハンマド・バルフーム(2014)

:イスラエル当局による暗殺
フランス ロシア
ルイ・ド・ヴァロワ (オルレアン公)(1407)
ブルゴーニュ公ジャン1世(1419)
ギーズ公アンリ1世(1588)
フランス王アンリ3世(1589)
フランス王アンリ4世(1610)
ジャン=ポール・マラー(1793)
シャルル・ピシュグリュ(1804)
シャルル・フェルディナン・ダルトワ(1820)
カルノー(1894)
ポール・ドゥメール(1932)
ルイ・バルトゥー(1934)
ピョートル3世(1762)
パーヴェル1世(1801)
アレクサンドル2世(1881)
ニコライ・ボブリコフ(1904)
セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公(1905年)
ピョートル・ストルイピン(1911)
グリゴリー・ラスプーチン(1916)
セルゲイ・キーロフ(1934)
レフ・トロツキー(1940)
アミール・ハッターブ(2002)
アンナ・ポリトコフスカヤ(2006)
ボリス・ネムツォフ(2015)
アンドレイ・カルロフ(2016年)
オーストリア ネパール
エリーザベト(1898) オーストリア皇后
フランツ・フェルディナント大公 (1914)
カール・フォン・シュテュルク(1916)
エンゲルベルト・ドルフース(1934)
ラナ・バハドゥル・シャハ(1806)
ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャハ(2001)
ギリシャ ドイツ
マケドニア国王フィリッポス2世(BC336)
東ローマ皇帝コンスタンス2世(668)
東ローマ皇帝ユスティニアノス2世(711)
東ローマ皇帝フィリピコス・バルダネス(713)
東ローマ皇帝レオーン5世“アルメニコス”(820)
東ローマ皇帝ミカエル3世(867)
東ローマ皇帝ニケフォロス2世フォカス(969)
東ローマ皇帝ロマノス3世アルギュロス(1034)
東ローマ皇帝アレクシオス2世コムネノス(1183)
東ローマ皇帝アレクシオス4世アンゲロス(1204)
元東ローマ皇帝イサキオス2世アンゲロス(1204)
ギリシャ国王ゲオルギオス1世(1913)
オットー3世(1002)
フィリップ(1208)
アルブレヒト1世(1308)
アルプレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン(1634)
クルト・アイスナー(1919)
マティアス・エルツベルガー(1921年)
ヴァルター・ラーテナウ(1922年)
ホルスト・ヴェッセル(1930)
エルンスト・レーム(1934)
グレゴール・シュトラッサー(1934)
クルト・フォン・シュライヒャー(1934)
ヴィルヘルム・グストロフ(1936)
ラインハルト・ハイドリヒ(1942)
ヴィルヘルム・クーベ(1943)
フランツ・クッチェラ(1944)
トルコ 韓国・朝鮮
ムラト1世(1389)
ジェム(1495)
ソコルル・メフメト・パシャ(1579)
オスマン2世(1622)
イブラヒム(1648)
シェヴケト・パシャ(1913)
金玉均(1894)
閔妃(1895)
金九(1949)
陸英修(1974)
朴正煕(1979)
安斗煕(1996)
金正男(2017)
インド ユーゴスラビア
マハトマ・ガンディー (1948)
インディラ・ガンディー(1984)
ラジーヴ・ガンディー(1991)
プーラン・デーヴィー(2001)
アレクサンダル1世 (セルビア王)(1903)
アレクサンダル1世 (ユーゴスラビア王)(1934)
ゾラン・ジンジッチ(2003)
ルーマニア フィリピン
ドゥカ(1933)
コドレアヌ(1938)
カリネスク(1939)
ベニグノ・アキノ(1983)
オランダ レバノン
ウィレム1世(1584年) オラニエ公
ピム・フォルタイン(2002)
テオ・ファン・ゴッホ(2004)
バシール・ジェマイエル(1982)
ラフィーク・ハリーリー(2005)
パキスタン スウェーデン
ベナジル・ブット(2007)
サルマン・タシール(2011)
ウサーマ・ビン・ラーディン(2011)
エリク14世(1577)
グスタフ3世(1792)
ベルナドッテ伯(1948)
オロフ・パルメ(1986)
アンナ・リンド(2003)
 


America: The Grim Truth

By Lance Freeman


April 08, 2010 "Information Clearing House" -- Americans, I have some bad news for you:

You have the worst quality of life in the developed world – by a wide margin.

If you had any idea of how people really lived in Western Europe, Australia, New Zealand, Canada and many parts of Asia, you’d be rioting in the streets calling for a better life. In fact, the average Australian or Singaporean taxi driver has a much better standard of living than the typical American white-collar worker.

I know this because I am an American, and I escaped from the prison you call home.

I have lived all around the world, in wealthy countries and poor ones, and there is only one country I would never consider living in again: The United States of America. The mere thought of it fills me with dread.

Consider this: you are the only people in the developed world without a single-payer health system. Everyone in Western Europe, Japan, Canada, Australia, Singapore and New Zealand has a single-payer system. If they get sick, they can devote all their energies to getting well. If you get sick, you have to battle two things at once: your illness and the fear of financial ruin. Millions of Americans go bankrupt every year due to medical bills, and tens of thousands die each year because they have no insurance or insufficient insurance. And don’t believe for a second that rot about America having the world’s best medical care or the shortest waiting lists: I’ve been to hospitals in Australia, New Zealand, Europe, Singapore, and Thailand, and every one was better than the “good” hospital I used to go to back home. The waits were shorter, the facilities more comfortable, and the doctors just as good.

This is ironic, because you need a good health system more than anyone else in the world. Why? Because your lifestyle is almost designed to make you sick.

Let’s start with your diet: Much of the beef you eat has been exposed to fecal matter in processing. Your chicken is contaminated with salmonella. Your stock animals and poultry are pumped full of growth hormones and antibiotics. In most other countries, the government would act to protect consumers from this sort of thing; in the United States, the government is bought off by industry to prevent any effective regulations or inspections. In a few years, the majority of all the produce for sale in the United States will be from genetically modified crops, thanks to the cozy relationship between Monsanto Corporation and the United States government. Worse still, due to the vast quantities of high-fructose corn syrup Americans consume, fully one-third of children born in the United States today will be diagnosed with Type 2 diabetes at some point in their lives.

Of course, it’s not just the food that’s killing you, it’s the drugs. If you show any sign of life when you’re young, they’ll put you on Ritalin. Then, when you get old enough to take a good look around, you’ll get depressed, so they’ll give you Prozac. If you’re a man, this will render you chemically impotent, so you’ll need Viagra to get it up. Meanwhile, your steady diet of trans-fat-laden food is guaranteed to give you high cholesterol, so you’ll get a prescription for Lipitor. Finally, at the end of the day, you’ll lay awake at night worrying about losing your health plan, so you’ll need Lunesta to go to sleep.

With a diet guaranteed to make you sick and a health system designed to make sure you stay that way, what you really need is a long vacation somewhere. Unfortunately, you probably can’t take one. I’ll let you in on little secret: if you go to the beaches of Thailand, the mountains of Nepal, or the coral reefs of Australia, you’ll probably be the only American in sight. And you’ll be surrounded crowds of happy Germans, French, Italians, Israelis, Scandinavians and wealthy Asians. Why? Because they’re paid well enough to afford to visit these places AND they can take vacations long enough to do so. Even if you could scrape together enough money to go to one of these incredible places, by the time you recovered from your jetlag, it would time to get on a plane and rush back to your job.

If you think I’m making this up, check the stats on average annual vacation days by country:

Finland: 44
Italy: 42
France: 39
Germany: 35
UK: 25
Japan: 18
USA: 12

The fact is, they work you like dogs in the United States. This should come as no surprise: the United States never got away from the plantation/sweat shop labor model and any real labor movement was brutally suppressed. Unless you happen to be a member of the ownership class, your options are pretty much limited to barely surviving on service-sector wages or playing musical chairs for a spot in a cubicle (a spot that will be outsourced to India next week anyway). The very best you can hope for is to get a professional degree and then milk the system for a slice of the middle-class pie. And even those who claw their way into the middle class are but one illness or job loss away from poverty. Your jobs aren’t secure. Your company has no loyalty to you. They’ll play you off against your coworkers for as long as it suits them, then they’ll get rid of you.

Of course, you don’t have any choice in the matter: the system is designed this way. In most countries in the developed world, higher education is either free or heavily subsidized; in the United States, a university degree can set you back over US$100,000. Thus, you enter the working world with a crushing debt. Forget about taking a year off to travel the world and find yourself – you’ve got to start working or watch your credit rating plummet.

If you’re “lucky,” you might even land a job good enough to qualify you for a home loan. And then you’ll spend half your working life just paying the interest on the loan – welcome to the world of American debt slavery. America has the illusion of great wealth because there’s a lot of “stuff” around, but who really owns it? In real terms, the average American is poorer than the poorest ghetto dweller in Manila, because at least they have no debts. If they want to pack up and leave, they can; if you want to leave, you can’t, because you’ve got debts to pay.

All this begs the question: Why would anyone put up with this? Ask any American and you’ll get the same answer: because America is the freest country on earth. If you believe this, I’ve got some more bad news for you: America is actually among the least free countries on earth. Your piss is tested, your emails and phone calls are monitored, your medical records are gathered, and you are never more than one stray comment away from writhing on the ground with two Taser prongs in your ass.

And that’s just physical freedom. Mentally, you are truly imprisoned. You don’t even know the degree to which you are tormented by fears of medical bankruptcy, job loss, homelessness and violent crime because you’ve never lived in a country where there is no need to worry about such things.

But it goes much deeper than mere surveillance and anxiety. The fact is, you are not free because your country has been taken over and occupied by another government. Fully 70% of your tax dollars go to the Pentagon, and the Pentagon is the real government of the United States. You are required under pain of death to pay taxes to this occupying government. If you’re from the less fortunate classes, you are also required to serve and die in their endless wars, or send your sons and daughters to do so. You have no choice in the matter: there is a socio-economic draft system in the United States that provides a steady stream of cannon fodder for the military.

If you call a life of surveillance, anxiety and ceaseless toil in the service of a government you didn’t elect “freedom,” then you and I have a very different idea of what that word means.

If there was some chance that the country could be changed, there might be reason for hope. But can you honestly look around and conclude that anything is going to change? Where would the change come from? The people? Take a good look at your compatriots: the working class in the United States has been brutally propagandized by jackals like Rush Limbaugh, Bill O’Reilly and Sean Hannity. Members of the working class have been taught to lick the boots of their masters and then bend over for another kick in the ass. They’ve got these people so well trained that they’ll take up arms against the other half of the working class as soon as their masters give the word.

If the people cannot make a change, how about the media? Not a chance. From Fox News to the New York Times, the mass media in the United States is nothing but the public relations wing of the corporatocracy, primarily the military industrial complex. At least the citizens of the former Soviet Union knew that their news was bullshit. In America, you grow up thinking you’ve got a free media, which makes the propaganda doubly effective. If you don’t think American media is mere corporate propaganda, ask yourself the following question: have you ever heard a major American news outlet suggest that the country could fund a single-payer health system by cutting military spending?

If change can’t come from the people or the media, the only other potential source of change would be the politicians. Unfortunately, the American political process is among the most corrupt in the world. In every country on earth, one expects politicians to take bribes from the rich. But this generally happens in secret, behind the closed doors of their elite clubs. In the United States, this sort of political corruption is done in broad daylight, as part of legal, accepted, standard operating procedure. In the United States, they merely call these bribes campaign donations, political action committees and lobbyists. One can no more expect the politicians to change this system than one can expect a man to take an axe and chop his own legs out from underneath him.

No, the United States of America is not going to change for the better. The only change will be for the worse. And when I say worse, I mean much worse. As we speak, the economic system that sustained the country during the post-war years is collapsing. The United States maxed out its “credit card” sometime in 2008 and now its lenders, starting with China, are in the process of laying the foundations for a new monetary system to replace the Anglo-American “petro-dollar” system. As soon as there is a viable alternative to the US dollar, the greenback will sink like a stone.

While the United States was running up crushing levels of debt, it was also busy shipping its manufacturing jobs and white-collar jobs overseas, and letting its infrastructure fall to pieces. Meanwhile, Asian and European countries were investing in education, infrastructure and raw materials. Even if the United States tried to rebuild a real economy (as opposed to a service/financial economy) do think American workers would ever be able to compete with the workers of China or Europe? Have you ever seen a Japanese or German factory? Have you ever met a Singaporean or Chinese worker?

There are only two possible futures facing the United States, and neither one is pretty. The best case is a slow but orderly decline – essentially a continuation of what’s been happening for the last two decades. Wages will drop, unemployment will rise, Medicare and Social Security benefits will be slashed, the currency will decline in value, and the disparity of wealth will spiral out of control until the United States starts to resemble Mexico or the Philippines – tiny islands of wealth surrounded by great poverty (the country is already halfway there).

Equally likely is a sudden collapse, perhaps brought about by a rapid flight from the US dollar by creditor nations like China, Japan, Korea and the OPEC nations. A related possibility would be a default by the United States government on its vast debt. One look at the financial balance sheet of the US government should convince you how likely this is: governmental spending is skyrocketing and tax receipts are plummeting – something has to give. If either of these scenarios plays out, the resulting depression will make the present recession look like a walk in the park.

Whether the collapse is gradual or gut-wrenchingly sudden, the results will be chaos, civil strife and fascism. Let’s face it: the United States is like the former Yugoslavia – a collection of mutually antagonistic cultures united in name only. You’ve got your own version of the Taliban: right-wing Christian fundamentalists who actively loathe the idea of secular Constitutional government. You’ve got a vast intellectual underclass that has spent the last few decades soaking up Fox News and talk radio propaganda, eager to blame the collapse on Democrats, gays and immigrants. You’ve got a ruthless ownership class that will use all the means at its disposal to protect its wealth from the starving masses.

On top of all that you’ve got vast factory farms, sprawling suburbs and a truck-based shipping system, all of it entirely dependent on oil that is about to become completely unaffordable. And you’ve got guns. Lots of guns. In short: the United States is about to become a very unwholesome place to be.

Right now, the government is building fences and walls along its northern and southern borders. Right now, the government is working on a national ID system (soon to be fitted with biometric features). Right now, the government is building a surveillance state so extensive that they will be able to follow your every move, online, in the street and across borders. If you think this is just to protect you from “terrorists,” then you’re sadly mistaken. Once the shit really hits the fan, do you really think you’ll just be able to jump into the old station wagon, drive across the Canadian border and spend the rest of your days fishing and drinking Molson? No, the government is going to lock the place down. They don’t want their tax base escaping. They don’t want their “recruits” escaping. They don’t want YOU escaping.

I am not writing this to scare you. I write this to you as a friend. If you are able to read and understand what I’ve written here, then you are a member of a small minority in the United States. You are a minority in a country that has no place for you.

So what should you do?

You should leave the United States of America.

If you’re young, you’ve got plenty of choices: you can teach English in the Middle East, Asia or Europe. Or you can go to university or graduate school abroad and start building skills that will qualify you for a work visa. If you’ve already got some real work skills, you can apply to emigrate to any number of countries as a skilled immigrant. If you are older and you’ve got some savings, you can retire to a place like Costa Rica or the Philippines. If you can’t qualify for a work, student or retirement visa, don’t let that stop you – travel on a tourist visa to a country that appeals to you and talk to the expats you meet there. Whatever you do, go speak to an immigration lawyer as soon as you can. Find out exactly how to get on a path that will lead to permanent residence and eventually citizenship in the country of your choice.

You will not be alone. There are millions of Americans just like me living outside the United States. Living lives much more fulfilling, peaceful, free and abundant than we ever could have attained back home. Some of us happened upon these lives by accident – we tried a year abroad and found that we liked it – others made a conscious decision to pack up and leave for good. You’ll find us in Canada, all over Europe, in many parts of Asia, in Australia and New Zealand, and in most other countries of the globe. Do we miss our friends and family? Yes. Do we occasionally miss aspects of our former country? Yes. Do we plan on ever living again in the United States? Never. And those of us with permanent residence or citizenship can sponsor family members from back home for long-term visas in our adopted countries.

In closing, I want to remind you of something: unless you are an American Indian or a descendant of slaves, at some point your ancestors chose to leave their homeland in search of a better life. They weren’t traitors and they weren’t bad people, they just wanted a better life for themselves and their families. Isn’t it time that you continue their journey?
マスコミに載らない海外記事

アメリカの恐ろしい真実
Lance Freeman Information Clearing House"


 アメリカ人の皆様には、悪いお知らせがある。 アメリカ人の生活の質は、先進国の中でも、大差で最悪なのだ。
 西ヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダや、アジアの多くの場所で、人々が、本当はどのような暮らしをしているか、ご存じになっていれば、皆様方は、より良い生活を要求して、街路で暴動をしておられるだろう。実際、平均的なオーストラリア人やシンガポール人のタクシー運転手の方が、典型的なアメリカの事務職の人より生活水準はずっと良い。

 私はアメリカ人なので、これを知っている。それで、皆さんが家とお呼びになっている監獄から脱出したのだ。

 私は世界中で暮らしたことがある。豊かな国、貧しい国、そして、ただ一国だけ、私が決して暮らしたくないと思う国がある。アメリカ合州国だ。アメリカのことを考えるだけで、恐怖で一杯になってしまう。

 考えても頂きたい。アメリカ人は、先進国の中で、単一支払者医療制度 (国民皆保険)がない唯一の国民だ。西欧、日本、カナダ、オーストラリア、シンガポールや、ニュージーランドの国民には、皆、単一支払者医療制度がある。

 万一、病気になったら、彼らは、あらゆる精力を、健康になるために注ぎ込める。アメリカでは、万一病気になったら、二つのことと同時に戦わねばならない。病気と家計破産の恐怖だ。何百万人ものアメリカ人が、毎年、医療費のために破産し、毎年何万人もの人が、医療保険に加入していないか、保険が不十分なために、亡くなっている。

 アメリカには世界最高の医療があるとか、順番待ちリストが一番短いとかいうたわごとを、一秒たりとも信じてはいけない。オーストラリア、ニュージーランド、ヨーロッパ、シンガポールや、タイで、病院に行ったことがあるが、そのどれもがアメリカで行っていた“良い”病院よりも、良かった。待ち時間は短く、設備は、もっと快適で、医師たちも素晴らしかった。

 あなたは、世界の誰よりも良い医療制度を必要としているのだから皮肉なことだ。なぜだろう? あなたのライフ・スタイルは、ほとんど、あなたを病気にするように作られているためだ。


 皆様の食事から始めよう。あなたが召し上がる牛肉の多くは、加工の過程で糞便にさらされている。召し上がる鶏はサルモネラ菌に汚染されている。家畜や家禽は、成長ホルモンと抗生物質を、たっぷり注入されている。

 他の大半の国々では、政府は、こうした類のことから、消費者を保護しようとして行動するものだ。アメリカ合州国では、あらゆる有効な規制や検査をしないよう、政府は業界に買収されている。

 モンサント社とアメリカ合州国政府の癒着関係のおかげで、数年のうちに、アメリカ合州国内で販売されている全ての農産物の大多数は、遺伝子組み換え作物になるだろう。
 しかも、なお悪いことに、アメリカ人が消費する莫大な量のブドウ糖果糖液糖のせいで、現在アメリカ合州国で生まれる子供の三分の一は、人生のどこかの時点で、2型糖尿病と診断されることになるだろう。

 もちろん、あなたを殺しつつあるのは食品だけではない。薬品もそうだ。もしも、若い頃に余りに元気すぎれば、(多動性障害治療の)リタリンを処方してくれる。そして、十分年をとって、周囲をじっと見回すようになると、落ち込むことになり、医者は抗うつ剤プロザックを処方してくれる。

 あなたが男性であれば、これであなたは化学的に不能になるので、奮い立たせるのに、ヴァイアグラが入り用になるだろう。一方、トランス脂肪がたっぷり入った食品で作られた食事をいつも召し上がっていれば、コレステロール値は必ず高くなり、そこで高脂血症薬リピトールの処方箋を貰うだろう。

 最終的に、一日の終わりには健康保険を失う心配から、夜中眠れぬまま横たわることとなり、そこで、眠るために催眠導入剤ルネスタが必要となる。
あなたを病気にしてくれることが確実な食事と、ずっとそういう状態に置いておくように設計された医療制度がある以上、本当に必要なのは、どこかでの長期バケーションだ。不幸にして、あなたはおそらく休暇をとれない。


 ここで、ちょっとした秘密を教えてさしあげたい。もしも、タイの海岸、ネパールの山々や、オーストラリアのサンゴ礁に行かれても、おそらく、あなたがそこにいる唯一のアメリカ人だろう。そして、幸福なドイツ人、フランス人、イタリア人、イスラエル、スカンジナビナ諸国の人々や、裕福なアジア人の大群に包囲されるだろう。なぜだろう?

 彼らはそうした場所にやって来るだけの旅費を払えるだけの給料を貰っており、しかも、そうすることが可能なだけ長い休暇がとれるからだ。例え仮にあなたが、そうした信じがたいほど素晴らしい場所にでかけるのに十分な資金をかき集められたとしても、時差ボケから回復する頃には、飛行機に搭乗し、大急ぎで仕事に戻る時間になっているだろう。

 私が話をでっちあげているのだとお考えなら、国別の年間休暇日数平均統計を確認頂きたい。
フィンランド: 44 イタリア: 42  フランス: 39
ドイツ: 35 イギリス: 25 日本: 18
アメリカ: 12

 現実には、人はアメリカ合州国で、こきつかわれている。これは決して驚くべきことではない。アメリカ合州国は決してプランテーション/ 労働搾取モデルをやめることができなかったし、あらゆる本格的な労働運動は容赦なく弾圧された。

 読者が、たまたま所有者階級のメンバーでおられない限り、選択肢は、サービス業の賃金で、辛うじて生き延びるか、間仕切りで区切られた仕事場(翌週には、どのみちインドに外注されてしまう仕事場だが)の席を巡って椅子取りゲームをするかに、ほとんど限られている。

 精々望めるものと言えば、専門的な資格を取って、中流階級用パイの一切れを、長期間にわたって得続けることだ。しかも、苦労して中流階級に入り込んだ連中でさえ、いったん病気になるか、失業してしまえば貧困に陥る。


 仕事が続く保証などない。会社には社員に対する忠誠心など皆無だ。連中は、それが都合のいい間は、あなたを同僚たちと争わせるが、やがて、あなたをお払い箱にする。
 もちろん、読者は、この点なんの選択肢もお持ちではない。そういう風に体制ができているのだ。大半の先進国では、高等教育は無料か、多額の助成金がある。アメリカ合州国では、大学の学位を取るのに10万ドル以上の費用がかかる。

 そこで、アメリカ人は、多額の負債を負って、実社会に入るのだ。一年間の休暇をとって、世界旅行をして、自己発見をするなぞ、あきらめなさい。仕事を始めるか、自分の信用格付けが急落するのを眺めるかの、どちらかしかない。
 もし、“運”が良ければ、住宅ローンを借りる資格を得るのに十分な仕事にありつけるかも知れない。そうして、勤労生活の半分をローン金利の支払いのためだけに過ごすことになる。アメリカ借金奴隷の世界にようこそ。

 あちこちで、そういう“話”がやたらあるので、アメリカには偉大な富があるという幻想をもつが、一体誰が実際それを所有しているのだろう? 実際には、平均的なアメリカ人はマニラの最貧スラムの住民より貧しいのだ。

 何故なら少なくとも彼等に借金はない。もしも彼等が荷物をたたんで立ち去りたければ、連中はそうできる。アメリカ人は、立ち去りたくとも、支払うべき借金があるので、立ち去ることができない。

 こうしたこと全てから、一つの疑問が提起される。なぜ皆はこれを我慢しているのだろう? アメリカ人の誰に聞いても同じような答えが帰ってくる。アメリカは地球上で最も自由な国だから。もしもあなたが、これを信じておられるなら、あなたに更にいくつか悪いお知らせがある。

 アメリカは実は地球上で最も不自由な国の一つなのだ。尿は検査され、電子メールや、電話会話は盗聴され、医療記録は収集され、一言でもまずい発言をするだけで、テーザー銃の二本の電極を尻にあてられて地面で苦悶する羽目になる。

 しかも、これは単なる物理的な自由に過ぎない。精神的に、アメリカ人は本当に監獄にとじこめられている。そうしたことなど心配せずにすむ国で暮らしたことがないので、アメリカ人は、医療破産、失業、ホームレスや、凶悪犯罪の恐怖で苦しめられている程度のひどさを理解できないのだ。

 しかし、ことは単なる監視や心配より、はるかに深刻だ。事実は、アメリカという国が別の政府に乗っ取られ占領されているために、アメリカ人は自由でないのだ。税金で支払うドルの70%はペンタゴンに行くが、ペンタゴンこそアメリカ合州国の本当の政府なのだ。


 アメリカ人は、この占領政府に死ぬような苦しみの中、税金を支払うことを要求されている。もしも、それほど恵まれていない階級の人であれば、連中の果てしない戦争に出征し死ぬことを要求されるか、あるいは息子や娘をそうするために送りださせられる。この点、アメリカ人に選択肢はない。アメリカ合州国には、軍隊に砲弾の餌食を絶えず送り込むという流れ、社会-経済的徴兵制度がある。

 もしもあなたが、監視、不安、自分が選出したわけでもない政府にこき使われる絶え間ない労苦の生活を“自由”とお呼びになるのであれば、あなたと私は、その言葉が意味することについての考え方が極めて異なっていることになる。

 もしも、国を変えることができる機会が多少ともあるのであれば、希望を抱ける理由もあろう。しかし、あなたは周囲を見回して、何かが変化するようだという結論を本当に出せるのだろうか?

 一体どこから変化は起きるのだろう?  国民から?  同国人をじっくりとご覧頂きたい。アメリカ合州国の労働者階級は、ラッシュ・リンボー、ビル・オライリーや、シーン・ハニティ等の悪党連中によって、容赦なく洗脳されている。

 労働者階級のメンバーはご主人にへつらうよう教えられており、更にもう一度、尻を蹴っ飛ばして貰うため、かがみこみさえする。ご主人連中がこうした人々を十分に仕込んであるので、この労働者たちはご主人様が命令を下すやいなや、武器を手にして、残りのもう半分の労働者階級に立ち向かうだろう。


 もしも国民が変化をおこせないのであれば、マスコミはどうだろう?
全く望みはない。フォックス・ニューズからニューヨーク・タイムズに至るまで、アメリカ合州国のマスコミは、企業主義体制、それも主に軍産複合体の広報部に過ぎない。
 少なくとも、旧ソ連の国民たちは、ソ連のニュースがたわごとであるを知っていた。アメリカでは、自由なマスコミがあると思い込んだまま成長するため、プロパガンダは二重の効果をもたらす。

 もし、アメリカ・マスコミなど、単なる企業プロパガンダに過ぎないとは、考えておられないのであれば、以下の質問を自問して頂きたい。大手アメリカ報道機関が、アメリカは軍事支出さえ削減すれば、単一支払者医療制度の資金をだせることを示唆するのを聞いたことがおありだろうか?

 もしも変化が国民やマスコミからは起きないのであれば、唯一、変化の発生源の可能性がある残されたものは、政治家ということになるだろう。不幸にして、アメリカの政治プロセスは世界の中で最も腐敗している。


 地球上のどんな国でも、政治家というものは金持ちから賄賂を受け取るものだ。ただし、それは通常、連中のエリート・クラブの密室で、こっそりと行われる。アメリカ合州国では、この種の政治的腐敗行為は、合法的な一般に認められた、標準的な作業手順の一環として、白昼公然と行われる。

 アメリカ合州国では、連中は、こうした賄賂キャンペーンを、寄付、政治活動委員会や、ロビイストと呼んでいるに過ぎない。人が手斧を手に持って、自分の体の下にある両足を叩き切ることなど期待できないのと同様、もはや政治家がこの制度を変えるなどと期待することはできない。

 いや、アメリカ合州国は、良い方向に変わろうとしているのではない。ひたすら悪い方向にチェンジするばかりだ。しかも、より悪いと申しあげているのは、ずっと悪いという意味だ。こうして話をしている間にも、アメリカを第二次大戦後、支え続けてきた経済制度は崩壊しつつある。

 アメリカ合州国は、その“クレジット・カード”を、2008年のどこかで使い切っており、いまや中国を始めとする貸し手たちは、英米“石油-ドル”制度に置き換わる、新たな通貨制度の基礎作りの過程にある。米ドルの実行可能な代替案ができるやいなや、ドル紙幣は、まるで石のように沈没するだろう。

 アメリカ合州国は、圧倒的なレベルの借金をため込む一方で、同時に、製造業の仕事やホワイトカラーの仕事を海外に移すのにも忙しく、国内インフラを崩壊するにまかせている。これに対し、アジアやヨーロッパ諸国は、教育、インフラや原料に投資をしてきた。

 たとえ、アメリカ合州国が、実体経済(サービス/金融経済と対照的に) を再建しようと試みたにせよ、アメリカ人労働者が中国やヨーロッパの労働者と一体競争できると思われるだろうか?
日本やドイツの工場をご覧になったことがあるだろうか?
シンガポール人や中国人の労働者とお会いになったことがあるだろうか?


 アメリカ合州国が直面する未来には、二種類の可能性しかなく、そのいずれも、うれしいものではない。最善の場合というのは、ゆっくりながら、整然とした衰退で、本質的に、過去20年間に起きたことの継続だ。

 給料は下がり、失業は増え、メディケアや社会保障給付は削減され、通貨の価値は低落し、富の格差は手に負えない状況に陥り、ついには、アメリカ合州国は、メキシコや、フィリピンに、つまり膨大な貧乏人に囲まれた富者のちっぽけな島とそっくりになり始める(この国は既に道の半ばまで来ている)。

 同じように、あり得るのは、中国、日本、韓国やOPEC諸国のような債権国による米ドルの急激な売りによってもたらされるであろう突然の崩壊だ。関連した一つの可能性として、アメリカ合州国政府による膨大な債務に対する債務不履行がある。
 アメリカ政府財政のバランスシートを一瞥すれば、これがどれほど、あり得ることか納得されるだろう。政府支出は急増ししており、税収は急落している。何かを譲らなければならないのだ。
 万一こうしたシナリオのいずれかが展開すれば、その結果として起きる恐慌と比べれば、現在の不況なぞ、公園の散歩に見えてくるだろう。

 崩壊が緩やかなものであれ、あるいは衝撃的なほど突然のものであれ、結果は、混沌、内乱と、ファシズムだ。現実を直視しよう。アメリカ合州国は旧ユーゴスラビアのようになる。名目上、結びついている、お互いに拮抗する文化の寄せ集めだ。アメリカ版タリバンもちゃんとある。


 非宗教的な合憲政府という考えを大いに嫌悪している、右翼キリスト教原理主義者だ。アメリカには、過去数十年間、フォックス・ニューズや、プロパガンダ・トークのラジオ番組にどっぷり漬かって過ごし、体制の崩壊を、民主党やゲイや移民になすり付けたがる、膨大な知的下層階級の人々がいる。

 アメリカには、自分の富を飢えた大衆から守るためには使える限りのあらゆる手段を用いる、冷酷な所有者階級がある。
 そうしたもの全てに加え、アメリカには、巨大な工場式畜産場、無秩序に広がる近郊住宅地、トラックに依存する物流制度があるが、こうしたもの全てが全く手の届かないものになろうとしている石油に完全に依存している。
しかも皆が銃を持っている。大変な数の銃だ。要するに、アメリカ合州国は、暮らすには極めて不健康な場所に、まさになろうとしているのだ。

 現在、政府は北部と南部の国境沿いに塀と壁を建設している。現在、政府は全国ID制度(間もなく生体データ記録も搭載される)に取りかかっている。現在、政府は国民のあらゆる動静を、オンラインで、街頭で、国境を越えて、追跡することができるような徹底的な監視国家を構築している。


 もしも、これは国民を“テロリスト”から守る為だと考えておられたなら、あなたはとんでもない誤解をしておられる。
 いったん本当に大変な事態になってしまったら、古いステーションワゴン車に飛び乗って、カナダ国境を越え、人生の残りの日々を、魚釣りをして、モルソン・ビールを飲んで過ごせる、などと本気で考えておられるだろうか?

 とんでもない、政府はアメリカを封鎖してしまうのだ。連中は納税者を逃がしはしない。連中は“新兵”に、逃亡などさせたくないのだ。連中はあなたが脱出することなど望んでいないのだ。

 皆様を脅したくて本文を書いているわけではない。皆様の友人として、私はこれを書いている。もしも、読者が、私がここに書いていることを、お読みになり、理解されるのであれば、あなたはアメリカ合州国における少数派の一員だ。あなたの居場所がない国で暮らしている少数派なのだ。

そこで、あなたはどうすべきなのだろう? アメリカ合州国から去るべきなのだ。

 もしも若ければ、選択肢は豊富にある。中東、アジアや、ヨーロッパで、英語を教えられる。あるいは、海外の大学や大学院に進学し、労働ビザ資格を得られるような特殊技能を身につけるのを始めることができる。

 既に何か特殊な技能をお持ちであれば、特殊技能を持つ移民として、様々な国に移民を申請できる。読者が、高齢で多少の蓄えがあれば、コスタリカや、フィリピンのような国で隠居暮らしができる。仕事をする資格は得られなくとも、学生や、退職者ビザだからと、あきらめることはない。

 観光ビザで、良さそうに思える国に旅行し、そこで出会ったアメリカ人国外居住者と話すことだ。何をするにせよ、出来るだけ早急に、移民弁護士に相談することだ。どうすれば永住を可能にすることができるかという方法、最終的にはご自分で選ばれた国の国籍を得る方法を、正確に知ることだ。

 あなたはたった一人というわけではない。私のようにアメリカ合州国の外で暮らしているアメリカ人は何百人といる。祖国で実現できるであろうものより、ずっと充実して、平和で、自由で、豊かな生活をしているのだ。

 偶然こうした生活にたどりつく人々もいる? 私たちは一年間海外で暮らしてみて、それが気に入った。荷物をまとめ、永遠に立ち去ってしまう、という意図的な決断をした方々もおられる。

 カナダに、ヨーロッパ中に、アジアの多くの場所、オーストラリアやニュージーランドに、そして地球上の他の大半の国々に、私たちのような人々がいる。友人や家族をなつかしく思うことがあるだろうか? それは、ある。

 時には、祖国での生活のある部分をなつかしく思うことはあるだろうか? ある。私たちは、再びアメリカ合州国で暮らそうと計画しているだろうか? 決してそんなことはない。また、永住ビザや国籍を持っている人々は、その受け入れ国の長期ビザを、祖国にいる家族が取得するための保証人になることができる。

 結論として、思い起こして頂きたいことがある。あなたがアメリカ・インディアンか、奴隷の末裔ではない限り、ある時期に、あなたの先祖は、より良い生活を求めて、祖国を離れることを決断したのだ。

 彼らは売国奴でもなければ、悪人でもなく、単に、自分たちや家族の為に、良い生活を望んでいただけだ。あなたがたも、彼らの旅を続ける頃合いではないだろうか?


記事原文のurl:
www.informationclearinghouse.info/article25166.htm

Lance Freeman "Information Clearing House"

「本当は恐ろしいアメリカの真実」 反面教師・アメリカから何を学ぶか
内容(「BOOK」データベースより)

 天下り、排他的な愛国主義、人種差別、極端な宗教、抗ウツ剤の蔓延、ウォルマート、堕落したニュース・メディア、洗脳ドラマ。夢と希望の国アメリカの現実は落とし穴だらけ!オバマを邪魔する人々、アメリカを蝕む人々。市場原理主義が招いた荒廃と迷走のアメリカ。こんな新自由主義を真似てはいけない!。

冷静な識者はどう見たか 「北朝鮮ミサイル」列島大騒動
2016年2月8日 日刊ゲンダイ



このバカ騒ぎはいったい何だったのか。
 7日午前9時半ごろ、北朝鮮が「地球観測衛星『光明星』を打ち上げる」との通告通り、「人工衛星」を発射。すぐさま緊急情報ネットワーク「エムネット」や全国瞬時警報システム(Jアラート)を通じて全国にミサイル発射情報が配信されるなど、各自治体は対応に大わらわだった。お茶の間も朝からこのニュースに席巻された。

 日曜の朝に打ち上げるなんて、まったく人騒がせな国だが、北の核実験やミサイル発射は、常に米国の譲歩を引き出すのが狙いだとされる。今回は中国も大きなターゲットだ。

「国連安保理では、北朝鮮が先月行った核実験の制裁決議案についての折衝が続いています。米国は制裁強化を主張して、中国に対し『北朝鮮への石油の供給を止めろ』と言っている。しかし中国は『追いつめすぎるとかえって暴発を招く』と消極的です。北朝鮮は、米中両国に揺さぶりをかけている。折しも米国は大統領選の真っただ中です。北朝鮮のミサイル発射は、共和党側からの『民主党の姿勢が北の増長を招いた』という批判材料には使われるでしょうが、すぐに有効な手を打ち出せる状況ではない。今回の発射を受けて、安保理は緊急会合を開きましたが、中国としては非常に難しい対応を迫られています」(国際ジャーナリストで早大客員教授の春名幹男氏)

 北の3代目は、どうせ今の中国には何もできやしないと足元を見ている。それは今月、北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議で議長を務める中国の武大偉朝鮮半島問題特別代表が平壌を訪問した最中に、発射を通告したことでも分かる。これで中国のメンツは丸つぶれになった。もちろん、中国を挑発するのは、その先に米国との対話を見据えているからだ。


■米国はミサイルではなく人口衛星と認定

 一連の核実験も今回の発射も、示威行動には違いない。破れかぶれというのはちょっと違うが、狙い通りに物事が進むとも思えず、悪あがきの類いでしかない。北朝鮮にとっては、「この道しかない」というところだろう。
 だが、それが本当に日本にとって脅威かというと疑問だ。

 日本政府もメディアも「北朝鮮が事実上の弾道ミサイルを発射」と言って脅威を煽るのだが、発射直後に、アメリカ国防総省が「長距離ロケットは宇宙空間に到達した」と発表。米戦略軍統合宇宙運用センターは「ロケットから分離された2つの物体が地球周回軌道に乗り、うちひとつは衛星とみられる」としている。ということは、これはミサイルではなく、本当に人工衛星ということではないか。

 軍事評論家の田岡俊次氏が言う。
「国連安保理の決議2087(13年1月23日)などが何度も北朝鮮に対し、『弾道ミサイル技術を使用したいかなる発射、核実験もこれ以上は実施しない』ことを求めている以上、今回の人工衛星打ち上げがそれに違反していることは明白です。ただ、日本で『人工衛星打ち上げと称する弾道ミサイル発射』と報道されているのは政府のミスリードだと思う。北朝鮮は地球観測衛星、すなわち偵察衛星を上げようとしたのです。『弾道ミサイルと衛星打ち上げロケットは技術的に同じ』といわれますが、それは旅客機と爆撃機が基本的には同じというレベルの話です。今日ではロケットも分化が進み、目的による違いも大きい。今回の『テポドン2』型のように、高さ67メートルもの塔のそばで、2週間以上もかけて衆人環視の中で組み立て、燃料注入に3日もかかる代物は、弾道ミサイルに適していません」

 日本のH2Aロケットを思い浮かべれば分かるが、戦時や緊張が高まった際、即時発射も移動も不可能なミサイルは、発射準備をしている間に、航空攻撃などで簡単に破壊されてしまう。


ありもしない危機を軍拡や改憲の根拠に政治利用

 今回発射されたのは人工衛星なのに、日本政府は「ミサイル発射」と称して破壊措置命令を発令し、東シナ海と日本海に迎撃ミサイルを搭載したイージス艦を展開。都内とその周辺や沖縄県内に地上配備型迎撃ミサイル「パトリオット」(PAC3)を配備するなど厳戒態勢を敷いた。いたずらに北の脅威を煽り、“ミサイル”発射を好機として対応しているように見える。

「防衛省はPAC3を沖縄の先島諸島にも配備しましたが、テポドン2が順調に飛行すれば日本領域には落ちないから、迎撃の必要はない。逆に故障した場合も撃ち落としようがないのです。超高速の弾道ミサイルに対する防衛では、相手の放物線を計算し、『未来位置』に向け発射するのですが、故障して不規則な飛翔をする目標の未来位置は予測不能だからです。いずれにせよ役に立たないものを、はるばる運び込んだのは、沖縄県民に“自衛隊が守ります”と宣伝し、辺野古の飛行場建設や宮古島、石垣島への自衛隊配備の地ならし工作なのか。あるいは、すでに1兆3000億円も投じた弾道ミサイル防衛が役に立っているような印象を国民に与えるための“展示訓練”かと苦笑せざるを得ません」(田岡俊次氏=前出)

 今回のような状況ではPAC3なんて何の役にも立たないし、配備はただのデモンストレーションでしかない。本当の危険は別にあると田岡氏は言う。北朝鮮は旧ソ連の潜水艦発射ミサイルを基礎にした弾道ミサイル「ムスダン」を持っている。これは12輪の自走発射機に乗せ、山岳地帯のトンネルに隠して、10分ほどで発射できるようにして待機しているという。射程は3000キロ以上だから、日本を確実に捉えている。これこそが本当の危険だというのだ。


■破壊措置命令を継続の悪ノリ

「PAC3なんて、現実の戦闘になれば、まったく使い物になりません。本気で北朝鮮が日本を攻撃する気になれば、ミサイル発射時刻を事前に教えるはずがない。いつ撃ってくるか分からないのに、発射からわずか10分ほどで日本本土に到達するミサイルをどうやって迎撃するのか。迎撃システムを配備する前に着弾してしまいます。今回は、日本への攻撃ではないことがあらかじめ分かっていたから、いざとなれば迎撃するフリができただけです。しかも、打ち上げの脅威は去ったのに、破壊措置命令を継続するという。悪ノリでしかありません」(元外交官の天木直人氏)

 安倍首相は北の発射に対して「断じて容認できない。日本独自の措置を行う」とイキリ立ってみせた。国連安保理の緊急会合でも、強力な制裁決議の採択に向けて米韓と連携し、仏ロ英にも協力を要請するという。国内向けには強硬姿勢を示し、国際的には北をダシにして中国を孤立させる狙いがミエミエだ。

「北朝鮮にしてみれば、今回のターゲットは米中であり、日本は眼中にないのに、攻撃対象になったかのように騒いでみせる。どのみち日本は米国の意向に従うだけで、独自の外交なんてできやしないのに、バカバカしくて言葉もありません。有事を利用するのは政権の常套手段ですが、特に安倍政権では顕著です。それも、あまりに底が浅い。北のミサイル発射は、集団的自衛権行使の必要性をアピールするチャンスだと張り切っているようにしか見えません。起こりもしない危機を煽り立てて、国民を改憲に向かわせようとしているだけなのです」(天木直人氏=前出)

 北朝鮮が制御不能なのは確かだ。今後も何をしでかすか分からない得体の知れなさはある。だが、脅威を煽って国民を攪乱する手法は危うい。“ミサイル発射”にも必要以上に踊らされることなく、政権の狙いを見極める必要がある。
【出典】 日刊ゲンダイ 2016年2月8日
従軍慰安婦問題 慰安所と慰安婦の数

慰安婦とは
 いわゆる「従軍慰安婦」とは、かっての戦争の時代に、一定期間日本軍の慰安所等に集められ、将兵に性的な奉仕を強いられた女性たちのことです。
 これらの人々のことを日本で戦後はじめて取り上げた書物の著者たちは「従軍慰安婦」と呼んできました。
 したがって、日本政府がこれらの人々の問題に最初に直面した時も、アジア女性基金がスタートした時も、「従軍慰安婦」という言葉を用いていました。しかし、戦争の時代の文書では、「慰安婦」と出てきます。それで、いまでは、「慰安婦」という言葉を使っています。


■慰安婦関連歴史資料
政府調査「従軍慰安婦」関係文書資料
慰安婦問題とアジア女性基金
慰安所と慰安婦の数 (PDFファイル)
[参考文献]
■アジア女性基金編『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』第1-5巻、龍渓書舎、1997年
■アジア女性基金編『「慰安婦」問題関係文献目録』ぎょうせい、1997年
■アジア女性基金「慰安婦」関係資料委員会編『「慰安婦」問題調査報告・1999』1999年
■和田春樹「政府発表文書にみる『慰安所』と『慰安婦』――『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』を読む」、同上
■波多野澄雄「防衛庁防衛研究所所蔵<衛生・医事関係資料>の調査概要」、同上
■高崎宗司「『半島女子勤労挺身隊』について」、同上
■浅野豊美「雲南・ビルマ最前線における慰安婦達――死者は語る」、同上
■倉沢愛子「インドネシアにおける慰安婦調査報告」、同上
■山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン「日本占領下インドネシアにおける慰安婦――オランダ公文書館調査報告」、同上
■大沼保昭・下村満子・和田春樹編『「慰安婦」問題とアジア女性基金』東信堂、1998年
■小野沢あかね「国際連盟における婦人及び児童売買禁止問題と日本の売春問題――1920年代を中心として」、『綜合研究』津田塾大学国際関係研究所、3号、1995年
■方善柱「米国資料に現れた韓人〈従軍慰安婦>の考察」、『国史舘論叢』37号、1999年10月
■吉見義明編『従軍慰安婦資料集』大月書店、1992年
■吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書、1995年、英語版、Comfort Women: Sexual Slavery in the Japanese Military ■during World War II, Columbia Univ. Press, 2000 
■吉見義明・林博史編『共同研究日本軍慰安婦』大月書店、1995年
■秦郁彦『昭和史の謎を追う』下、文藝春秋、1993年
■秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社、1999年
■蘇智良『慰安婦研究』上海書店出版社、1999年
■蘇智良・陳麗菲・姚霏『上海日軍慰安所実録』上海三聯書店、2005年
■朱徳蘭編『台湾慰安婦調査と研究資料集』中央研究院中山人文科学研究所、1999年、不二出版、2001年
■Chunghee Sarah Soh, From lmperial Gifts to Sex Slavery:Theorizing Symbolic Repre sentation of the ‘Comfort Women', Socia1 Science Japan Journal, Oxford Univ. Press, Vol.3, No.1,April 2000
■金富子・宋連玉編『「慰安婦」戦時性暴力の実態』I、日本・台湾・朝鮮編、緑風出版、2000年
■西野瑠美子・林博史編『「慰安婦」戦時性暴力の実態』II、中国・東南アジア・太平洋編、2000年
■Yuki Tanaka, Japan’s Comfort Women: Sexual Slavery and Prostitution during World War II and the US Occupation, Routledge, 2002
■西野瑠美子『戦場の「慰安婦」』明石書店、2003年
■尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人慰安婦』明石書店、2003年
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